ロシアが2022年2月24日、ウクライナに侵攻しても、マリーヤ・プピジィクの心配はほとんど娘クリスティーナ(5)のことばかりだった。脳腫瘍(しゅよう)を患っていた。
ポーランドとの国境に近い西部リビウに住んでいた。ロケット弾が降り注ぐ東部からは、遠く離れていた。それでも、すぐに戦時下にあることを思い知らされた。
「もうすぐ薬がなくなる」。治療を受けていた病院の担当医から、こういわれた。すぐにも避難し、国外で治療を続けるしかないとのことだった。
「ウクライナで続けられる、と信じて疑わなかった」とマリーヤは振り返る。
クリスティーナの病名は、視神経膠腫(こうしゅ)。世代別では幼い子供に最も多く見られるがんだ。徹底した治療で腫瘍(しゅよう)を小さくするか、大きくなるのを防がないと、視力を失い、命にもかかわる。このため、娘には連日の経口化学療法が必要だった。
3月16日。マリーヤは娘と息子のセルゲイ(10)とともに、夫ボロディミルに別れを告げた。
バスでポーランドに入ると、病気の子を抱えたほかのいくつかの家族と一緒になった。多くはそこから欧州各地の病院に散ったが、マリーヤ母子は米国に飛ぶことになった。行き先は、テネシー州メンフィスだった。
「家族や友人、母国とこんなに離れてしまった」。娘が治療を受けるメンフィスの病院で、マリーヤは4月上旬にこう話した。でも、ここに来るのを躊躇(ちゅうちょ)することはなかった。娘の命がかかっていた。
国外に避難したウクライナ人は、何百万人にも上る。その中には、国内で治療を続けられなくなった子供が数千人もいる。うち400人以上の小児がん患者が、ポーランド経由で第三国の医療機関に向かった。
クリスティーナら8人のウクライナの子供を3月下旬に迎え入れたのは、メンフィスのセントジュード小児研究病院だった。小児がんの治療、研究を専門とし、民間の寄付で運営されている。
この病院は、ポーランドに重症度に応じて治療先を決める診療所を開設。欧州を中心とした提携医療機関に受け入れを頼んでいた。
「この子たちはみんな、ウクライナにとどまっていたら、がんそのものかそれに伴う合併症、あるいは戦争によって命を奪われる運命にあった」とセントジュード小児研究病院CEOのジェームズ・ダウニング博士は語る。
博士によると、小児がんの治療には高度に集中した一連の迅速な投薬が必要となる。「少しでも中断されれば、治療の失敗と症状の悪化、最終的には死のリスクがぐっと高まることになる。まさに、タイミングがカギを握る」
マリーヤ母子は、ウクライナを離れて6日後にメンフィスの病院付属の居住施設ターゲットハウスに入った。ベッドルーム二つのアパートで、二つのスーツケースと二つの小さなバッグの荷ほどきをした。
クリスティーナは、病院で最初に新型コロナワクチンを接種した。経口療法を始める前に済ませておかねばならなかった。
病院では、人形ももらった。「バービーちゃんは、何のお料理をしているのかな」と担当医のイブラヒム・カドゥーミ博士が聞くと、「ウクライナのボルシチ」との答えが通訳を介して返ってきた。
しばらくして、世界各地の食材を扱っている店にほかの二つの家族と行った。マリーヤはソバの実とサワーヨーグルトを探した。レジでお金を払おうとすると、店のオーナーは受け取らなかった。「自分にも戦争の体験がある。それも2度もね」
次に入ったのは、米国式のスーパーだった。豊富な品ぞろえに目がくらみそうになった。デリカテッセンのコーナーでは、サラミを試食することもできた。案内員の一人は「ゆっくり見てってね」と声をかけてくれた。
自分たちのアパートでは、マリーヤは定期的にウクライナ料理を作った。ところが、子供2人は病院の喫茶で食べるのが大好きになった。
チーズバーガーやマカロニアンドチーズを頼んだ。ナマズの揚げ物にすら手を出した。米南部の伝統的な一品だ。結局、お気に入りは、細く切ったチキンとフライドポテトの盛り合わせになった。
母国が戦時下にあることを娘は知っている、とマリーヤは話す。「何が起きているかは、いや応なしに分かる。空襲警報だって耳に入ってくる。でも、それが何を意味するかまでは知らないと思う」
リビウでは、地球の反対側にいる家族がどうしているのか、夫が心配していた。
筆者が電話で話すと、娘は長年の治療中、小さいながらもよく病気に立ち向かっていたとほめた。「とても、強い子なんだ。正真正銘のウクライナ人さ」
クリスティーナとセルゲイは、とても仲のよいきょうだいだ。兄は、妹を常に守ってあげようとする。病院に入るとき。担当医の部屋に向かうとき。英語のレッスンを受けるとき。必ず妹の手を握る。
「生まれたときから妹が大好きなんだ」と兄はいう。「ずっと一緒にいられる新しいお友達ができた気持ちだった」
だから、よく面倒を見る。もちろん、たまにはけんかもする。「でも、仲直りに時間がかかることなんて、一度もなかった」
妹が病弱なのは、痛いほどよく分かっている。膠腫の影響は、目に出る。妹の左のまぶたは半分垂れ下がり、その目の上は少し膨らんでいる。
メンフィスに着いてほどなく、マリーヤは2人の子供とウクライナから一緒に来た女の子マーリャを初めて動物園に連れていった。キリンやライオン、シマウマのところでは、みんな食い入るように見つめ、なかなか動こうとはしなかった。
それでも、渡米して2週目の終わりごろになると、休暇でここにいるわけではなく、故郷から遠く離れているという現実が影を落とすようになった。
「今日、飛行機に乗ってお家に帰れる?」と夕食のときにクリスティーナは母に聞いた。その返事に、思わずわっと泣き出してしまった。
すると、優しく背中をさすってあげる兄の姿があった。(抄訳)
(Miriam Jordan)©2022 The New York Times
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