小さな米領の島グアム。ニコラス・イバニェス(41)は、よく一人で自分のトラックを運転してあちこちを動き回る。制服姿の手元には、リストがある。路上から排除せねばならぬこの島の最も危険な動物たちが載っている。
朝8時前には動き出す。コーヒーを片手に、車で行ったり来たり。最近は暗くなってからも出動する。仕事を妨げられるのを避けるためだ。
走りながらワナを仕掛ける場所を探す。森のはずれに木陰の多い一画はないか。箱にはワナ用のエサがある。地元のジャマイカ料理店から分けてもらったニワトリの肉片。ケンタッキーフライドチキンの一切れ。ウィンナーソーセージ……。
相手は野良犬。そして、イバニェスはグアム政府のただ一人の捕獲人だ。
何時間働こうと、所属する動物管理事務所をどれだけ空けていようと、この現実から逃れることはできない。島の捕獲人は自分一人しかいない。一方の野良犬は少なくとも3万匹はいる。
この仕事に就いて、5年余りがたった。「あまりにも問題が多く、あまりにも連中は多い。いつも、何かのトラブルが待ち受けている」
「それに危険だ。自分はかまれたことはない。そんなことは御免こうむりたい」
人口17万のグアムでは、いたるところに野良犬の群れがいる。「ど田舎の犬ども」という蔑称で呼ばれる嫌われ者だ。
ハイウェーを横切り、車を追いかけてくることもある。豪華なホテルの駐車場をうろつく。高級住宅街では、区割りを示すいくつもの袋小路がお気に入り。そこにあるココナツの木陰で、ゆったりと寝そべる。
いかに危険か。ソーシャルメディアでは住民の訴えが相次ぐ。タキシードを着たような黒白模様の猫。目をやられて血を流し、首の周りまで赤く染まっている。マンションの3階まで上がってきて、ペットを狙いもする。
まだある。動物管理事務所でイバニェスが写真をめくると、かまれて足を真っ赤にしたペットの犬がいる。玄関先に立つ幼い女の子に、牙をむく姿もある。
「野良犬の80%は、危険な連中といえる」とイバニェス。「子供だけでなく、お年寄りもかまれたという報告が病院から入ってくる。昔はバス停までは犬に追いかけられることもなく行けたものだったが」
島はもう何十年も野良犬と闘ってきた。1967年には米軍が発砲して駆除に乗り出した。狂犬病が発生したからだ。しかし、敵もさる者。巧みに逃げ回り、なかなか撃たせない。そこで、毒を仕掛ける作戦に変更された、とサイラス・ルーハーは語る。政府の資金援助を受けている唯一の地元の動物保護団体「グアム・アニマルズ・イン・ニード(以下GAIN)」の理事長だ。
グアム島の広さは約200平方マイル(約518平方キロ〈訳注=淡路島が約592平方キロ〉)。そんな小さなところで、住民と野良犬の比率は、ほぼ6人対1匹ということになる。これは、ダイナマイトを積み上げたような危険な数字だ、という見方すらある。
「(訳注=現在は島内にはないとされるものの)狂犬病は非常に現実的な脅威になっている」とGAINの常任理事アリソン・ハドリーは顔を曇らせる。「ここには、世界中から船が入る。もたらされる可能性はあまりに大きく、狂犬病のことを考えるとゾッとする」
21年夏には1本の動画がまたたく間に島中に広がり、野良犬問題をめぐる論議に火をつけた。
動画は空港近くの廃屋ビルに野良犬が群がっている様子を映していた。約50匹もおり、みな大きな体格をしていた。
自治体の各首長や動物保護団体、子を持つ親たちが強い関心を寄せ、この話題は地元紙の1面を飾るようになった。公の場での論議は白熱し、何カ月も続いている。
ときには、極論も交わされた。ハンターに撃たせる許可を出すべきだ。いや、何もすべきではない。静かに見守った方がよい(野良犬は捕まると、まず保護施設に入れられる。飼い主を探し、健康状態があまりに悪い場合は安楽死させることになる)。
「単純に野良犬嫌いな人がいる。ニュースによく出てくるが、毛嫌いし、『撃ち殺せ、毒殺しろ』と騒ぐ人がいる。逆に『それなら、群れにエサをやる日程を立てよう』という人もいる」。看護師のジュリー・カニンガムは、住民の反応をこう分類する。自身は21年に入って、飼い猫を危うく3匹の野良犬にかみ殺されるところだった。
こうした島内世論の分裂は、イバニェスの日々の仕事にも影を落とした。暗くなってから、出動するようになったことだ。明るいときだと、一部の動物愛護活動家の妨害にあった。ごく少数だが、自分を侮辱したり、大声を出して野良犬を遠ざけたりした。
「最近までは、仕事で問題を感じることはなかった。ところが、ビデオカメラを自分の顔に突きつけられるようになった」
そして、こう付け加えた。「そんなときは、体が震えてくる。自分は、悪人ではない。この問題に決定権があるわけでもない。せめて、ストレスを家に持ち帰らないようにしている」
グアム島の野良犬対策の歴史は長いが、これだけ乏しい人的・物的資源で立ち向かうのは初めてのことだ。
グアム政府で担当する動物管理部は、2000年代初めに農業局に移管され、合理化で多くの人員を失った。2020年の後半に最後の同僚がやめると、イバニェスはたった一人の野良犬捕獲人になった。
「グアムの公的機関は、どこも資金不足が著しい」と先のルーハーは嘆く。「これまでも、常にそうだった」
「野良犬の捕獲は、もともととても難しい仕事だ」とルーハーは指摘する。「これまでの担当が受けてきた大きな負荷が、資金不足の中で捕獲人の減少につながった。緊急事態が絶え間なく続くというひどい状況が、そこにある」
動物管理部は要員を増やそうとはしている。あの空港近くの野良犬動画が広がってから、グアム政府は動物保護施設の年間予算を15万ドルから60万ドルに増やす法案を通しもした。
この問題に詳しい筋は、長期的には無料か低料金での避妊措置が最良の解決方法だと話す。ただ、島内の獣医は慢性的に不足しており、ペットの避妊が大切なことを教える体制も不十分なままだ。
「そのどれをも少しずつ改善していきたい」と農業局長のチェルサ・ムナブレヒトは語る。「適切な人材と島内の協力を得て、少なくとも2、3年をかけないと、事態はよい方向に転換しないと思う」
この問題をめぐる熱い論議が続く中で、イバニェスはマイペースをほとんど崩さずにいる。いつも通りに野良犬を捕まえ、動物の虐待を調べ、どう猛な野良犬が出没する地域を巡回する。
そんな自分を責める投稿がソーシャルメディアに出ても、無視することにしている。夕方は妻と過ごし、精神的な負担を少しでも減らそうとしているという。
「取り組むべきことは実に多い。相手が大事に思う動物をこちらが駆除しようと思えば、反感も買うだろう。動物の具合が悪かったり、死にそうになっていたり、虐待されていたりするのを見れば、感情的にもなるだろう」とイバニェスは冷静に語る。
「でも、それに流されてはだめだ。それをきちんと扱うのが、こちらの仕事。できなければ、『君には向いていない』ということになる」(抄訳)
(Kelly Kasulis Cho)©2021 The New York Times
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