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自分を変えたい52歳オヤジ記者、「心の筋トレ」に挑んだ

Re:search 歩く・考える 更新日: 公開日:
「ウィズダム2.0」の参加者の大半は、気さくで、見知らぬ私にも笑顔で語りかけてくれた photo:Suzuki Kaori

「タラレバばかり言ってたらこんな歳になってしまった」 テレビドラマ化もされた漫画『東京タラレバ娘』(東村アキコ作)は、こんな切ない言葉で始まる。

「タラレバ」とは、「もしもこんなことになってしまっ『たら』どうしよう」という未来への不安や、「あの時、ああしてい『れば』こんなことにはならなかったのに」という過去への悔恨に苦しめられる心の状態だ。

漫画の主人公は結婚をあせる33歳の女性だけど、この言葉は52歳のヒラ記者である今の私にもぴったりとあてはまるから、嫌になってしまう。「もっと職場の人間関係に気を配ってい『れば』、少しは出世できただろうに」「このまま歳を取っ『たら』、人生後悔の塊で終わってしまうんじゃないの」。一見、コワモテのオヤジ記者=私の内面には、かくも情けない思いが渦巻いているのだ。

だが、これ以上「タラレバ」を繰り返している余裕はない。何とかして、自分自身を変えなければ……。

そんな中、耳に飛び込んできたのが、米国・シリコンバレーで一大ムーブメントになっている「マインドフルネス」という瞑想主体の心の訓練法。東南アジアの上座部仏教やブッダ自身の教えがルーツという。

 

「マインドフルネス」は仏教用語の一つ「サティ」の英訳。日本語では「気づき」「念」と訳されることが多い。

現在主流のマインドフルネス瞑想法は、ブッダ自身の教えに近いとされる原始仏教や東南アジアの上座部仏教に伝わる瞑想法に、大乗仏教の教えも取り入れたものがベースだ。

仏教や瞑想を学んだ分子生物学者ジョン・カバットジンは1979年、マサチューセッツ大学で、慢性痛の患者らを対象にマインドフルネスによるストレス低減法を開始。仏教から離れ、健康法として自立するきっかけを作った。

90年代以降、マインドフルネスはモンサントなど米国企業の研修に用いられるようになり、2007年からはグーグルでも研修プログラムが始まっている。

 

元グーグルのエンジニアで、マインドフルネスの研修プログラムを開発したチャディー・メン・タン(46)の著書『サーチ・インサイド・ユアセルフ』によれば、マインドフルネスの実践で意のままに心を鎮められ、集中力や創造性が向上し、成功への道が開けるそうだ。

良いことずくめで「ホントかよ!」と突っ込みたくなるものの、魅惑的な惹句であることも否定できない。

マインドフルネスは「今、ここへの注意力」という「心の筋肉」を鍛えるトレーニングらしい。要するに「心の筋トレ」「心のライザップ」か! 勝手にそう解釈した私は、思い切ってマインドフルネスの世界に飛び込んでみることにした。果たしてオヤジ記者は心の筋トレ、修行を通じて「タラレバ思考」とおさらばできるのか。

毒舌癖のある後輩記者にマインドフルネスへの挑戦を得々と語ると「太田さんが変わることを、心の底から願っていますよ」という皮肉たっぷりの答えが返ってきた。要するに「これ以上面倒くさいオヤジのままでいられたら、こっちはたまったもんじゃない」と言いたいのだ。

くっそー、今に見ていろよ!

「君の脳は鍛えられる」

というわけで、やってきましたサンフランシスコに。シリコンバレーに近いこの街では2月中旬の4日間、マインドフルネスの世界的イベント「ウィズダム20」が開催されるのだ。幸い、会場でタン本人を捕まえることができた。

チャディー・メン・タン

――マインドフルネスをやれば、52歳の僕でも「タラレバ思考」とおさらばできるんですか?

「もちろん。ちょっと実験してみようか。1回息を吸って吐くまでの間、自分のすべての注意力を、自分自身の呼吸に向けてみて」

(……約10秒経過。みなさんもやってみてください)

「どう? 気分が落ち着いたでしょう」

――うーん。ちょっとだけ……。

「これがすでにマインドフルネスの実践なんだ。後悔するには、自分の心を過去に飛ばす必要があるし、不安を感じるには、心を未来に向けなければならない。だけど、君自身の呼吸は『今、ここ』で起きていて、過去も未来も関係ない。だから、君は後悔や不安から解放され、落ち着きを取り戻せるんだ」

「心が過去や未来にさまよい出そうになったら、その都度注意を呼吸に戻せばいい。1回やるごとに、君の脳の注意力は鍛えられ、現在にとどまる能力は高まる」

ここでちょっと話を戻すと、実は私はタンの運営する団体と提携する日本の一般社団法人「マインドフルリーダーシップインスティテュート(MiLI)」の指導を受け約1カ月間、初歩的なマインドフルネス瞑想を実践していた。

呼吸に注意を向けるという単調な作業を続けられるのか。半信半疑だったが、始めるとすぐに「意外と気楽にできるもんだな」と実感した。

瞑想をしていると「仕事の段取り、あれで良かったかな」「今日の昼飯、何食べようか」などと、しょーもない考えが次々と湧いてくる。それにはっと気づいて呼吸に注意を戻すと、雑念はすっと消えていく。「自分そのもの」と思っていた思考の大半は、呼吸に意識を向けるだけで消えてしまうはかないものに過ぎない――。それは新鮮な発見だった。

瞑想で雑念を処理しておくと、心にゆとりもでてくる。妻の言葉に過剰に反応することも減り、「話しやすくなった」と喜ばれたほどだ。

だけど、いくら呼吸に注意を向けても消えない「しつこいマイナスの雑念」も存在する。それこそが「タラレバ思考」なのだ。それにどう立ち向かえばよいのか。

タンの言葉からは「科学的根拠に基づきトレーニングすれば、心の大半の部分はコントロールできる」という強い信念が感じられた。まさに、心を扱うエンジニアだ。だけど、多くの日本人には「心は理屈では扱いきれないのでは」という思いも強いのではないか。

一方で、瞑想体験を通じて実感したのは「心が雑念に支配されていく様子は、ネットサーフィンにはまる過程とよく似ている」ということだった。どちらも、ちょっとしたきっかけで「考えても仕方ないこと」「調べても意味がないこと」に囚われて「心ここにあらず」となり、時間を忘れて没入し、ぐったりと疲れてしまう。

ネット世界の中枢にいるシリコンバレーの人々がそうした危険にいち早く気づき、その対策としてマインドフルネスに着目したとしても不思議ではない。

「つながり」にしおれる

だけど、「ウィズダム20」というイベントに、私はなじめなかった。600700ドルもの会費を支払って参加した約2000人の大半は、米国や欧州から集まった裕福そうな白人たち。タンらの「マインドフルネスは宗教ではなく科学」という主張にもかかわらず、会場の装飾や流れる音楽には、どこかスピリチュアルな雰囲気が漂う。

ウィズダム2.0の会場内 Photo:Ohta Hiroyuki

マインドフルネスの草分け的存在で分子生物学者でもあったジョン・カバットジン(72)のワークショップにも参加したが、座禅のポーズを取りつつ「心に起こったことをすべて受け入れられるか」「思考は真実ではない。思考の囚人になってはいけない」「創造性は知識からではなく沈黙から訪れる」などと意味深な言葉を語る姿は、宗教指導者のイメージと重なった。

会場で特によく聞いたのが「コンパッション(共感)」「コネクト(つながる)」という言葉。マインドフルネスは「他人を自分と同様に大切に思う心」も育むからだそうだ。

でもね、実はオヤジはこういう言葉に一番弱いんです。塩をぶっかけられたナメクジのようにしょんぼりしてしまう。なぜなら、これまでの人生で、「共感」とか「つながり」には散々裏切られてきたから。他人が自分に心から手を差し伸べるなどあり得ない。そうあきらめ切るのが「オヤジになること」だから。

それに、トランプ政権が誕生し「分断」があらわになった米国で、「つながり」で盛り上がるエリートたちを見ていると、「あんたたち、トランプともつながれるの?」と突っ込みたくもなってしまうのだ。

そんな私の個人的な思いとは関係なく、マインドフルネスは米国で着実に浸透している。グーグル幹部で自身がヨガの教師でもあるゴーピ・カライルは「グーグルの社員63000人のうち、すでに約3割はヨガや瞑想を実践しているのでは」と話す。

瞑想自体はネットで独習でき、お金もかからないが、瞑想を実践する人の多くは高学歴者や富裕層だ。

「僕の地元のインドでも、無料でヨガや瞑想を教わることができるんだけど、参加しているのは、ブランドもののヨガウェアを着た金持ちばかりだね」

じゃあ、エリート層と一般の人々の間には「心の健康」でも格差が生じかねませんね。マインドフルネスは人々を「つなげる」どころか、隔たりを増してしまうのでは?

「残念ながら、現状はその通りだね」

結局、マインドフルネスへの割り切れない思いを抱えたまま、私はサンフランシスコを後にした。だけど、これしきのことで、自分を変えるのをあきらめるわけにはいかない。第一、あの毒舌後輩記者に合わせる顔がないではないか!

「秘伝」は手旗信号?

気を取り直した私が次に目指したのは上座部仏教が盛んな国、タイ。バンコクから車で4時間半。標高470メートルの山中にあるスカトー寺にたどり着いたのは2月末のことだった。

托鉢中のスカトー寺の僧侶たち photo:Ota Hiroyuki

この寺では、タイで得度した1962年生まれの日本人僧侶、プラユキ・ナラテボーが副住職を務め、この地を訪れた迷える日本人を導いている。私もこれから丸々1週間滞在し、本格的な瞑想修行を体験するのだ。

プラユキの著書『苦しまなくて、いいんだよ。』では、この寺で数日間瞑想に取り組み、うつなどの症状が劇的に改善した人々の話が感動的につづられている。プラユキは早稲田大学教授の熊野宏昭と協力し、瞑想の治療効果について医学面からの検証も進めている。

硬い床で寒さに震えながらのごろ寝、大ヤモリやネズミとの対決……スカトー寺のワイルドな生活は色々な意味で、修行には「理想的な環境」ではありました。

さて、着いた早々、プラユキは私に、この寺に伝わる二つの瞑想法を伝授してくれた。一つは、手を順番におなかに置いたり、宙に上げたりという一連の動作を延々と繰り返す「手動瞑想」。もう一つは、普通より遅いペースで十数歩歩いては、回れ右して元に戻るということを際限なく繰り返す「歩行瞑想」。

――プラユキ先生。これって、外見上は手旗信号みたいに手を動かしたり、単に歩いたりしているだけですよね。

「そうだよ」

――しかも、やる時には目を開けたまま。これのどこが瞑想なんですか???

「ポイントは、手動瞑想では手の動き、歩行瞑想では足の動きをしっかりと意識し続けること。つまり、手や足の動きを手がかりにして、常に『今、ここ』にいるという気づきを得るのが目的なんだ」

――それって、マインドフルネスの呼吸瞑想と似たコンセプトでは?

「そうだね。『気づき』のきっかけとして、呼吸を使うか、手や足の動きを使うか、という違いだよ。ただ、呼吸に集中しすぎたり、心の静けさだけを求めたりすると、気づきではなくなってしまう。だから、私は手動瞑想や歩行瞑想を勧めているんだ」

――本当に、それだけで自分を変えられるんですか?

「変わる、変わる。1週間あれば必ず変われるよ」

プラユキの印象は「慈愛に満ちた師」というよりは「話し好きの気のいいおっちゃん」という感じ。そのおっちゃんが安請け合いするもんだから、どうも信用しきれない(師匠、すみません)。

しかし、タイの山奥まで来て教わった「秘伝」が、ただ手を動かすことと歩くこととは……。毒舌後輩記者の「ほーっ。太田さんのタイ修行の成果は、手旗信号を覚えたことだけですか」という嫌みったらしい言葉が、頭の中でグルグルと回る。まさに「心ここにあらず」になりかけた私にプラユキが問いかけた。

「君は結局、どう変わりたいの?」

「安心して生きることです」

思わず、そう即答していた。

旅立つ直前、曹洞宗の禅僧・藤田一照を取材した。禅の世界に入り、藤田自身はどう変わったのか。私の問いかけに彼はただ、「安心できるようになった」と答えたのだ。その時、私は心底「うらやましい」と思った。そう、私が本当に求めてやまないのは「安心」なのだ。

 

地に足がついている!

 

本格的な修行生活が始まった。午前4時の読経から始まり、托鉢への同行、瞑想、掃除など毎日のスケジュールはきっちり決まっている。ただし、生活は日本の禅寺ほど厳格ではない。読経も掃除もさぼってOK。瞑想も一人ひとりが好きな場所で自分のペースで行う。タイらしい、ゆるくて自由な雰囲気だ。

 夜になると、日本人の修行者たちはプラユキを囲み、その日の修行内容や自分の変化について語り合う。私が滞在中には、平均して7人前後の日本人がいた。引きこもりがちで留年が続き、退学処分寸前の21歳の大学生タケシ(仮名)。両親ともに自殺し、自らもうつに苦しめられる42歳の映像プロデューサー。理想的な心の導師(グル)を求め、数十年間さまざまな指導者を訪れ続ける熟年夫婦――。
境遇は違っても「行き詰まった人生を何とかしたい」という切実な思いは共通していた。「成功者が自分のさらなるバージョンアップを図る」という米国のマインドフルネス実践者らとは対照的だ。

さて、肝心の私の瞑想修行。初日は「こんなことして何になるの?」という思いが頭を離れないまま終わった。2日目、ちょっと景色がきれいに見えたが、自分が変わる実感はまるでなし。3日目、とうとう眠くなってきた。

がんばって145時間はやっているんだけどなあ。やっぱり自分って、そう簡単には変われないのかなあ。

プラユキ師匠のアドバイスは「瞑想は真剣になりすぎず、遊び心を持って取り組むこと」。ならば思い切って気分を変えてみよう。

3日目の途中から、比較的自分に合っているように思える歩行瞑想に集中し、「これは修行ではなく、自分の足の動きにどれだけ気づき続けられるかを競うゲームだ」と割り切ることにした。

するとですね、何か気持ちよくなってきたんですよ! 意識は足の動きから離れず、だんだんクリアになってくる。足が地面を踏みしめる感触も心地よい。その感覚を味わっているうちに、一つのひらめきが頭に浮かんだ。「『地に足がついている』ってこういう感じか!」

思えば「地に足がつく」とは、「現実的で落ち着いている」という意味で、心を過去や未来に漂わせる「タラレバ思考」とは対極にある。逆にタラレバとよく似た感覚は「浮足だつ」だろう。日本人は昔から、足の感覚と心の関係を的確に把握していたのだな、と感心した。ついに「タラレバ思考」とおさらばするきっかけをつかめたように思えた。

オヤジに似合わぬ純情

 だけど、現実はやっぱり甘くない。次の日も一日中歩行瞑想に取り組んだものの、気持ちよくなることもなく、再び焦りや不安が心を覆った。プラユキ師匠からも「瞑想の目的は心地よさを味わうことではない」「足に意識を集中するだけではなく、その時に浮かんだ自分の思いも観察して」という注意を受ける始末。どうやって瞑想を続けたらよいのか、すっかり自信を失ってしまった。

私はその夜、苦し紛れにそれまでの自分を振り返った。そこで気づいたのは、毎晩他の修行者たちの話を聞き、語り合うことが、瞑想以上に楽しく充実したひとときになっていたことだ。

タケシは、ネガティブなことについて際限なく考え込んだり、他人の話がまったく頭に入らなかったりしていたが、手動瞑想を続けることで精神的にだいぶ楽になったという。最初は他の修行者たちを警戒していたそうだが、年上のオッチャンオバチャンからかわいがられ、寺を発つ前には「日本に戻ってからもここで出会った人たちとつながっていたい」と涙ぐむほど深い関係を築いていた。

当初は張り詰めた雰囲気だった中年の女性ユキエ(仮名)も、滞在の終盤には見違えるほど柔らかい笑顔を見せるようになった。「自分の弱みは誰にも見せられない、と思い詰めていたが、それが変わってきた。毎晩のようにみんなの話が深まり、色々な話が全部自分の滋養になる、という予想外のうれしさを味わった」と話した。

私自身、他の修行者たちが良い方向に変わっていくのを、いつの間にか我がことのように素直に喜び、応援できるようになっていた。そんな思いはとっくの昔に忘れていたはずなのに……。

「オヤジには似合わん純情やな」。自分に突っ込みを入れているうちに、ふと気づいた。「これってサンフランシスコでオレが毛嫌いしていた『共感』と『つながり』、そのものじゃないの!?」

西海岸のウィズダム会場で連呼される「コンパッション」「コネクト」には閉口したオヤジも、タイの山奥での人生に迷った人々との交流には、素直に心を揺り動かされた、ということか。

もしかしたら、今回の旅の本当のテーマは「タラレバ思考からの脱出」ではなく「乾ききった自分自身の人間関係を見つめ直すこと」だったのかもしれない。それは、今回の旅で最も大きな「気づき」の一つだった。

「月影」流グータラ瞑想法 

 翌5日目、私はマインドフルネス流瞑想を再び試みることにした。ただし、プラユキのアドバイスを踏まえ、「姿勢は自由、目は開けたまま。ただ、呼吸に注意を向け続けるだけ」という改良版だ。

もはや外観は、だらしなく座ってグータラしているのと何ら変わらない。まじめな修行者が見たら卒倒するだろう。しかし、この瞑想を始めると一気に呼吸が深まった。

顔を上げると、木々の枝の合間から青空が目に飛び込んでくる。「きれいやなあ」という言葉が、自然に口をついて出た。「タケシにはできるだけのことをしてあげたいなあ。遠慮せずに、必要な時には素直に頼って欲しいなあ」。そんな思いも頭をよぎった。

呼吸は自分の存在の基準点であり、ゆるぎない定点でもある。迷えばそこに帰ってくればいい。私はそう思い定めた。宮本武蔵の「二刀流開眼」ならぬ「オヤジ流超グータラ瞑想法」の開眼である。後輩記者には「要するに、面倒くさくなってグータラしていただけなんですね」とか言われそうだが。

「本当の安心」はまだまだ遠い。だけど、こういう心の状態にいつでもアクセスできるようになれば、安心して生きることもそう難しくないだろう。「安心」と「孤立」は決して両立しない。安心して生きるには、他人への信頼や愛情が不可欠なのだ。オヤジとしては本当に照れくさいが、そんな実感を得られたひとときだった。

スカトー寺最後の夜、空には半月が浮かび、地面には月の光に照らされた木々や自分自身の影が色濃く映っていた。「これが月の光でできる影か」。私にとってはそれも新鮮な発見だった。

翌日の夜、バンコクに戻った私は久々のビールで酔っぱらい、歓楽街・パッポン通りを、ポン引きに絡まれつつフラフラと歩いていた。街の喧噪は山奥の寺とは別世界。だが、地面を見ると、スカトー寺よりもずっと薄いものの、月光による自分の影がしっかりと映っていた。あの寺での体験はやはり幻ではなく、この文明世界と地続きなのだ。都市の明るさの中でも消えないうすーい“月影”は、そんな確かな実感を与えてくれた。(文中敬称略)