米大リーグの記録が、80年ぶりに更新された。45年の歳月をかけてのことだった。
そう、選手ではない。審判の最多出場記録だ。
2021年5月25日。シカゴであったセントルイス・カージナルス対シカゴ・ホワイトソックスのナイターで、ジョー・ウェスト(68)は球審を務めた。1976年に大リーグの審判としてデビューしてから、これが5376回目の記念すべき試合となった。
ウェストの判定は、見ていて楽しいことが多い。逆に、反発されることも同じぐらいに多い。そんな伝説的な個性の持ち主が、ついに伝説となる大記録の保持者になった。
それまでの記録を持っていたのは、ビル・クレムだった。こちらが活躍したのは、球審1人ですべてのプレーを裁いたはるか昔にまでさかのぼる。しかも、手を使った近代野球のジャッジアクションを確立させたと自任する人物なのだ。
「今日の審判が使う判定ジェスチャーは、自分が編み出した」とクレムは語っている。本当にそうなのか。こう主張し始めた当時ですら、確かめようがなかった。反論できるだけの人物が、周辺にはほとんどいなかったからだ。
球審が制服の下にプロテクターを着けるようになったのは、クレムが最初だったといわれる。その現代版防具については、実はウェストが特許を持っている。この2人の間に、さらに2人の審判をはさむと、近代野球史のほぼすべての期間をカバーできる。さあ、年代ごとに振り返ってみよう。
■1905―1941年:ビル・クレム
大リーグのデビューは、ピッツバーグ・パイレーツ対シンシナティ・レッズの試合だった。前者のスタメンには、(訳注=史上最高の遊撃手ともいわれ)米野球殿堂入りしたホーナス・ワグナーがいた。後者には、ミラー・ハギンス(訳注=現役時代は小柄な二塁手として活躍)が名を連ねていた。後に、ベーブ・ルースらの「殺人打線」を誇った常勝ニューヨーク・ヤンキースの監督になっている。
審判として長らく現役を務め、41年9月13日にセントルイスで行われたブルックリン・ドジャース対セントルイス・カージナルスが最後の試合となった(ドジャースでは、名遊撃手ピー・ウィー・リースが先発出場していた)。このシーズンでは、クレムは(訳注=8、9月の11試合に出ただけで)なかば引退していた。年とともに「長老裁定者」と呼ばれるようになり、近代野球の審判の原型を作り上げた。53年に(訳注=もう1人とともに審判として初めて)殿堂入りを果たした。
■1940―1971年:アル・バーリック
クレムと入れ替わりになる形で、40年に大リーグの審判の道を歩み始めた。翌年に、クレムがほぼ引退した形になると、その後釜としての役目を十分にまっとうした。
40年9月8日の試合でデビュー。その7シーズン後に、大リーグが近代体制を整えてから続いていた人種の壁が崩れ、ブルックリン・ドジャースがジャッキー・ロビンソンを黒人選手として初めて迎え入れた。くしくも、バーリックの71年9月26日の最後の試合は、シカゴ・カブス初の黒人選手で、カブスの看板選手を長年務めた名内野手アーニー・バンクスの引退試合と重なった。
この間、兵役と心臓病で4シーズンを休んだ。89年に殿堂入りした。
■1971―2007年:ブルース・フローミング
最初のシーズンは、バーリックの審判団の一員として71年に始まった。現役最後の07年もシーズンを通して出ており、審判のフルシーズンの出場年数ではクレムをしのいだ。
輝かしい試合裁き。批判が集中した判定。語り継がれるほど醜悪なハプニング。そんな場面のいずれにも、「常連」となった審判だった。
一例を挙げよう。まず、ワールドシリーズへの出場。なんと、22試合にも上る。次に、完全試合を葬り去った四球判定。72年にシカゴ・カブスのミルト・パパスが(訳注=9回2死フルカウントで)投げたきわどい球だった。
そして、大乱闘事件。04年にボストン・レッドソックスの名捕手ジェイソン・バリテックが、ニューヨーク・ヤンキースの中心打者アレックス・ロドリゲスの顔面にミットを食らわせたことがきっかけとなった。
フローミングが裁いたノーヒットノーランは11試合。引退後は、大リーグ機構の特別補佐になった。
■1976―現在:ジョー・ウェスト
カントリーミュージックのアルバムを出すほどの歌好き。「カントリー・ジョー」「カウボーイ・ジョー」の愛称で親しまれている。
そんな愛称とは違って、本職での評判は割れる。選手の人気投票では、もうここ何年も「最高の審判」と「最低の審判」のいずれにも名前が出てくる。
同僚思いでもある。大リーグ機構と審判との間に起きた99年の労働争議では、一部の審判たちとともに抗議のために辞職している(02年に再雇用された)。審判組合の委員長として交渉し、最後はみんなのために長期の雇用契約を勝ち取っている。
本職以外にも、さまざまなところで活躍している。歌の世界だけではない。80年代後半から90年代前半にかけての米コメディー映画シリーズ「裸の銃を持つ男」にも、端役として顔を出している。
下した判定には、自負がある。自分に退場させられた選手が、その回数を実際より誇張したなどとして、(訳注=19年に)名誉毀損(きそん)の訴訟を起こした。そして、(訳注=21年4月に)勝訴している。
そのウェストは、今季限りで引退することをすでに明らかにしている。(抄訳)
(Benjamin Hoffman)©2021 The New York Times
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