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「世の不条理を正すことに人生をかける」 慎泰俊を突き動かす「国籍」と「一冊の本」

Breakthrough 突破する力 更新日: 公開日:
日ごろ、「民間版の『世界銀行』になる」と語っている。「彼ならやってみせるかも、と思わせる実行力が備わっている」と、周囲は口をそろえる=伊藤進之介撮影

「ニワトリを買った顧客の事業がこんなに大きくなりました」「3年前のあの顧客、子どもを大学に送ることができました」

慎泰俊(40)のもとには、アジアの国々の同僚から報告が届く。慎が創業した会社の金融サービスで、お金を借りられた人たちの声だ。

代表を務める五常・アンド・カンパニーは途上国の貧しい人に少額のお金を融資するマイクロファイナンスを手がける。日本を拠点にカンボジアとスリランカ、ミャンマー、インドで事業展開し、融資先の9割以上は子どもがいる女性だ。社名は二宮尊徳がつくった信用組合「五常講」にちなむ。

日本円にして1羽500円で買ったニワトリが1羽につき年間200個ほどの卵を産んで、1個10円で売れたら利益を食費にあてられる。借りた1万円でミシンを買えば手縫いの何倍も生産できる。慎の顧客は十分なお金が手元にないが、暮らしを少しでもよくしたいと思う人たちだ。

東京都渋谷区のオフィスで

慎はいわゆるベンチャー起業家だが、単にそう言っては彼の本質をとらえられない。「僕が人生をかけられるのは、世の中の大きな不条理を正すこと。虐げられている人、代弁されることがない人、貧困の中に死にゆこうとしている人がいる世界の状態を、すこしでもよいものに変えられるのであれば、僕は死ぬときに満足できる」。自身が10年ほど前、自著に記した文章だ。

慎の人間形成に大きな影響を与えたものは何か。それは、「国籍」だろう。慎は「朝鮮籍」を持つ。朝鮮籍とは、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の国籍ではない。法律的には「無国籍」ともいえる扱いで、朝鮮半島から移り住んだ人たちに国が戦後、便宜的に与えたものだ。慎は朝鮮籍について「国籍とは似て非なるもので、単なる記号でしかない」という。

慎泰俊さんの再入国許可書=伊藤進之助撮影

国籍がないから、パスポートは持っていない。代わりに日本政府から発行された「再入国許可書」を持って海外に出かけると、空港では入国審査官から不審の目を向けられる。

「Where are you from? What's your nationality?」(どこから来たのか? 国籍はどこなのか?)

何度言われたことか。別室で取り調べのように事情を聴かれることも。昨年はダボス会議のために訪れたスイスの空港で、身元確認に1時間以上かかった。そのたび、えもいわれぬ不条理を感じる。生まれた境遇の違いで、どうして不利益をこうむらなくてはいけないのか。

■父親がかき集めてくれた100万円

朝鮮初中級学校、中高級学校を経て、朝鮮大学校に入学。大学1年生のころは「人権運動を通じて世の中に機会平等をもたらしたい」と思ったが、のちに「世界のルールは資本主義。まずはこれを知るべきだ」と考えた。海外でMBA(経営学修士)を取得しようと留学をめざしたが、職歴がないことが響いて断念せざるをえなかった。

その後、早稲田大学大学院ファイナンス研究科に合格したが、入学に必要な120万円ほどのお金が、裕福ではなかった慎の家庭にはなかった。困っていると、父親がある日突然、100万円の現金が入った分厚い封筒をポケットから取り出した。家族のことで他人に頼みごとは絶対しない性格の父親が知人や親類に頭を下げ、かき集めてくれたのだった。残りの20万円も何とか工面できた。「あのときの100万円がなかったら、いまの自分はなかった」

在学中、アルバイトをしていた米金融機関モルガン・スタンレー・キャピタルに正社員で採用され、投資業務のプロとしてキャリアを歩みはじめた。貧困を減らすという初心は忘れないようにしたが、仕事が波に乗ると志が薄れるのではと、かえって不安になった。「資本主義の実行者で終わってしまうのではないか」

五常・アンド・カンパニーのオフィスにある慎泰俊の書棚。英語の本をたくさん読んでいる=伊藤進之助撮影

そのころ、米経済学者ジェフリー・サックスが貧困の現実とそれをなくす方策を記した「貧困の終焉」という本に出合った。心を揺さぶられ、ブログで有志を募り勉強会を始め、2007年に設けたNPO法人のLiving in Peaceに発展。マイクロファイナンスを知り、「金融で何かできるはずだ」と考えた。

当時は、投資とNPOの二足のわらじ。「資本主義最前線の仕事と社会貢献を同時にやるのは、なぜか?」とよく聞かれたが、慎の中に矛盾はなかった。「投資業務は社会の成長を支え、その果実を分配するのがNPO。二つがそろって社会が豊かになる」。

さらに金融のキャリアを積むと、会社を辞めて五常を設立。農村の生活向上に力を尽くした二宮尊徳の「経済なき道徳は戯言であり、道徳なき経済は犯罪である」という言葉をビジネスで体現していった。

その後、マイクロファイナンス機関を各国に設けたり子会社化したりして猛烈なスピードで会社を大きくした。世界のグループ従業員は5500人を超え、顧客は75万人を突破し、融資残高は400億円にせまる。ノウハウを持つ従業員を現地で育て、その土地に合ったサービスを広げていく。

■やりがいに左右されない

顧客の女性たちと一緒に。最後列の一番左が慎泰俊=五常・アンド・カンパニー提供

仕事は「現場」にこだわる。コロナ禍で回数は減ったが、農村の生活事情を知りたいと思ったら、現地の人と寝食を共にし、実情を知ったうえで、1万円、2万円のお金を必要とする人に融資したいと考えている。「必要なお金が必要なタイミングであれば、より多くの人の生活がよくなる」という確信がある。

事業を大きくするには資金を調達する必要があり、数年内の株式上場をめざす。一般に起業家のやりがいの一つは上場で得られる富だが、慎はそこに重きをおかない。代表の慎よりも給料が高い社員は多く、自身の財務状況を社員に公開している。結婚を機に引っ越したが、最近まで住んだのは築40年のワンルームだった。

世界最大級の投資ファンド、コールバーグ・クラビス・ロバーツ(KKR)日本法人で社長・会長を務めた蓑田秀策(70)は慎をよく知る一人で、事業に共感して個人で出資する。「志がないままお金を動かすのは単なるマネーゲームだが、慎氏には、貧困を減らすという明確な志がある」

慎は、自分のビジネスだけで、自身が抱く志を実現できるとは思わないが、その一助を担う意義は感じている。「やりがいがある仕事ですね」と話を向けると、しばらく考え込んだ。「やりがい……ですか。やりがいがゼロでも、いい仕事をするべきだと思う。お客様から感謝の言葉をいただいたらうれしいですが、それに左右されず、常に同じ質の仕事をしたい」

慎はいまも再入国許可書を携え辛抱強く出入国を繰り返す。パスポートがほしければ日本国籍などにする選択もあるが、そのつもりはない。「朝鮮籍を変えれば、目の前の不条理は回避できても不条理そのものをなくすことにはつながらない。ささやかな個人抗議活動のようなものです」とさらりと言う。

正義への思いは人一倍強いが、不条理や貧しさを自ら体験してきた分、他者に対する慎のまなざしはやわらかい。これからも、しなやかに不条理や貧困に立ち向かうだろう。(文中敬称略)

■プロフィル

  • 1981 東京都墨田区に生まれる
  • 1994 東京朝鮮第7初中級学校(東京都品川区)に入学
  • 1997 東京朝鮮中高級学校(東京都北区)に入学
  • 2000 朝鮮大学校法律学科に入学
  • 2006 早稲田大学大学院ファイナンス研究科に入学
  •     大学院在学中、米金融モルガン・スタンレー・キャピタル社員に
  • 2007 NPO法人「Living in Peace」を設立
  • 2010 投資ファンド「ユニゾン・キャピタル」に入社
  • 2014 「五常・アンド・カンパニー」を設立

本州縦断ウルトラマラソンに参加したとき、北陸地方で撮影した1枚(本人提供)

読書好き………小学生のころ「通学は電車とバスで往復2時間。その間ずっと本を読んでいた」。1年生で小説家ビクトル・ユーゴー「レ・ミゼラブル」の児童版を読み、5年生で吉川英治の大作「三国志」を読破した。ランドセルを背負いながら本ばかり読んでいたので、周りの人たちは「まるで現代の二宮金次郎だ」。いまも読書が好きで、歴史、科学、小説などが好きなジャンル。ビジネス書はほとんど読まない。

「寝技」にはまる………体を鍛えることが、とにかく好き。13年に本州縦断ウルトラマラソン(計1648キロ)を約1カ月かけて完走した。いまも休日は高尾山に出かけて、往復で約30キロを走り込む。格闘技も好きで、空手とキックボクシングは経験済み。最近はまっているのは寝技のブラジリアン柔術で、足しげくジムに通っているという。