米カリフォルニア州サンディエゴにある海兵隊の新兵訓練基地。ここでは、まず、世代を継いで延々と続いてきたさまざまな決まりから覚えさせられる。
小銃はひたすらこすり、完璧に磨き上げる。あらゆる武器は、食事の際にフォーク代わりになるくらいきれいにしておく。寝具も、折り目一つから定められたように整える。ブーツの靴ひもは、すべて非の打ちどころのないように結ぶ。
そして、新たに加わったことがある。全員のマスク着用だ。
「兵舎で発生した新型コロナの件数は」と上級曹長が報告を求める。
「ゼロ件であります」と担当教官が答える。
軍隊は、自宅でテレワークというわけにはいかない。だから、新型コロナが広がり始めると、「戦い抜くしかない」が軍首脳の結論となった。
その戦いを、最も厳しく実践しているのが、サンディエゴ海兵隊新兵訓練基地(正式名称:Marine Corps Recruit Depot San Diego)のようなところだ。こうした最初の一歩を教える訓練施設には毎週、数百人の新兵が全米各地からやってくる。
海兵隊でも当初、ささいな失敗から大がかりな検疫が必要になったことがあった。
しかし、その後は驚くほどの成果を上げた。不要な接触を避け、マスクをし、手を洗う――この簡潔な基本順守を貫くことで、隊内の感染発生を封じた。
これは、陸・海・空・海兵の米4軍すべてについていえることだ。実戦部隊の兵士130万人のうち、新型コロナで入院したのは777人、死者は9人(2020年11月14日現在)。人口がほぼ同じ規模のニューヨーク郊外のナッソー郡では、(より高齢で、体力も違うとはいえ)死者数は同じころまでに2200人を超えている。
軍の病気との戦いは長い。だから、精通もしている。南北戦争(1861~65年)では、北軍側に戦死者の2倍もの病死者が出た。第1次世界大戦ではスペインかぜが大流行し、病死した兵員数は、長期に及んだ塹壕(ざんごう)戦での死者数に近かった。このため、軍隊が衛生管理と感染防止を主導するようになったほどだった。
新型コロナとの戦いでは、軍側に味方がいる。兵員の構成だ。健康な若者が圧倒的に多く、症状が最悪になるリスクは極めて低い。
それでも、軍内の感染者数の少なさに、首脳陣は胸を張る。手洗いなどの簡単な衛生予防と、ソーシャルディスタンスを徹底して守らせて勝因につなげた。
海兵隊は、新兵が訓練に入る第一歩から変えた。これまでは、新兵が訓練基地に着くと、(訳注=まごまごしないよう)黄色く描かれた足跡の上に立たされた。
今は、違う。まず、ホテルにチェックインする。そこで、2週間の検疫隔離が待っている。
毎日2回、有線テレビで流れる映像を見ながらの体力トレーニングが必修となる。部屋から出ることは、許されない。
「思っていた通り、面白くない」と8日目に入ったミズーリ州セントルイス出身のアレックス・キルメイド(18)は、いささかうんざりしていた。「基礎訓練ってこんなものかもしれないけれど、早くここから出てスタートを切りたい」
中には、検疫期間中の退屈さから、ストレスがたまって脱落する者もいる。
それを海兵隊は、「予期せぬおまけ」と受け止めている。そんなことでは、本格的な訓練に入っても、どうせついてはこられないだろう。やめてくれれば、むしろ手間が省ける。
だから、パンデミックが下火になっても、こうした事前チェックの期間を何らかの形で残すことが検討されるようになった。
2週間の隔離が無事に終わると、「クリーンな状態」にあると見なされ、密集したストレスいっぱいの訓練が始まる。そのクリーンさをどう保つかが、次の課題になる。
海兵隊は、感染していない新兵と外の世界との行き来を厳しく禁じている。その上で、手洗いと殺菌・消毒が習慣となるよう、繰り返しやらせる。
「難しいことではない。規律の問題だ」と担当教官の一人、ネルソン・サントスは強調する。「指示に従い、細部にまでよく注意する。手を洗い、マスクをつける。必要のないところには行かない。ただそれだけだ」
新兵は、小隊単位で食事と睡眠をとり、訓練をする。万が一、新兵か教官が感染しても、各小隊は互いに切り離されており、行動と感染の範囲はすぐに分かる。
新型コロナの予防措置は、インフルエンザなど他の病気の発生も急減させている。だから、コロナ禍前の訓練方法には、もう後戻りしない方針だ。
サンディエゴの新兵訓練基地の司令官ライアン・ヘリテージ准将によると、最大のリスクは、街に住んで通ってくる隊員とともにウイルスが基地内に忍び込むことだ。だから、基地外では、懇親会などへの参加を厳禁する命令が出されている。
今のところ、この命令は守られているようだ。基地周辺の地域社会では、1日に数百人もの新たな感染者が報じられ、地元の大学のキャンパスも多くが閉鎖された。しかし、基地内で明らかになった感染例は、2020年11月半ばの時点では一つもない。
マスクを除けば、基礎訓練は厳しく、武骨なままだ。そう、世代を超えて受け継がれている、あの妥協を許さぬ伝統がそこにはある。
多くの新兵にとって、基本をたたき込まれる15週間の訓練を生き延びることは、これまでの最も厳しい試練であるに違いない。新型コロナは、いつ終わるのかもしれないこの根性の鍛錬に、さらに一つのハードルを加えた。
サンディエゴの新兵訓練基地から北へ35マイル(56キロ)のキャンプ・ペンドルトン。最近のある日、暗闇を切り裂くような叫び声が夜明け前にこだまし、最後の訓練の始まりを告げた。「死に神」と呼ばれるきつい山登りだ。
暗闇に、小隊の声が響いた。行進しながら、大声で歌い、叫んだ。何世代にもわたって続いてきたように、この日もこだまが返ってきた。
ようやくたどり着いた頂上。登ってきた一人一人を、担当教官が怒鳴るようにして祝福した。
「今、なぜ、自分がここにいるのか考えろ。それが、自分のこれからにどういう意味を持つのか、よく考えろ」
新兵たちは思わず抱き合い、距離を保つ規律を破った。
「こら。二度と規律破りをするな」。すかさず別の担当教官がしかった。「この国、君たちは必要とされている。未来は、君たちとともにある。でも、規律を踏み外しそうになる自分を押しとどめるのは、自分しかいないんだ」
時代は、これまでとはすっかり変わった。しかし、そこに新たな存在意義が出てくる伝統もある。時代のハードルを越えられるのかが、今、問われている。
訓練を終えた新兵たちの手に、教官たちが鷲(わし)と地球と錨(いかり)をあしらった小さなバッジを握らせた。海兵隊の記章だ。
次を担う隊員が生まれたことを、それは意味していた。(抄訳)
(Dave Philipps)©2020 The New York Times
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