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原点は、手話で歌ったマイケル・ジャクソン 手で歌う歌手、その奥深い世界

ニューヨークタイムズ 世界の話題 更新日: 公開日:
Brandon Kazen-Maddox, second from right, and Mervin Primreaux-O'Bryant, right, sign during the filming of a music video for メMidnight Train to Georgia,モ in New York, March 13, 2021. A new project is producing sign language covers of 10 seminal musical works recorded by Black female artists. (Justin Kaneps/The New York Times)
手話で歌うブランドン・ケイゼンマドックス(右から2人目)とマービン・プリモーオブライアント(右端)=2021年3月13日、Justin Kaneps/©2021 The New York Times。この日は、米ニューヨーク・ブルックリンのスタジオで1970年代の大ヒット「夜汽車よ!ジョージアへ」の吹き替え版を収録した

明るい照明がともる米ニューヨーク・ブルックリンのスタジオ。2021年春のある日の午後、ミュージックビデオの収録が進んでいた。曲は、1970年代に大ヒットした「夜汽車よ!ジョージアへ(原題:Midnight Train to Georgia)」。2人の黒人男性歌手による吹き替えだった。 でも、その制作は、よく見られる光景とは少し違っていた。

スタジオいっぱいに流れるのは、オリジナルの「グラディス・ナイト&ザ・ピップス」(訳注=ナイトは「ソウルの女帝」の異名を持つ黒人女性歌手)の声。しかし、この日の歌手、マービン・プリモーオブライアントとブランドン・ケイゼンマドックスも歌っていた。手で。

プリモーオブライアントは、耳が聞こえない。俳優であり、ダンサーでもある。

ケイゼンマドックスは、耳が聞こえる。ダンサーであり、振付師でもある。しかも、米国手話(ASL)を母語として話す。耳の不自由な家族が7人という環境で育ったからだ。

この日の2人による「夜汽車よ!」は、黒人女性歌手たちのヒットを10曲にまとめた吹き替え手話歌シリーズの一つ。アート専門のストリーミング・プラットフォーム「ブロードストリーム」向けにケイゼンマドックスがプロデュースしている。

Mervin Primreaux-O'Bryant signs during the filming of a music video for メMidnight Train to Georgia,モ in New York, March 13, 2021. A new project is producing sign language covers of 10 seminal musical works recorded by Black female artists. (Justin Kaneps/The New York Times)
手話歌を熱唱するプリモーオブライアント=2021年3月13日、ニューヨーク・ブルックリンのスタジオ、Justin Kaneps/©2021 The New York Times

音楽は、世界中でさまざまな社会を織りなす力を発揮している。その社会の成り立ちを伝え、感情的知性をもたらし、ある種の帰属意識で強い絆を固める。

多くの米国人は、手話歌を知っている。例えば、アメリカンフットボール最大のイベント、毎年2月のスーパーボウル。人気歌手の国歌斉唱に合わせた手話通訳の手の動きがそうだ(登場回数はさほど多くないにしても)。

手話歌によるミュージックビデオが、YouTubeで急速に増えている。耳が不自由な人からも、そうでない人からも、コメントが飛び交う。手話の豊かさが、より大きな舞台を得て躍動しているようだ。

「音楽って、人によってすごくさまざまな意味を持つ」。耳が不自由な俳優で、ダンサーでもあるアレクサンドリア・ウェイルズは、手話通訳を介したビデオ・インタビューで筆者にこう語った。

2018年のスーパーボウルでは、国歌「星条旗」を手話で歌った。20年には、米作曲家エリック・ウィテカーの合唱作品「Sing Gently(優しく歌おう)」に手話で加わり、YouTubeへのアクセスは何千ビューにも達した。

「耳が聞こえる人には、聞こえない人の音楽は別世界のことのように思えるだろう。それは、私にも分かっている」とウェイルズは続ける。「でも、あなたにとって、音楽やダンス、『美』とは何なの。そこから、耳の聞こえない私も学べるということを、あなたはどう考えるの。そんな対話を、もっと気楽にできるようにしたい」

Mervin Primreaux-O'Bryant signs during the filming of a music video for メMidnight Train to Georgia,モ in New York, March 13, 2021. A new project is producing sign language covers of 10 seminal musical works recorded by Black female artists. (Justin Kaneps/The New York Times)
プリモーオブライアントの手話=2021年3月13日、ニューヨーク・ブルックリンのスタジオ、Justin Kaneps/©2021 The New York Times

ASLをうまく話すには、ダイナミックな動きと豊かな表現、よどみのない流れが欠かせない。手話の構成要因(手と指の形と動き、位置。それに、手のひらと表情の使い方)は、手話特有の体系的なジェスチャーと結びつくことで、音楽にも通じるようになる。

作曲家は歌詞を強調するとき、音でものごとを描くような手法を使う。音を見えるようにする――そこに、ASLを上手に話す人の表現方法と重なる世界が生まれる。

冒頭の収録では、大きなスピーカーからナイトの声が響き渡っていた。一方、耳の不自由なプリモーオブライアントの服には、はるかに小さなスピーカーが取り付けられていた。「曲の感触」が、はっきりと体に伝わるようにするためだった(筆者の取材には、ケイゼンマドックスが手話通訳をしてくれた)。

さらに、(全員耳が聞こえる)収録作業班から指示が出たときに備えて、カメラの死角には手話通訳が立っていた。歌詞は、ノートパソコンの画面に流れていた。

「夜汽車よ!」では、(訳注=映画スターになる夢破れてロサンゼルスから)故郷のジョージアに戻る恋人についていこうとする女性の心情を、ナイトが歌い上げる。それを男性コーラスのピップスがバックで巧みに引き立てる。

今回は、それをケイゼンマドックスが演じた。汽車に乗り込むハイライトの場面。ピップスのバックコーラスは、今にも動き出そうとする汽車の様子として描かれた。楽器が奏でる切ない反復擬音は、別れを告げる汽笛となった。

Brandon Kazen-Maddox signs during the filming of a music video for メMidnight Train to Georgia,モ in New York, March 13, 2021. A new project is producing sign language covers of 10 seminal musical works recorded by Black female artists. (Justin Kaneps/The New York Times)
バレエで覚えた優雅さを歌い込むケイゼンマドックス=2021年3月13日、ニューヨーク・ブルックリンのスタジオ、Justin Kaneps/©2021 The New York Times

ナイトが歌う部分を演じたプリモーオブライアント。原曲を優しく引き延ばす動きが目立った。「not so long ago―oh―oh(そんなに昔のことじゃない)」の音を引っ張る「oh」では、座ったままのひざの上で手をはためくように軽やかに動かした。 2人とも、黒人が使うASLの手と指の形も組み入れていた。

「手は、独自の感情を持つようになる」とプリモーオブライアントはいう。「手そのものに、魂が宿るんだ」

耳の不自由な歌手は、まずあらゆる方法でその曲を体験しようとする。その上で曲の解釈を整え、本番に臨む。多くの場合は、体に感じる音の振動が、自分の感受性を高めてくれるという。

プリモーオブライアントは、ダンサーとしてバレエの練習に励んだ。それもあって、板張りの床を通じて伝わってくるピアノの振動を敏感に受け止めることができる。

プリモーオブライアントが、首都ワシントンにある模範高等聾(ろう)学校(Model Secondary School for the Deaf〈訳注=聴覚障がい者のためのギャローデット大学のキャンパスにある〉)に通っていた1990年代前半のことだ。毎年2月の黒人月間に、マイケル・ジャクソンの曲を手話で歌うよう教師の一人が求めた。

最初は、断った。すると、いきなりスポットライトがあたるところに引っ張り出された。大勢の前で、照明がともった。「仕方なしの出番になった」とプリモーオブライアントは振り返る。

ところが、「自分の中で、何かが爆発した。懸命に手話で歌った。とても、いい感じだった」。終わると、大きな拍手がわき起こった。「舞台で演じることにはまってしまった」

Brandon Kazen-Maddox signs during the filming of a music video for メMidnight Train to Georgia,モ in New York, March 13, 2021. A new project is producing sign language covers of 10 seminal musical works recorded by Black female artists. (Justin Kaneps/The New York Times)
ケイゼンマドックスの手話=2021年3月13日、ニューヨーク・ブルックリンのスタジオ、Justin Kaneps/©2021 The New York Times

手話の合唱団は、長らく世界中で活動してきた。そこにコロナ禍が、転機をもたらそうとしている。

手話と音楽の新たな「見える形」ができつつある。みんなで一緒に一つの作品に取り組むのに、音楽に携わるだれもが使うようになったビデオ技術。その助けを借りた新手法だ。

2020年はベートーベン生誕250年の記念の年だった。「第九」のフィナーレを飾る「歓喜の歌」で世界を結ぶ祝賀事業の一つとして、エジプトのアカペラ合唱団がビデオで登場した。地元の声楽家ダリア・イハーブ・ユーニスが改訳した新しい歌詞を、エジプト方言のアラビア語手話で演じたのだった。

20年の春。コーラスの生の演奏会は、突然、中止を迫られた。新型コロナの感染リスクを問われたからだ。このため、新たな動きが生まれるようになった。

オランダ手話合唱団は、オランダ放送合唱団とオランダ放送フィルハーモニー管弦楽団からの打診を受けて、手話哀歌「私の心は歌い続ける」の合同制作に乗り出した。(訳注=西洋のこぎりに似た楽器の)ミュージカルソーの響きに、耳の不自由なエワ・ハームセンの巧みな手話が溶け合うと、放送合唱団の団員たちは新たに覚えた手話を交えてこれに応じた。

「自分の手で歌うと、意味合いがより深まる」。オランダ語とオランダ手話をともに使いながら、ハームセンは通訳を介して筆者にこう答えた。「自分の声で歌うのも好きだけれど、うまくは歌えない。子供たちにも、『お母さん、声を出して歌わないで』っていわれている」

手話歌の挑戦は、多重唱になるとぐっと難度を増す。例えば、バッハの受難曲。オーケストラとコーラスがそれぞれ独立しながら調和するバロック音楽独特の対位法に、感情のこもった朗唱が加わり、複雑な音の世界を織りなしていく。

21年の4月初め。ドイツ・ライプチヒのアンサンブル「Sing and Sign(手話とともに歌おう)」が、バッハのヨハネ受難曲の一部を初めて手話歌としてアップロードした。この大曲のすべてを作品化しようとする取り組みがもたらした最初の成果だった。

このアンサンブルを結成したのは、ソプラノ歌手のズザンネ・ハウプト。耳が不自由な人たちに振付師を1人入れて、新たなパフォーマンスに挑んでいる。歌詞そのものだけではなく、曲の特徴をも表現しようという試みだ。バッハ自身が、「流れるように」と注釈を加えているようなところが、その手がかりとなる。

「歌詞として書かれている言葉だけを手話に訳そうとは、最初から思わなかった」とハウプトは語る。「曲を目に見えるようにしたかった」

音楽の視覚化。それをだれがなすべきなのかは、論争の的にもなる。

耳の聞こえる人の手話で制作されたミュージックビデオのいくつかは、歌詞の言葉と基本的なリズムを再現したに過ぎず、表現力という点では物足りない――ブルックリンでの収録の合間を縫って、プリモーオブライアントはこう指摘した。

「音楽と結びついた喜怒哀楽の感情表現に欠ける」というのだ。そうなると、耳の不自由な人にとっては「何、これ」ということになってしまう。

プリモーオブライアントとケイゼンマドックスがともに語ったのは、(訳注=音楽に合わせて体を動かす)バレエの練習が自分たちの手話歌に与えたインパクトだ。

ケイゼンマドックスは、20代で毎日バレエ教室に通ったことが、優雅さを歌にもたらしてくれたと考えている。「バレエでしか習えないポール・ド・ブラ(腕の運び)。それを自分は必死で体に刻み込んだ。すると、生まれたときから使っていた手話が、音楽にうまく溶け込むようになった」

俳優・ダンサーの先のウェイルズも同じような体験をしている。ダンスの練習を積んだことが、音楽性を高めてくれた。

「私の場合は、どちらかというと体の動きをより立体的に意識するようになった」とウェイルズは話す。そして、こう続けた。

「だれもが、すごい歌手というわけではない。であれば、手話歌の歌手も同じように、その出来栄えで評価してほしい」(抄訳)

(Corinna da Fonseca―Wollheim)©2021 The New York Times

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