鳥や蜂のように「花粉」を運ぶ別の生き物が地球にはいる。それも海の中に。
イドテア・バルティカ(Idotea balthica)と呼ばれる小さな甲殻類が、ある海藻種の「受粉」を媒介している――そんな研究結果が2022年7月、科学誌サイエンスに掲載された。
その仕組みはこうだ。イドテア・バルティカは、この藻にすみついている。葉のように広がった藻の部分でエサにありついたり、隠れ場所を探したりする。そうして動くうちに、オス藻が持つ粘着性のある生殖細胞(陸上植物の花粉に相当)を体に付け、知らず知らずにこれをまき散らすことになる。
動物が藻類を受精させるのが確認されたのは、これが初めてだ。この発見は、こうした繁殖方法をとる植物種の範囲を広げるだけではない。受粉・受精による繁殖は、陸上で始まったのか、それとも海なのかという根本的な問題を突きつけているのだ。
動物が授粉するのは陸上植物だけだと、長いこと信じられていた。
しかし、カリブ海で見つかった海草の一種タラシア・テストゥディヌム(Thalassia testudinum)を動物性プランクトンが受粉させていることが、2016年に分かった。ただし、海草類は海洋環境でも花を咲かせる唯一の植物で、陸上植物と非常に近い関係にあると考えられている。
一方、海藻類は植物の一種とはいえ、陸上植物と近い関係にはない。
タラシア・テストゥディヌムへの授粉は、この海草の花に異常な密度で海生無脊椎(せきつい)動物が群がっているのに専門家が気づき、さらに調べるうちに分かった。
この発見からほどなく、仏ソルボンヌ大学の集団遺伝学者ミリアム・バレロは、研究中の紅藻(こうそう〈訳注=赤い色をしていることが多い藻〉)で似たようなことが起きているのに気づいた。
グラシラリア・グラシリス(Gracilaria gracilis)という紅藻の一種は、いつも海生無脊椎動物に好まれているようだった。とくに等脚類(訳注=ワラジムシやフナムシなどの等脚目に属する甲殻類の総称)に属する冒頭のイドテア・バルティカが多かった。
この紅藻はオス藻が生殖細胞を作るが、花粉の粒と同じように自分では動けない。だから、イドテア・バルティカがその生殖細胞をまき散らすのに一役買っているのでは、とバレロは類推するようになった。
それまでの研究では、グラシラリア・グラシリスのオス藻の生殖細胞は、海流に運ばれて散っていると見られていた。ところが、自分が生殖細胞を数多く観察したのは穏やかな海辺の岩のプールになったようなところで、海流とは違う別の仕組みが働いているのではないかとバレロは考えた。
そこで、その仮説をソルボンヌ大学の大学院生エマ・ラボーと2人で試すことにした。
海水タンクにオス藻とメス藻を6インチ(15センチ強)離して配置した。そして、タンクの半分にだけイドテア・バルティカを入れた。
すると、イドテア・バルティカを入れた方の受精率は、入れなかった方の約20倍も高かった。
続いて、2人はグラシラリア・グラシリスの生殖能力があるオス藻を入れたタンクにいたイドテア・バルティカを、受精していないメス藻が入ったタンクに移してみた。すると、ここでも高い受精率が記録された。このイドテア・バルティカを顕微鏡で観察すると、体中のあらゆる部位にオス藻の生殖細胞が付着していた。
イドテア・バルティカとグラシラリア・グラシリスの間には共生的なウィンウィンの関係がある、と研究者の2人は見ている。紅藻の方は、自らに生えた微細な藻類をこの甲殻類にエサとして与えている。さらに、隠れ家にもなっている。一方、この甲殻類は、紅藻の受精を助けている――という相互関係だ。
「海藻がどう繁殖するかの理解を一新するとても魅力的な研究だ」とジェフ・オラートンはたたえる。中国科学院昆明植物研究所の客員教授だ。この研究には関わっていないものの、今回の論文に添える形でこの研究結果が持つ可能性を示す記事を同じ日付のサイエンス誌に共同執筆者の一人として書いている。
そこには、こうある。「こうした共生は、植物が進化するかなり前から存在していたのかもしれない。繁殖のために第三者を利用することは、私たちが考えていたよりはるかに深いルーツを持つ可能性がある(〈訳注=「ルーツ」という〉ダジャレを許してもらえるのなら)」
グラシラリア・グラシリスが属する紅藻類は、陸上に最初の植物が登場するより5億年も前から進化してきたと見られる。等脚類が現れたのが3億年前だとしても、紅藻類は受精するためにそれ以前に絶滅してしまった別の海生無脊椎動物と共生していたのかもしれない。
「藻類と動物の関係は、動物と植物との関係が発展する前にすでに存在していた可能性がある」と今回の論文執筆者バレロは推測する。
さらに、もう一つの可能性についても言及する。動物を介する受精は、陸上と海で互いに独立して繰り返し進化したことも考えられるというのだ。
バレロは、グラシラリア・グラシリスとは別の紅藻が受精のために海洋動物に頼っているかどうかを知ることの重要性を指摘する。海の生物多様性を維持する上で、極めて重要な要素になりうるからだ。
陸上では環境汚染や気候変動が、植物と花粉を運ぶ動物との関係にどう影響しているかを専門家が実証している。しかし、海洋で藻類と受精媒介者との間にどういう影響が出ているかは、まったく分かっていない。
これからの数年でそれを見つけ出す科学者の一人になりたい、とバレロは願っている。(抄訳)
(Annie Roth)©2022 The New York Times
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