米ペンシルベニア州立大学の生理学教授W・ラリー・ケニーは極端な高温が人にどう害を及ぼすかについての研究に着手したとき、スリーマイル島原子力発電所内の労働者に焦点を当てた。(訳注=1979年に起きた事故により)そこはカ氏165度(セ氏約74度)に達した。
ケニーはその後の数十年間にわたり、過酷な環境下に置かれたさまざまな人びとに熱ストレスがどう影響するかを観察してきた。注目したのはアメフト選手や防護服に身を包んだ兵士、サハラ砂漠を走る長距離ランナーだった。
しかし最近は、より平凡な対象に焦点を当てている。それは普通の人、日常生活の営みである。気候変動が地球自体を焦がしているためだ。
米国では南西部での記録的な猛暑に続き、6月13日には東部内陸各地で高温注意報や異常高温警報が発せられた。
今や激しい熱波は、恐ろしいほどの規則性を伴って地球の広大な地域に影響を及ぼしているため、科学者たちは人びとを病に陥れ、生命を奪う高温の環境下における暮らしについて研究を掘り下げている。その目的は熱関連の病気に苦しむ人がどれだけ増えるのか、そしてそうした人びとの苦しみがどれだけ頻繁で、どれほど深刻かをより的確に把握することにある。そして、最も弱い立場に置かれた人びとを守るため、より優れた方策を探るためだ。
科学者が言うには、確かなことの一つは、過去20年間の熱波は、私たちが今後数十年間に直面するリスクを的確に予測するものではないということ。すでに、温室効果ガスの排出と、うだるほどの暑さとの関連は非常に明確だ。そのため、地球の温暖化が始まる以前の200年前にも、現在のような極端な熱波が起きていたかについて判断することの意義はもはや失せてしまったと指摘する研究者もいる。(訳注=地球が温暖化する前に)熱波は起こりえなかったのだ。
地球温暖化が鈍化しなければ、多くの人びとがこれまでに経験したことのない激しい熱波が、これからの夏の新たな、そして単なる日常になるだろう、とパデュー大学(訳注=米インディアナ州立の総合大学)の気候科学者マシュー・フーバーは指摘する。さらに「それは逃れられないだろう」と言うのだ。
フーバーによると、科学者が特定するのが難しいことは、こうした気候変動が人の健康と幸福に大きくどう影響するかだ。特に途上国では非常に多くの人がすでに影響を被っているが、役立つデータが不足している。熱ストレスは湿度や太陽、風、水分補給、衣服、体力など非常に多くの要因による産物で、さまざまな害を引き起こすため、将来の影響を正確に予測するのは難しい。
焼けつくような暑さをたまに経験するのではなく、暑い環境下での四六時中の暮らしに関する研究も十分ではない。そうフーバーは指摘する。「毎日起きてから、殺人的ともいえそうな暑さの中で3時間働いて狂ったように汗をかき、帰宅するという日々の長期的な結末は何か、私たちにはわかっていないのだ」と彼は言っている。
こうした課題の緊急性の高まりが、ケニーのように常に自分を気候科学者とは思っていなかった研究者たちを引き付けている。
ケニーと彼の同僚たちは最近の研究で、若くて健康な複数の男女を特別に設計された部屋に入れ、エアロバイクを低強度でこいでもらった。そして、研究者たちは徐々に熱と湿度を高めていった。判明したのは、研究者が想定したよりはるかに低いレベルの湿度で被験者たちの体が危険なほど過剰に熱を帯び始めたことだ。この研究では、熱と蒸し暑さの両方を説明する指標「湿球」温度が測定された。想定温度は、気候科学者たちによるこれまでの理論上の推定を基にしたものだった。
蒸し風呂状態の環境下では事実上、汗をかいて体を冷やすよりも速くその環境から熱を吸収するのだ。そして、「人間にとって不幸なことに、私たちは、身体を維持するため以上の汗はかかないのだ」とケニーは言う。
熱は最も破壊的な本質を内在する気候変動であり、景観や生態系、社会基盤だけでなく、個々の人体の深部もむしばむ。
熱の被害者は、自宅で一人で亡くなることがよくある。熱中症とは別に、心血管虚脱や腎不全を引き起こす可能性がある。臓器や細胞、DNAにさえダメージを与える。その害は超高齢者や乳幼児、また高血圧やぜんそく、多発性硬化症などの症状のある人に多くみられる。
気温が高い時は効率よく仕事ができない。思考力や運動機能が損なわれる。過剰な高熱はより大掛かりな犯罪、不安、うつ病、自殺にも関連がある。
インドのチェンナイにあるスリラマチャンドラ大学の環境保健学教授ビディア・ベヌゴパルは、インドの鉄鋼プラントや自動車工場、れんが窯の労働者に熱がどう影響するかを長年にわたって研究してきた。労働者の多くは重度の脱水症によって引き起こされる腎臓結石に苦しんでいる。
10年前に出会った人が、ベヌゴパルの心に残っている。彼女が出会ったのは溶鉱炉のそばで約20年間、1日8時間から12時間働いてきた鉄鋼労働者である。その労働者に年を聞くと、38歳から40歳だと言うのだ。
ベヌゴパルは、誤解していると思った。労働者の髪は半分白髪だった。彼の顔はしわだらけだった。55歳以下には見えなかった。そこで、ベヌゴパルは彼の子どもの年を聞き、何歳の時に結婚したのか尋ねた。年齢を確かめるためだった。計算は合っていた。
「私たちにとって、その時が転機だった」とベヌゴパルは振り返る。「その時から、私たちは、熱が人びとを老化させると考えるようになった」
ケニアのアガカーン大学の研究者アデレード・M・ルサンビリは海岸部にあるキリフィ郡で、熱が妊婦や新生児に及ぼす影響について調べている。そこのコミュニティーでは、女性たちが家族のために水くみをしている。それはたとえ妊娠中でも太陽が照りつける中を何時間も歩くことを意味する。この研究は熱にさらされることと、早産や低体重の赤ちゃんの出生を関連付けた。
ルサンビリによると、一番心が痛むのは出産後に苦しむ女性の話だ。出産から1日経っただけの赤ちゃんを背負って遠い道のりを歩けば、赤ちゃんの身体や口に水ぶくれができ、母乳を授けるのが困難になるケースがある。
新生児や乳幼児の死亡率を低下させてきたアフリカのこれまでの発展が、気候変動によって後退するのではないかと思うほどだ、とルサンビリは言っている。
豪シドニー大学の熱・保健学教授オーリー・ジェイは、いかに多くの人がエアコンを利用できず、そしてそのエアコンが大量の電力を消費して地球を熱くさせているかを考えれば、社会はもっと持続可能な防護策を見いだす必要があると言っている。
ジェイは扇風機のそばに座り、ぬれた服を着て、水を含ませたスポンジで身体をこすってその反応を調べた。あるプロジェクトで、彼は自分の研究室にバングラデシュの縫製工場の模型をつくり、屋上の緑化、扇風機、定期的な水飲み休憩など労働者の安全を確保するための安上がりな方法を試した。
人間には、暑い環境に順応する能力が多少はある。心拍数が下がり、心臓の血液拍出量が増え、より多くの汗腺が活性化する。しかし、ジェイによると、科学者たちは主として制御された実験室で私たちの身体がどのように熱に適応するかを理解している。それは、多くの人がエアコンがある家や車に逃げ込める現実世界のことではない、とジェイは言う。
それに実験室でさえ、そうした変化を誘発するには、何週間にもわたって1日何時間も不快な緊張にさらす必要がある、とジェイは言う。彼自身、被験者にまったく同じことをした。
「それは何ら愉快なことではない」とジェイは言う。息苦しい将来の暮らしにとっての現実的な解決策はほとんどない。場所によって、人びとは今もどんどん過酷な状況下に置かれている。身体の適応性における深遠な変化は、人類の進化という時間軸においてのみ起こり得ることだろう。(抄訳)
(Raymond Zhong)©2022 The New York Times
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