シンガポールから伝わったビジネスのノウハウ
夕刻の平壌。シンガポール人のジェフリー・シーは、仕事帰りの人々が、ある店に吸い込まれていく様子を見ていた。
店にはパンやジュース、お菓子から、シャンプーやトイレットペーパーなどの日用品、化粧品や下着から冷凍の魚、お酒まで何でもある。
社会主義の北朝鮮では、国営の店の営業時間は人々の勤務時間と同じ時間帯だ。「欲しい時のちょっと買い」が難しいが、この「黄金原」という店は朝6時から夜中12時まで営業している。
「北朝鮮版コンビニです。経営陣にビジネスのノウハウを伝えたのは私たちなので、感慨深かった」。シンガポールで取材に答えたシーはこう語った。
シーは経営にかかわる北朝鮮の人たちを支援する市民団体「チョソン・エクスチェンジ」創設者。「店を立ち上げた北朝鮮の人たちは、どこの店で何がどれだけ売れたかを分析し、レイアウトも工夫した。大量購入で仕入れの価格も下げている」と語る。「単に物を置いておけばよかった時代から客のニーズを考えるようになった。彼らにとっては『イノベーション』です」。人気となり、チェーン化している。
失敗例もある。シーらが北朝鮮で開いたワークショップに参加した女性は、世界中で見かけるようなチェーンのコーヒーショップに関心を持った。平壌の大通り沿いに全面ガラス張りでコンクリート打ちっ放しの床、オープンでおしゃれな店をつくった。
しかし、客が入らない。経営者の女性は窓から中が見えないようにし、席と席の間に仕切りも置いた。それでもダメ。「北朝鮮の人たちは、くつろいでいる時に他人から見られるのを嫌がるようです。マーケットの特徴を事前につかめなかった」とシーは語る。
これらは「体制側」の人たちが多く住む平壌の話だ。シンガポールの写真家アラム・パン(41)は16回、計118日をかけ、外国人では訪れることが難しい地方にも足を運んだ。「中国と貿易しやすい国境に近い地域ほど豊かにみえた。国内向けに商売しやすいからだろう」と彼は語る。
平壌から約40キロ北にある平城(ピョンソン)を訪れた時も驚いた。ここは中国と首都・平壌を結ぶ物流の「玄関口」。平壌より店の数も人手も多く、人々の表情は生き生きとしていた。
平壌は許可された外国人が多く訪れる都市で、景観のためなのか、社会主義の国としては店の存在を知られたくないためか、大きな看板を掲げる店は少ない。
一方、平城では、例えば音符マークに「文化商店 楽器」と横に赤字で大きく書いた看板や、衣料品や食べ物などの店の看板が派手に並んでいた。「車部品の店もたくさんあった。自動車がそれだけ普及しているということ」とパン。
彼が北朝鮮を撮影し始めたのは2013年からだが、地方は特に暗かった。今は太陽光パネルとLEDライトをよく見かけるようになった。地方では歩いて移動する人ばかりだったが、自転車に乗る人が増えている。
暮らしが変わったわけ
北朝鮮の経済に何が起こっているのだろうか?
1990年代後半の飢餓のころ、配給を待つ人たちは飢え死にした。人々は「食べ物は自分でなんとかするしかない」と学んだ。市場(いちば)が広がり、当局は初めこそ社会主義をゆるがすと取り締まったが、配給が滞る今、暮らしに欠かせなくなった。体制は市場と共存の道を選び、全国に400カ所余りある。
当初、市場に入ってくるモノは中国製が多かった。中国との貿易が活発になり、もうける人々が現れ、市場でモノを買う力がさらに増えた。今は食品や日用品を中心に国産が増えている。
小さな商売に加えて大きなビジネスも動いた。今は経済制裁で行えないが、2010年ごろから中国への石炭輸出が増え始めた。当時は世界的に鉱物価格が高騰しており、北朝鮮に外貨がどっと入り込んだ。採掘に使う機械や自動車、労働者が使う道具に食事……。仕事が仕事を生み、お金が回った。
韓国の北韓大学院大学教授、ヤン・ムンス(55)は「市場(いちば)にとどまらない。中国との活発なビジネスは起業家的。価格が変動する仕組みも広がった。市場(しじょう)化が進んだ」と語る。北朝鮮は統計を発表しないので推し量るしかないが、韓国の中央銀行、韓国銀行によれば、ここ数年は成長し、2016年の経済成長率は3.9%だった。
北朝鮮における市場やビジネスを理解しようとするとき、人々と体制の「共存」がキーワードかもしれない。
例えば、北朝鮮版コンビニの経営主体は国営企業だ。客は米国のドルや中国の人民元でも買い物ができる。このため、「お金持ちが持つ外貨を体制側に吸い上げる目的がある」とみる専門家もいる。
コーヒーショップは、店を開くこと自体に国の許可がいる。この店がそうだというわけではないが、小さくはこうしたお店から大きくは石炭を手がける企業まで、経営者と体制の役人が結びつき、合法・非合法を問わず利益を分け合う構図ができている。
北朝鮮には、配給や計画経済といった社会主義の「第1」経済、軍需の「第2」経済、金一族のお金を管理する「第3」経済があるといわれる。50回以上、北朝鮮を訪れている環日本海経済研究所の三村光弘(48)は、この三つ以外に市場を含む私経済があり、「体制側の経済は私経済の上に乗って回る」と語る。そして土台の私経済を、凍って硬くなった「永久凍土」に例える。
「今は凍って安定しているが、体制側が市場の拡大を黙認できないと取り締まりを強めれば、解けて泥のようにズブズブになる。すると下が不安定になり、上の体制まで揺れてしまう。統制の必要は感じているが、なくすことはできない。矛盾した状況なのです」
川の向こうに真っ赤なコート 中国から見える北朝鮮
高層マンション、遊園地、自動車道……。「意外」と言っては失礼だろうか。中国の丹東から、鴨緑江の対岸にある平安北道の新義州を眺めてみると、開発が進んでいるように見える。
北朝鮮では住宅は国から支給されるのが原則で、マンションの部屋を与えられるのは軍人や科学者など国家に功績があった人々。だが最近では「居住権」が売り買いされ、マンションの建設や売買をめぐる「ビジネス」が盛んだ。
そんな新義州の街も、夜になると闇に包まれる。住宅の明かりは数えるほど。私は、中朝間を行き来する北朝鮮の当局関係者に話を聞いた。「明かりのほとんどは駅などの公共施設。電気代が高いので、住宅では中国から発電機を輸入してつけているんだ」と彼は言った。
では経済が停滞しているかというと、そうでもないらしい。経済は成長している。それを示すエピソードがある。北朝鮮が中国から輸入する乗用車が増えている。昨年は2720万ドル(約28億円)。今年1月から経済制裁による禁輸措置が始まったが、直前の昨年末には新車が続々と新義州に渡った。
新義州は中朝貿易の拠点で経済活動が盛んだが、ほかの場所はどうだろう。鴨緑江の上流に向け、車を走らせた。時の流れをさかのぼるかのようだ。開発が遅れている。
丹東から北東に車で5時間。中国の集安の対岸にあるのが、北朝鮮の慈江道満浦。工業の街だ。私が満浦の川沿いを眺めていたのは夕暮れ時。職場から帰るのか人々が行き交う。自転車が多い。若い男女の2人乗りの姿も見える。
黒や灰色。地味な服装が多いな……。そう思っていると、視界の右の方から目にも鮮やかな赤色が飛び込んできた。自転車に乗った人。若い女性のようだ。
トラックがきた。屋根から煙。ガソリンが不足する北朝鮮でよく使われる木炭自動車のようだ。坂道で速度が落ち、息を切らせるように登っていった。
さらに北東に車で5時間。吉林省の臨江に着くと、北朝鮮の女性たち5、6人が、凍った鴨緑江の川面に開けた穴の周りで洗濯をしているのが見えた。衣服を水につけて棒で叩く乾いた音がした。
さらに車を進めると、鉄条網の向こうに舗装されていない道が見える。人々は歩き、牛で荷車を引いていた。わずかな平地に平屋建ての集落が点在する中で、時折見えるコンクリート造りの兵舎と見張り小屋だけが、ひときわ立派だった。
のどかに見える国境の街だが、中国人商人から話を聞くと、北朝鮮では昨年に干ばつがあって食糧不足が深刻という。ある商人は「路上で子供の遺体を見た。毎年のことだが、今年は多い」と語った。
それでも北朝鮮の人々はたくましい。あの洗濯の女性たちは寒くつらい作業でも、よく笑った。中国の人の話では、北朝鮮の農民は人民元を稼ぐために闇に紛れて国境を越え、肉や野菜を売りに来るのだそうだ。
中国の街は発展を自慢するようにネオンが輝く。対岸の北朝鮮の人たちには、それを「うらやましい」と言える自由もない。洗濯の女性たちの笑顔は、苦しさを忘れるための生存術なのかもしれない。(文中敬称略)