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ベルリンの壁が崩れ、あらたな壁が生まれたヨーロッパ

World Now 更新日: 公開日:
ハンガリー国境に近いセルビア北部の貨物ヤードでは、十数人のアフガニスタン人が野宿していた。西欧での難民認定をめざし、フェンスの突破を何度も試みている。(セルビア・スボティッツァ) Photo: Asakura Takuya

ベルリン壁崩壊から28年 ヨーロッパに新たな壁

モルナル・ロベルト(46)は8歳のころ、学校で教師から将来の夢を聞かれた時、「首相になりたい」と答えた。すぐに教師が自宅に飛んできて、親はたしなめられた。冷戦だったあの当時、共産主義陣営のハンガリーで政治に関心を持つことは、良いことではなかった。

「鉄のカーテン」の向こうから届く、雑音だらけの「ラジオ・フリー・ヨーロッパ」。耳が不自由なドイツ系移民の祖父に伝えるために聞くうち、夢中になって自由な世界を夢見た。18歳の時、ハンガリーは西側との国境を最初に破り、直後にベルリンの壁が崩壊。夢は現実になり、彼も20代で国会議員になった。

欧州では東西を分断する壁が崩れ、人やモノが自由に行き来できる世界をめざした。入国審査なしに国境を越えられるシェンゲン協定の加盟国は、ハンガリーを含む欧州の相当部分に広がった。

シェンゲン協定の加盟国が域内で移動の自由を謳歌できるのは、域外との国境がしっかり管理されていることが前提だ。しかし、2011年に広まった「アラブの春」の後、中東やアフリカから、欧州へ逃れてくる難民が急増。ギリシャなど矢面に立つ国では対応が追いつかず、シェンゲン域内の欧州になだれ込んだ。不法越境者の数は、14年に約28万だったのが、15年は180万を超えた。

欧州の国々では、イスラム教徒への反発や治安への懸念が広がった。これが各国のナショナリズムを刺激し、大衆の不安をあおって自らの支持につなげるポピュリスト政治家や右翼政党の台頭にもつながっていく。

ハンガリーは、一連の難民危機の最前線に立つ国の一つだ。冒頭のモルナルは国会議員を務めた後、セルビア、ルーマニアの二つの国境に面するクベクハザ村で村長になった。今、彼の目の前には再び、「鉄のフェンス」がそびえ立つ。

国境の村からの訴え

ハンガリーでフェンスが建った源流を探るため、モルナルが住む村からセルビアとの国境に沿って約40キロ、西へ向かった。ここアシュトホロム村は、東京・山手線の内側の2倍ほどの広さに約4000人が暮らす。

のどかな田園地帯に、シリアやアフガニスタンから、ピークには1日に村の人口を上回るほどの人々が、セルビアとの国境を越えてやって来た。

農園に囲まれた家で妻と3人の子どもと暮らす40代の父親は「携帯電話の充電や飲み物や食べ物を求めて彼らは集団で家に来た。昼も夜も。60人余りが一度に来た時はとても怖かった」と話した。「乳飲み子もいて可哀想に思うこともあったけど、農作物を踏みつぶされて腹が立った」

住民の不満を前に、いまや極右「ヨッビク」副党首も務める村長のトロツコイ・ラスロ(39)が、いち早くハンガリー政府にフェンス建設を訴えた。政府の役人からは「ブリュッセル(EU)が許さない。無理だろう」と相手にされなかった。ならばと、メディアの取材に積極的に応じ、必要性を訴え続けた。「私だって毎朝、自宅からフェンスを見るのは良い気分ではない。だけど必要なんだ」

ポピュリストと呼ばれ、移民に厳しい姿勢の首相のオルバンも、強硬策を打ち出した。15年夏、政権は突然、フェンスの建設を発表。ただちにセルビア国境175キロすべてにフェンスが建った。越境者は急減したが、念入りにも今年、フェンスは二重になった。

ハンガリー政府の報道官、コバチ・ゾルタンは胸をはる。「フェンスは実用的なだけでなく、象徴的なものだ。我々は責務を果たすため、できることは何でもするという表現だ」

フェンスに阻まれた大勢の移民たちは迂回し、やはりシェンゲン加盟国のスロベニアへ向かった。すると、スロベニアもクロアチアとの国境にフェンスを建てた。難民受け入れに寛容で、ハンガリーのフェンスに当初は批判的だったオーストリアでも風向きは変わり、スロベニア国境の一部にフェンスを建てた。

「壁」の連鎖が起きたのだった。

国境警備の予算、50倍超に

「私たちはつい最近、壁を壊したばかりであり、新たな壁は作るべきではない」。EUの行政機関である欧州委員会は、難民までも阻みかねないフェンスの建設をハンガリーが発表すると、ただちに批判した。

だが、各国で移民に対する不安や反発が高まるなか、人権や寛容といった価値観を誇り、国境管理は各国まかせだったEUも、不法移民に対して厳しい対応をとることが求められた。

ポーランドのワルシャワにあるEU機関「FRONTEX」。大きなモニターに欧州の衛星写真が映し出され、地中海には、密航船を表す緑色の点が集まっていた。このシチュエーション・センターでは、欧州全土に派遣した要員や加盟国の警備当局から密入国に関する情報を集約している

欧州への密入国情報が集まるFRONTEXのシチュエーション・センター Photo: Asakura Takuya

FRONTEXは「欧州対外国境管理協力機関」として04年、EU域外と接する加盟国の国境管理を支援するために発足した。だが、難民危機では十分に対応できる態勢にはなく、16年により強い権限を持った「欧州国境沿岸警備機関」(略称は同じ)に生まれ変わった。

大勢の不法移民が押し寄せた国が、対応できなくなった緊急時には、その国から要請がなくても、警備に介入できるなど、強い権限が認められた。それまで加盟各国の自主性に頼っていた隊員の派遣は義務となり、常時1500人規模の体制を維持する。FRONTEXの予算は、20年には発足当時の50倍以上、32200万ユーロ(約420億円)になる見込みだ。

EUはこの他、密入国の出発拠点となっているリビアの沿岸警備隊の支援など、欧州に向かう移民を食い止めるかのような策を相次いで打ち出している。

難民の「悲劇」が「危機」に

相次ぐ「壁」の建設や、国境での活発な監視・警備活動を、もっとも歓迎するのは軍需産業だ。

暗視カメラ、体温を感知するサーモグラフィー、フェンスへの接触感知システム──。ハンガリー政府は、国境に建てたフェンスに、こうしたハイテク装備や人件費も含め、2年間で10億ユーロ(約1300億円)、同国GDP1%にあたる金額を費やしたという。

米民間コンサル会社「ホームランド・セキュリティー・リサーチ」は、欧州の国境管理ビジネスの市場規模が、監視・警備活動の拡大で20年までに2倍超に膨らむと試算する。

「防衛産業はここから利益を得るのみならず、EUの政策立案にも影響を与えている」。こう指摘するのは、オランダのNGO「ストップ・ワープンハンドル(止めよう武器輸出)」のマーク・アカマンだ。

防衛産業の団体や大手は、EUの機関が集まるブリュッセルにロビー活動の拠点を置き、EUが出資する研究開発プロジェクトのメンバーにも名を連ねる。「難民の悲劇が(欧州にとっての)『危機』とされ、人道問題ではなく安全保障問題としてとらえられていることも、業界の影響がある」とアカマンはみる。

国連難民高等弁務官のフィリッポ・グランディは8月、欧州の現状に警鐘をならした。「(難民を生み出さないための)平和構築、開発、安全な避難路をつくる取り組みを進めないまま、欧州に来る難民や移民の数を減らす対策をとることは、道徳的に受け入れられない」

EUはその外縁に、「目には見えない壁」を築こうとしているようにも映る。それは、ハンガリーのフェンスと根本的に変わらないのではないのか? EU官僚たちに疑問をぶつけた。

「もたらす効果は同じかもしれない。だが、見た目が違う」。確かに、鋭利なカミソリワイヤーのフェンスは、壁をなくすことで生まれた「開かれた欧州」には似合わない。思い描いてきた自己像と現実との間で、欧州は悩んでいる。

(文中敬称略)

「成功した壁は一つもない」

世界9カ所の壁を訪ね、『世界を分断する「壁」』を出版した米国際平和研究所上級客員研究員のアレクサンドラ・ノヴォスロフ(48)に、壁がもたらすものについて聞いた。

壁は一方的につくられる建造物で、歴史上、常に防衛機能を持ってきました。

2次世界大戦以前は、主に人々が暮らす町や城を防御するためでした。大戦後は、ベルリンの壁のように国を閉ざして資本主義と社会主義を隔てたり、朝鮮半島など停戦、休戦ライン上に建てられたりしました。一方から他方へのコミュニケーションを完全に遮断する目的です。

911米同時多発テロ以降は、テロや貧困、移民といったグローバルな脅威に対処する役割が加わりました。米国とメキシコ、インドとバングラデシュ、パレスチナの分離壁などがその例です。

その結果、国境を越えて簡単に連絡が取れたり、移動したりできるグローバル化した世界にありながら、壁がつくられていくという逆説的な状況が生まれています。民族が多様化することで、国や暮らしが変わってしまうという不安が生まれました。国境を開いていくと自分たちの独自性が失われてしまうと考える人たちは、目に見える堅牢な建設物である「壁」で国境に再び印をつけて、自分たちの伝統に回帰したいと考えました。

政治家は移民などの問題の複雑さを説明したがりません。国民が理解できないと思っているからです。そして、最も簡単な答えが壁を建てることです。安全になった感覚をもたらし、政府が問題に取り組んでいる印象も持たせられます。

ただ、成功した壁は一つもありません。移民は回り道したり、はしごを使って越えたりするわけです。多少は人数を減らせても、巨額の建設費や管理費には見合いません。

しわ寄せを受けるのは、移民と壁の近くで暮らす人々です。行き来が難しくなり、家族を分断し、あらゆる問題を生み出します。

壁で問題は解決しないので、人々の怒りがますます増幅する悪循環が生まれます。感情的に怒れば怒るほど、真の問題解決は遠のいていくのです。(聞き手・村山祐介)

壁というその場しのぎに逃げず

世界はやがて壁で覆い尽くされてしまうのではないか。取材を進めるにつれて、そんなSFめいた不安すら覚えた。世界各地で同時に起きていた壁の建設は、決して偶然ではなかったためだ。

現状維持が精いっぱいの低成長時代を迎えた先進国は、移民を受け入れる余裕を失った。排外的な風潮が強まるなか、雇用や暮らし、テロへの不安をすくい上げて政治力を手にした「ポピュリスト」と呼ばれる政治家にとって、壁は手っ取り早く、目に見える「特効薬」。打つ手を欠いた官僚組織や商機を感じた軍需産業も手を携えた??そんな構図が浮かんだ。冷戦期のような抵抗感も薄れた。

壁はできたものの、それを生み出した根本原因が解決したわけではない。

メキシコや中米の貧困層はより危険な砂漠や川へ、内戦や政情不安が続く中東やアフリカの難民や移民は地中海に向かった。朝鮮半島は平和条約にはほど遠く、ヨルダン川西岸ではイスラエルによる占領状態の固定化が進んだ。壁は、はかない「安心感」と引き換えに地域や家族を分断し、無関心や憎悪を生み、遺体の山が築かれた。壁のある新しい現実を前提とした暮らしが生まれ、利害はより複雑になった。

四方を海に囲われた島国・日本も、移民の受け入れを「見えない壁」で制限してきたと見れば、それほど違いがあるわけではない。

ベルリンの壁は崩壊まで28年。いったん出来てしまうと、壁を壊すのは容易ではない。壁というその場しのぎの策に逃げず、問題に正面から、地道に向き合うしかない。世界が壁で覆い尽くされてしまう前に。