水曜日(9月29日)の朝、ここ英国のリバプールで新学期が始まると、学生たちははやる思いでリバプール大学の教室へと向かい、考古学、言語学、国際関係学といったコースへの取り組みを始めた。
だが、この大学のコンクリート造りのレンダルビルにある5番教室では、従来にはあまりない課程が進められていた。ビートルズに徹した修士号のコースだ。
「ビートルズ学修士の講義は何から始めればいいでしょう?」。このコースを創設した米国人学者ホリー・テスラーは11人の熱心な院生に向かって尋ねた。院生の一人はオノ・ヨーコのTシャツを着ていたし、腕にイエローサブマリンのタトゥーを入れている院生もいる。
「やはり、音楽をかけることから始めなくてはと思いました」とテスラーは言った。
彼女はその後、「ペニー・レイン」のミュージックビデオを流した。「ペニー・レイン」は、ビートルズがリバプールにある実際の通りに捧げた曲で、教室から車でちょっと行ったところにある。
「ビートルズ――音楽産業と遺産」という通年コースでは、過去50年間のビートルズに対する認識の移ろいとビートルズの物語の変化がレコード業界や観光業界といった商業部門にどう影響を及ぼしたかに焦点を当てる。彼女は講義前のインタビューで、そう話していた。
このコースのもう一人の講師マイク・ジョーンズによる2014年の研究だと、ビートルズのホームタウンであるリバプールには、このバンドとの結びつきで、年に1億1千万米ドル以上の価値がもたらされてきた。観光客は、ビートルズの楽曲にちなむ名前の街を巡り、彼らが演奏した会場――たとえばキャバーン・クラブのような場所――を訪れ、ビートルズの彫像と一緒に写真を撮る。テスラーによると、ビートルズには常に、彼らの音楽と同じくらいの経済的かつ社会的なインパクトがあった。
このコースを通して、院生たちは単なるビートルズファンであることから抜け出し、新たな視点でビートルズを考察する必要があるとテスラーは付け加えた。「ただ座って『ラバー・ソウル』に耳を傾け、その歌詞について議論するような学位がほしいとか、必要だとかいう人はいない」とテスラー。「それはパブですることだ」
「ペニー・レイン」にほぼ焦点を絞った水曜日の講義で、テスラーは「物語理論」や「トランスメディアリティ」といった術語を用いて「文化的ブランド」としてのビートルズについて考えるよう促した。
そして、テスラーはそうした発想を最近のビートルズ関連のイベントに当てはめてみた。彼女が言うには、ブラック・ライブズ・マター(BLM)の抗議活動が英国中に広がり、実際のペニー・レイン沿いの道路標識が汚された。彼女の説明によると、ペニー・レインの名は18世紀の奴隷商人ジェームズ・ペニーからとったとの説がリバプールでは長い間信じられていた。(リバプール市の国際奴隷博物館は2007年、奴隷制に関連する通り名の双方向型ディスプレーにペニー・レインを記載したが、現在は奴隷商人にちなんで名付けられた証拠はないと言っている)
「通りの名を、えーと、たとえばスミス・レインに変えたら、どうなるか?」とテスラーは問いかける。リバプールの観光の目玉を奪うことになるだろうと彼女は言う。「かつてはペニー・レインと書かれていた標識の脇で、(写真を撮るために)ポーズをとるなんて出来っこない」。通りの名をめぐる熱狂は、ビートルズに関する物語がいかに現代の議論と交差し経済的な影響を与えるかを示している、と彼女は指摘する。
このコースを履修している11人の院生――女性3人、男性8人で、年齢は21歳から67歳――は皆、ずっと前からの「ビートルズオタク」だと言っている(2人の院生はそれぞれ息子に、ビートルズの代表的な曲名から「ジュード」と名付けた。ジョージ・ハリスンにちなんで、息子にジョージの名を付けた院生もいる)。
デール・ロバーツ(31)とダミオン・ユーイング(51)の2人はプロの観光ガイドで、ビートルズ学の修士号が顧客の獲得に役立ってほしいと思っている。「リバプールの観光業界は競争が激しい」とロバーツは話す。
アレクサンドラ・メイソン(21)はこのほど法学の学位を取得したが、ビートルズ学のコースがあることを耳にし、進路を変えることにした。「どうしても弁護士になりたいなんて、思っていなかった」と彼女は言う。「もっと華やかで創造的な何かをしたいと、いつも願っていた」
「私の気持ちの中では、バカバカしいことから崇高なことへと移行したのです」と彼女は付け加え、だけれども、その反対のことをしたと思う人もいるかもしれないと言っていた。
ビートルズについての大学院の学位は珍しいが、彼らのことは他の文脈で何十年間にもわたって研究対象になってきた。リバプール大学名誉教授で、建築評論家のスティーブ・ベイリーは1960年代、リバプールのクォーリーバンク高校――ジョン・レノンの母校でもある――の生徒だったころ、彼の英語の先生がジョン・キーツの詩と一緒にビートルズの歌詞を教えてくれたと振り返っている。
ベイリーは1967年、レノンに手紙を書き、「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」の歌詞についての分析を手伝ってほしいと頼んでみた。ベイリーの話だと、レノンは「基本的に『分析は不可能』との返事をくれた」と言う。
だが最近は、ますます多くの学者がそのような研究をするようになってきている。さまざまな分野の研究者がビートルズについて論文を書いており、その多くが人種問題やフェミニズムに関するビートルズの視点を探究していると、テスラーは言う。来年、ビートルズ研究のジャーナルを発行する計画だと話す。
とはいえ、リバプールには、ビートルズに学術的な価値があるとは思っていない人もいる。ペニー・レイン周辺でのインタビューでは、地元の2人がビートルズ研究のコースを奇妙な発想だと思っていると話した。
「そんなことを研究して、どうしようというのか? それでがんを治すつもりじゃないんだろう、そうなのかい?」。ペニー・レイン理髪店の経営者アデル・アランは、そう言っていた。
「まったくばかげたコースだ」。イヌを連れて散歩をしていたクリス・アンダーソン(38)の感想だ。その後、大学の学位なんてどれもこれも「まったくバカバカしい」と思っていると付け加えた。
もっと前向きな人もいた。「何であれ、研究の対象になる」とイーファ・コリー(19)は言う。「生真面目なテーマに取り組むことで自分の力量を示す必要なんてどこにもない」
テスラーは水曜日のクラスを、今学期の残りの講義の概要説明で締めくくった。レノンとポール・マッカートニーが1957年に教会のホールで初めて出会ったというセント・ピーターズ教会やビートルズが楽曲で不滅の存在にした、かつての児童施設ストロベリーフィールド(訳注=リバプール郊外にあった元戦争孤児院の名前で、ジョン・レノンが幼少期を過ごしたとされる家の近くでもある)を訪ねることなど、ビートルズファンなら誰もが楽しめるプログラムだ。このクラスでは、テレビ番組「エド・サリバン・ショー」への有名な生出演や、1980年のレノン暗殺などビートルズの歴史の重要な場面を取り上げるとテスラーは言っている。
それから、テスラーは「The Beatles in Context」という本をテキストの筆頭にすえた読書リストを院生たちに配った。彼女は、質問はあるかと聞いた。
「あなたの好きなビートルズのアルバムは何ですか?」。イエローサブマリンのタトゥーを入れた院生ドム・アバ(27)が大声で尋ねた。
テスラーは大胆にも、「『ラバー・ソウル』のアメリカ版だ」と答えてから、それが何を意味するのか、明確にした。「誰か、このモジュール(講義内容)について質問は?」
院生たちがビートルズファンだけでなく、ビートルズ学者になるまでには、まだやるべきことがたくさんある。しかし、講義はまだ11カ月も残っている。(抄訳)
(Alex Marshall)©2021 The New York Times
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