米映画「スパイナル・タップ(原題:This Is Spinal Tap)」のファンなら、主役のへビーメタルバンドが発注したストーンヘンジのレプリカが出てくるのを覚えているだろう。
英国にある新石器時代のあの巨石遺跡を複製し、ステージセットにしようとした。高さが18フィート(5.5メートル弱)もあるはずだったが、単位を間違えて18インチ(46センチ弱)しかないミニチュアになってしまった。
その失敗作をあえてツアーに担ぎ出し、バンドが脇で演奏する。そんなシーンにこびとたちの踊りをからませ、この小道具が少しでも大きくなるように見せかけて面白おかしく演出した。
1984年に公開されたこの映画は、モキュメンタリー(訳注=mockumentary。mock+documentaryの造語。事実であるかのような疑似ドキュメンタリー)の手法で知られる。
それから37年。この巨石ギャグには、小石ほどの歴史の真実が含まれていることが判明した。英考古学専門誌Antiquity(古代)に2021年2月に寄せられた論文が、それを示している。
この研究論文は、英ウェールズのペンブルックシャーで環状列石の遺跡が発掘されたことを詳報している。さらに、その一部が解体されて175マイル(約280キロ)離れたイングランドのソールズベリー平原に運ばれ、再利用されてストーンヘンジとして再建されたとする新説を唱えている。
今回の研究陣を率いた英ユニバーシティー・カレッジ・ロンドンの教授マイク・パーカーピアソンは、この地域にいた人々の大移動があり、巨石も一緒に運ばれたのではないかと見ている。「つまりストーンヘンジは、『中古の遺跡』ということになる」といささか皮肉を込めて語る。
ストーンヘンジは、紀元前3千年から同1500年ごろにかけて、いくつかの段階に分けて造られた。最初は、一組の環状列石を丸く囲む形で堀と土塁の外周が築かれた。この堀と土塁の内側には、計56の白色石灰岩の竪穴「オーブリー(訳注=この竪穴を最初に発見した17世紀の好古家の名前)ホール」が点々と並んでいた。
その竪穴の一つをパーカーピアソンが中心となって2008年の発掘で精査したところ、大きなブルーストーンの石柱が直立した状態で埋め込まれていたことが分かった(ブルーストーンは火成岩で、その色合いからこう呼ばれる)。いずれも高さは9フィート(2.7メートル強)。円形の遺跡の外周に56個がぐるりと並んでいたことになる。
サーセン石と呼ばれるより大きな厚板状の〈訳注=火成岩とは生成過程が違う堆積(たいせき)岩の一種の〉砂岩が登場する何世紀も前のことだ〈このサーセン石は、ストーンヘンジから15マイル(約24キロ)離れたマールボロ・ダウンズの丘陵の南端にあるウェストウッズで採石されたと考えられている〉。
ストーンヘンジで使われたブルーストーンについては、ウェールズ西部の丘陵プレセリ・ヒルズから来ていることを英地質学者のハーバート・トーマスが1923年に立証している。地表に露出したドレライト(粗粒玄武岩)が使われていた。
この地域でパーカーピアソンの研究チームは2011年に二つの巨石の採石場跡地を見つけ、ブルーストーンを用いた似たような祭礼儀式の遺跡が近くにないか探した。いくつかの円形遺跡を調べ、発掘もしたが、新石器時代のものは出てこなかった。
「ストーンヘンジの原型となる遺跡があった証拠を探すのに、大変な時間を浪費していた」とパーカーピアソンは当時を振り返る。
ほとんど諦めかけて戻ってきたのが「ワインマウン(Waun Mawn)」の遺跡だった。数個のブルーストーンが倒れており、円弧を描くような配置だったことがうかがえた。
「この遺跡そのものの記録は、すでに100年ほど前にあった」とパーカーピアソンはいう。「もともとは円形だったのかもしれないという当時の学者の推測は、ほとんど相手にされないか、端的に無視されていた」
自分たちも2011年に調査し、磁気探知機や接地抵抗計で地質学的な特異性を探ってみた。しかし、円形もしくはさらなる遺跡の存在をうかがわせるようなデータは、得られなかった。「だから、ここには何もないという結論になった。それが、とんでもない間違いだった」
諦めかけたものの、再び調べてみたのは2017年の夏。倒れた石が描く円弧の両端部分を掘った。すると、かつては石を支えていた二つの穴が見つかった。さらに、接地抵抗計や地下レーダー探査機、電磁誘導装置で調べようとしたが、役に立たなかった。
そこで、最後の手段として手作業でその先を掘り進んだ。今度は、四つの特異な穴が出てきた。石柱を支えた「受け口」だったが、石柱は取り外されていた。
この受け口と倒れていたブルーストーンの状況から推定すると、直径360フィート(約110メートル)の円形遺跡が浮かび上がった。初期のストーンヘンジを囲んでいた円形堀の直径と同じだった。
パーカーピアソンは、少年のように目を輝かせながら、説明を続けた。
英国では、こうした特徴を持つ新石器時代の遺跡は、ワインマウンとストーンヘンジの二つしかない。さらにうれしいことに、この二つには、もう一つ合致することがあった。いずれも、円の入り口は、夏至の日の出の方角に向いていた。
受け口の穴にある堆積物から、それが最後に光にさらされたのがいつだったのかも分析できた。
こうした調査結果から、ワインマウン遺跡は英最古の環状列石で、紀元前3400年ごろから造られてきたことが分かった。しかも、その後、取り壊されていた。ストーンヘンジの建設が始まる紀元前3千年の少し前のことだった。
そこからパーカーピアソンが導き出すワインマウン遺跡の全容は――。
現存する六つの空(から)の受け口穴と四つの石柱は、30~50個の巨石から成っていた環状列石の一部だった。ただし、初期のストーンヘンジのブルーストーン群ほど計画的には配置されていなかった。四つの石柱は、大きさも容積もストーンヘンジに残る43個のブルーストーンとほぼ同じで、そのうちの三つとは岩石の種類が完全に同一だった。さらに、ストーンヘンジにあるブルーストーンの一つの横断面は珍しい五角形で、ワインマウンの受け口の一つと形状が一致した。
「その穴に立っていたのかもしれない」とパーカーピアソンは見る。「決定的な証拠はないが、強く示唆する状況がある」
では、ワインマウンの巨石は、なぜソールズベリー平原に移動したのか。その答えをパーカーピアソンは、マダガスカルの考古学者ラミリソニナの説に委ねる。ストーンヘンジが持っていた儀式的な意味合いについて、新たな解釈を唱えている同僚だ。直立巨石は先祖の象徴であり、生前の思い出をほぼ永遠に留めるためにあったとしている。
「ワインマウンの解体とストーンヘンジの始まりは、地上と天空が調和する『世界の中心軸』を求めた人々の大移動の一環だったのかもしれない」とパーカーピアソンは語る。その古代人たちは「先祖代々の一族の象徴としてこの巨石モニュメントを持ち運び、新天地に根を下ろすのに欠かせないものと思っていたのではないか」と推測する。
では、数多くの巨石を遠くまでどう運んだのか。(訳注=ブルーストーンの採石場が判明した後の)有力説だった海路についてパーカーピアソンは懐疑的に見ている。「今回の発掘成果は、海路説に待ったをかけた」
というのは、使われたブルーストーンの主な産地は、山地の北側の斜面にある採石場だからだ。「(訳注=海に出るには)勾配のきつい尾根に沿って担ぎ上げ、南側の斜面を下って谷に出なければならない」
それよりも、陸路説をとる。丸太を並べ、その上で最大で4トンもある巨石を引きずったか、木製のそりに載せて運んだことが考えられる。400人もの人手が必要だったかもしれない。
「まるで、月世界に行くようなものだったのだろう」とパーカーピアソンは例える。「ただし、新石器時代のとんでもないほど大変な月旅行だったに違いない」(抄訳)
(Franz Lidz)©2021 The New York Times
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