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K-POPの源流をたどったら、韓国の民主化運動に行き着いた

World Now
ファンに手をふるKARA=2012年1月、大阪市西区の京セラドーム大阪、飯塚晋一撮影

――「K-POP」という音楽はいつごろ生まれたのでしょうか?

K-POPの原型が生まれるのはソウル五輪の開催を前後した1980年代後半から10年ほどの間です。まず80年代後半にマイケル・ジャクソンやマドンナのようなアメリカン・ポップを意識したダンスミュージック、それに「韓国版ニューミュージック」とも言えるモダンなバラードがはやり始めます。日本で人気だった松田聖子や少年隊、光GENJIといったアイドルの影響も受けるようになります。さらに90年代に入ると、米国からブラックミュージック、とくにヒップホップやラップを積極的に取り入れ、音楽市場の主流を変えていきました。

二十歳の頃の松田聖子さん

――どんな時代背景があったのでしょう?

60~80年代の軍事独裁政権下では、音楽だけではなく放送においても政治的、反体制的な内容のものは禁止されていました。放送局やラジオ局も当然、政権に従っていました。ロックフェスなどは考えられなかった。独裁政権が終わっても、すぐにあらゆる文化が開放的になるわけではありません。

例えば、テレビやラジオに出るためには、韓国公演倫理委員会という組織の下で行われる「事前審査」を通さなければならなかった。それがなくなったのは、96年です。韓国語でラップを定着させるなど、韓国のポピュラー音楽史上、もっとも大きな影響力を持ち、「文化大統領」とも言われていたグループ「ソテジワアイドゥル」が、審査に反発したのがきっかけでした。その動きを若者たちが支持したことで社会的関心が高まり結局、事前審査制度はもちろん、韓国公演倫理委員会そのものが違憲と判断され、なくなりました。ポピュラー音楽を通じて未完だった民主化が前進したんです。

――若い世代の存在が大きかった訳ですね。

はい。新しい音楽を生み出し、消費していく過程は、音楽産業だけではなく、社会の構造を変えていく力でもありました。音楽と産業、社会の密接な関係と相互作用は、その後K-POPのあり方として定着しました。

金成玟・北海道大准教授=本人提供

――日本の音楽からも影響を受けたのはなぜでしょうか?

80~90年代、ドラマや音楽、映画などの文化産業においてアジアで最も勢いがあったのは日本であり、そこから影響を受けるのは自然なことでした。新しい文化を求める韓国の若者たちは、当然日本の文化も積極的に受け入れていて、それは音楽の生産と消費、両方に影響していたと思います。ジャニーズのように、歌だけでなくタレント活動もこなせるアーティストの管理方法も韓国にとっては大いに参考になりましたし。

――柔軟な韓国の若い世代によってK-POPが生まれたのですね?

そうです。しかしながら、「K-POP」を生み出したのは韓国の若者だけではありませんでした。

――どういう意味ですか?

90年代後半から、K-POPの原型と言えるアーティストたちは海外でどんどん活動するようになります。大手事務所SMエンターテインメントのボーイバンド「H.O.T.」は90年代後半に中国や台湾などで大人気となります。その頃に「H.O.T.」などを指して中国で使われるようになったのが「韓流」です。

一方、日本でも同じ事務所の3人の女性グループ「S.E.S.」(エス・イー・エス)が98年にデビューし、2001年にはSMとエイベックスによってBoAさんがデビューしました。BoAさんが成功を収めた頃から、チョー・ヨンピルさん、ケー・ウンスクさん、キム・ヨンジャさんが活躍していた頃の韓国歌謡とは異なる韓国のポップ・ミュージックに対する関心が急速に高まっていきます。

――「K-POP」アイドルの誕生ですね?

はい。90年代にかけてつくられた新しい韓国のポピュラー音楽がアジアの若者によって発見されることで、さらなる転換点に立つことになります。それは、「K-POP」という言葉そのものに顕著に表れます。

「J-POP」はバブル最盛期の88年ごろに、日本のポピュラー音楽を定義するために日本で生まれた言葉です。一方の「K-POP」は当初「J-POP」の相対的な概念として日本を中心に使われはじめました。2001年に日本で「K-POPSTAR(コリアン・ポップスター)」という雑誌が創刊され、新聞でも「Kポップ」が使われるようになります。韓国でも広く使われるようになるのはその後です。

今は、J-POPの相対概念としての意味をはるかに超えた音楽空間になったわけですが、それでもつねに柔軟に変化し続けるK-POPの性格には変わりはないと思います。

――韓流同様、K-POPも韓国の外から生まれた言葉なのですね。その後はどうなりますか?

柔軟性が備わった性格は、2000年代半ばから始まる、K-POPの本格的な拡張過程でも鮮明に表れます。韓国で生まれた新しい韓国のポップ・ミュージックでありながら、それを「K-POP」として発見したのはアジアの若者で、さらにグローバル化させたのは世界中のファンたちですから。先ほど「K-POP」を生み出したのは韓国の若者だけではない、と言ったのもそういう意味です。日本においても、2000年後半になると、東方神起が09年にK-POPアイドルとして初の東京ドームコンサートを実現し、翌年には少女時代やKARAが日本デビューし、第2次韓流ブームと呼ばれるようになりました。

――ただ、12年に李明博大統領が竹島(韓国名・独島)に上陸したことで、日韓関係が悪化し、K-POPを含めた韓流は一時期姿を消しました。

それはマスメディアの認識であって、実体は異なります。確かに東方神起や少女時代などが11年に紅白歌合戦に出場してから次にTWICEが出場する17年まで、ほかの地上波を含めK―POPはほとんど聞かなくなりました。各地でヘイトスピーチが起こった時期ですね。

ただ、「NIKKEI STYLE」をもとにコンサート動員数(順位)を見てみると、13年に東方神起が89万人(2位)、14年にBIGBANGが92万人(3位)、15年に2PMが45万人(11位)、16年はBIGBANGが185万人(1位)です。K-POPは少しずつ、日韓関係から解放された存在になっていくのです。

言い換えれば、その頃から日本におけるK-POPの受容は、日本、もしくはそれまでの「日韓」の文脈を超えて、グローバルな生産・流通・消費の流れとリンクしていったとも言えます。デジタル化したプラットフォームやSNS、コンサートなど、世界ではすでに主流となった音楽消費の方法を通じて、マスメディアを通さずにダイレクトにK-POPに接するようになった。それは、2010年代の半ばから自らK-POPアイドルになる日本の若者たちが増えていく流れにもつながります。

――K-POPは今後、どうなりますか?

誕生当初、K-POPの「K」は韓国そのものを示していましたが、今は「韓国的な」様々な要素を含んでいながらも「韓国」に収まらない、より拡張的かつ普遍的な「ポップ」と言えると思います。音楽のサウンドからファッション、世界観まで、世界の最先端の要素を取り入れつつ、様々な国・地域出身のメンバーとグループを形成することで多様な価値観と感覚を取り入れながら、グローバル化と現地化を同時にはかっています。BTSのほかにも様々な偏見に抵抗する音楽や姿勢を通じて、世界で支持されるミュージシャンが少なくありません。自らがメディアとしての性格を持ち、どんどんと領域を広げて変化を続けている。それがK-POPなのです。

プロフィル ソウル生まれ。ソウル大、東京大卒業後、東京大助教などを経て現在、北海道大大学院メディア・コミュニケーション研究院准教授。著書に「K-POP 新感覚のメディア」(岩波新書)、「戦後韓国と日本文化 『倭色』禁止から『韓流』まで」(岩波現代全書)など