ポニーテールに束ねた髪。愛用のブルージーンズ。それに、パンクバンドのベース弾きでもある。
そのセルゲイ・グシチン(50)を見て、すぐに世界最北のロシアの外交施設を託された総領事だと分かる人は、まずいないだろう。
ここはスバールバル諸島。ノルウェー本土と北極点の間にあり、ノルウェー領になっている。とはいえ、国の区別なく人と接することが住民の誇りだった。
ロシア人とウクライナ人、ノルウェー人が、もう何十年も肩を並べて暮らしてきた。厳しい自然が支配する世界の最果てにポツンとあり、ホッキョクグマで知られるほかは、急速な温暖化で話題にのぼることぐらいだろうか。賛否が割れる政治とは無縁だった。
緯度の高い極北の地では、こんなことがよくいわれる。「スノーモービルが故障したら、直すのを手伝うのに誰も国籍なんか聞きはしない」
しかし、ロシアのウクライナ侵攻が発したこだまは、「地球のてっぺん」のこんな遠隔地にまで届くようになった。長らく培ってきた公私にわたる信頼関係や文化交流だけでなく、スポーツのよきライバル関係ですら維持することが難しくなってしまった。
原因はグシチンの言動にあった。これまでは、住民みんなの仲を取り持つ「身内の一人」と見られていた。それが、ウクライナ侵攻について、「ノルウェーの報道機関が流すのはほとんどがフェイクニュース」といい始めた。
驚きと怒りの声が上がった。採炭の町バレンツブルクのロシア国営事業(訳注=バレンツブルクはこの諸島で唯一、人間が定住するスピッツベルゲン島の2番目に大きな町でロシアの居留地。ロシア国営の石炭採掘企業が町を事実上運営している)へのボイコットを(訳注=スピッツベルゲン島最大の町で、ノルウェーの地域行政府があるロングイェールビーンの)スバールバル観光局が呼びかける事態になった。
バレンツブルクにあるロシア観光当局のトップを2021年まで務めたティモフィー・ロゴジンは、「反体制派」を自称する。このところ、(訳注=ロシア発の対話アプリ)「テレグラム」で、ウクライナ侵攻についてのロシアのプロパガンダに反論するのにかなりの時間を費やしている。ウクライナ各地で明らかになった残虐行為については、「過ちではない。犯罪だ」といい切る。
「スバールバル諸島は、あらゆる国の人々が平和に仲良く暮らせるようにしてきたところ」。ロングイェールビーンにある「スピッツベルゲン・アーティストセンター」の所長で米国人のエリザベス・ボーンはこう強調する。この諸島でノルウェーが中心になって展開する交通、商業、研究、大学の諸活動の結節点になっている組織だ。
「そんな状況に終止符が打たれる危険が生じている。とんでもない悲劇になる」とボーンは警告する。
ロングイェールビーンは、バレンツブルクから北東30マイル(約48キロ)ほどのところにあり、50カ国の約2500人が暮らしている。この二つの町の間では、歌や踊り、チェス、バスケットボールといった文化・スポーツ交流が旧ソ連時代から続いてきた。
両町を結ぶ道路がないことを考えると、こうした交流が長続きした意義はいっそう増すだろう。行き来するには、いまだにスノーモービルか船、ヘリに頼るしかない。
「まあ、ロングイェールビーンの人たちは、私の顔は見たくないのかもしれない。でも、私以外の町民は歓迎してくれるよ」とグシチンは肩をすくめる。
1920年に結ばれた条約(訳注=通称「スバールバル条約」。1925年発効。日本も原加盟国)は、この諸島の主権がノルウェーにあることを認めた。しかし、ソ連(崩壊後はロシア)を含むほかの国々にも、鉱業や観光を営み、科学研究をする平等な権利を与えた。
バレンツブルクのロシア総領事館は、グリーン・フィヨルドを見晴らすところにある。町には、旧ソ連時代の屋外博物館のような趣が漂う。レーニンの胸像が立ち、キリル文字の標識は今も「われわれは共産主義を目指す」とうたう。改装されたスターリン様式のアパートのブロックが並び、火力発電所の大きな煙突はここで採れた硫黄分の多い石炭の煙を吐き出している。
最盛時の人口は1千を超えた。グシチンによると、現在は約370人で、その3分の2はウクライナ人だ。
炭坑作業員のほとんどは、ロシアとの関係が深いウクライナ東部ドンバス地方から来ている。ウクライナ軍と親ロ派分離主義勢力との武力衝突が2014年に始まったところだ。この地方から来て、観光など別の産業分野で働く人たちもいる。
筆者は、バレンツブルクに滞在した22年4月半ばに多くのロシア人とウクライナ人に取材を試みたが、政治的な話題には応じてもらえなかった。
そんな中で、ロシア人ツアーガイドのナタリア・マクシミシナはロシア大統領のプーチンをキッパリと批判した。ロシア軍による戦争犯罪の可能性に触れながら、「次に彼を見るのは(訳注=国際刑事裁判所〈ICC〉があるオランダの)ハーグであってほしい」と明言するのだった。
バレンツブルクの町は、ロシア国営の石炭採掘企業「トラスト・アルクティクゴル(Trust Arktikugol)」(訳注=「Arktikugol」はロシア語で「北極石炭」)によって運営されているといってよい。先のスバールバル観光局によるボイコットは、この町のホテルや居酒屋「赤い熊」、醸造会社、レストラン、土産店を利用しないことを推奨している。
筆者が訪れた4月半ばは、小さな船でやってきた観光客のいくつかのグループがいるほかは、町はガランとしていた。コロナ禍になる前は、観光は採炭より多くの収入をもたらしていたとグシチンは語る。
今ではトラスト・アルクティクゴルは毎週、巨額な収入を失うようになってしまった。ここまで足を延ばす観光客の多くは食べ物を持参し、長くは留まらないようになった。
ボイコットへの批判もある。ロシアの本国政府への影響は、地元バレンツブルクほどには大きくない。ロシアの銀行が発行したクレジットカードは、すでに国際的な制裁でノルウェーでは機能しなくなっている。フライトの確保も難しい(訳注=だから、旅行の日程を組むのも難しいのに、ボイコットまで求めるのか)……。
グシチンに話を聞くと、軽口をたたくこともあった。おかげで自分のバンドのソロギタリストがやめてしまったと嘆いた。「ベースとドラムの奏者だけでは、ロックじゃなくてパンクになっちゃうよ」
重い口調にもなった。総領事館のレセプションエリアにある暖炉に薪をくべながらも、急に冷え込んだ自分と島の他の住民との関係を温め直そうとはしなかった。
「ウクライナの港湾都市マリウポリの建物を壊したのは、ロシア軍の砲弾やミサイルではない。ナチスに通じる思想を持つウクライナの大隊の仕業だ。包囲された病院の外で撮影された妊婦も、患者とは違う」――ノルウェーのオンライン新聞ネッタビースンについ最近、英語で語ったこんな一方的な発言を改める気はなかった。
ロシア当局者の肩書があるからそんなことをいうのか、とこの新聞に尋ねられたグシチンは、「個人としての考えでもある」と答えている。公私で違うことをいうようなら、即座に職を辞さねばならないとすら語っている。
筆者には、改めてこう話した。「それが多くのノルウェー人の感情をひどく害したことは、よく分かった。でも、自分の考えを話しただけなんだ」
その発言が多くの人々に不快感を与えた理由は、ほかにもある。グシチンはロシア正教会の副司祭もしており、その立場と相いれないという見方だ。
ロングイェールビーンにあるスバールバル教会で21年8月、正教会の重要な宗教儀式である聖体礼儀を執り行うのをグシチンは副司祭として手伝ったことがある。
ロングイェールビーンはプロテスタントのルター派を奉じるノルウェー国教会の小教区になっており、この教会の牧師シーブ・リムストランドはグシチンにはよい印象を持っていた。「とても親切で気さく。形式にこだわることはなかった。意思疎通をよく図り、何かと協力的だった」
それが、一変した。
「みんながっかりした」とリムストランド。「一国の役人であり、それほど多くを望んではいけないのだろう。それにしても、もう少し外交上手に対応できたのではないか」と首を振った。
グシチンがバレンツブルクに赴任したのは、18年11月だった。今は、後任が来るのを待ち望んでいる。早くモスクワに戻って、娘(22)と母(82)に会いたい、と妻ともども思うようになったからだ。
それが、プーチンに抗せない本音なのかもしれない。グシチンをここで知る多くの人は、内々ではそう話している。
本人は、外見の印象にまで敏感になっている。総領事館にあるホッキョクグマの剥製(はくせい)とともに写真を撮ろうとすると、拒まれた。ロシアの武力侵略の象徴と誤解されかねない、との理由だった。
ロングイェールビーンで5月21日にある文化交流会にも、出るつもりはない。「誰も挑発しなくて済むように」
「ロシアとウクライナの多くの同胞に加えてノルウェーの人たちも、私が参加するのを快くは思わないだろう」と見ているからだ。
スバールバル諸島に赴任したときは、「夢のような仕事」に就き、大きな冒険に出るような気持ちだった。一方で、今は本国に帰任する用意もできているという。
そして、一度ため息をついてから、笑ってみせた。
ウクライナ戦争が「もっとひどく、地球規模にまでならないよう」期待はしている。第3次世界大戦が発生し、「ここで身動きがとれなくなってしまったら、家に帰るどころではなくなってしまうから」。
最後には、ブラックユーモアが飛び出した。(抄訳)
(Jeré Longman)©2022 The New York Times
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