世界初、「鉄人」になったダウン症の青年 アイアンマンレースを完走、次の夢は

フロリダの空は、暗くなっていた。もう、やめよう。クリス・ニキッチ(21)の心は、折れようとしていた。
あまりにも過酷なレース。しかも、自分だけでは、定められたコースを守ることができない。助けがなければ、ペース配分もままならない。それを13時間以上も続けていた。
もう、たくさん。急にそう思えてきた。
むし暑かった。呼吸を続けるのすら大変だった。舗装された道路を蹴る足は、焼け付くように痛んだ。両足は、コンクリートの塊のようになっていた。腰から背中の筋肉は、シュレッダーでズタズタにされたかのように力が入らなかった。
クリスはその日、固い決意でこのレースに臨んだ。
まず2.4マイル(3.86キロ)のスイム。次に112マイル(180.2キロ)のバイク。さらに26.2マイル(42.16キロ)のラン。そして、17時間を切るタイムでゴールインすれば、ダウン症を抱えた選手として初めてアイアンマン(Ironman)トライアスロンを制することになる(訳注=「アイアンマン」はWorld Triathlon Corporationが開催する長距離トライアスロン)。
成し遂げれば、記録に名を残すだけではない。米フロリダ州オーランドに住むクリスとその家族にとっては、本人が大きな目標を達成できることを社会に示す証しとなる。
そうなれば、クリスは自分の究極の夢をいずれは実現できるかもしれない。独り立ちし、結婚して家庭を持つことだ。
その夢をつかめるようになるのか。ゴールまであと16マイル(25.7キロ)。ついに、その場に崩れ落ちた。
でも、それからだった。
ともかく耐え、希望を捨てずに不屈の粘りを呼び戻そうとした。自分には、胸に刻んだあの明快な人生の目標がある。それに向かって進む力を、ここで振り絞らねば。
1歩前へ、2歩前へ。 1歩、2歩、3……。
レースは2020年11月の土曜日に、フロリダ州のパナマシティービーチで開かれた。
なぜ、クリスは、不可能とも思えるこんなレースに挑んだのか(訳注=世界各地で開かれる「アイアンマン」にダウン症の人が参加するのは初めてだった)。それを知るには、彼の生い立ちをさかのぼらねばならない。
生後5カ月で、心臓手術を受けた。虚弱体質で体のバランスも悪く、4歳になるまで1人で歩けなかった。のどに食事を詰まらせないよう、6歳までベビーフードを食べた。走るのを覚えても、両腕を頭の上にかざした。ちゃんと腕を振るのを覚えるのに何カ月もかかった。靴ひもを結べるようになるには、何年もかかった。
父ニック(会社勤めのフィットネス指導員)と母パティ(主婦)は、息子を注意深く世話してくれるところを探すのに、絶えず苦労した。ぴったりの小学校を見つけたのは、7校目だった。
専門家に相談しても、いたるところで「この子のできることには限りがある」といわれた。「できるようになるかもしれない」というこれからの可能性について聞くことはなかった。
クリスが成長するにつれ、ニックは「いつも孤立し、取り残され、閉め出されているように感じた」と自身の心情についてビデオ電話の取材に答えた。
救いは、スポーツだった。10代の初めまでに、(訳注=知的障害者のための)スペシャル・オリンピックスで短距離走と水泳、バスケットボールに出るようになった。15歳のころに、親が自宅近くの駐車場に連れていき、自転車に乗る練習をした。100フィート(30メートル余)進めるようになるまで半年かかった。しかし、こつをつかむと、後戻りすることはもうなかった。
一連の耳の手術も大きかった。(訳注=聴覚や平衡感覚という)耳の機能の不調は、持てる力を奪い、家にこもりがちになる原因となっていた。しかし、術後は、もっといろいろなことをやろうという意欲が強くわいてきた。
さらに、地元で持久力トレーニングをしているグループとボランティアのコーチ、ダン・グリーブが助けてくれた。19年10月には、アイアンマン・レースを意識するようになった。
これは、究極のテスト。やり遂げれば、なんでもできるようになる――そう思った。
クリスとグリーブは、早朝練習を始めた。20マイル(32キロ)を走り、100マイル(161キロ)を自転車でこなした。毎日、少しずつ何かを向上させることに集中した。変速ギアの使い方。自転車のバランス。風をどう味方にするか。海でリラックスして泳ぐには。たとえ、クラゲを避けながらでも。
少しずつ変化が表れた。5フィート10インチ(178センチ弱)のずんぐりした体に、筋肉が付き始めた。肉体だけではなかった。周りの誰もが、精神的な変化に気づいた。体力が付くほどに、明敏さと注意力が増し、自信を深めるようになった。
レースが、近づいてきた。
「あれだけトレーニングしたのだから、きっと制限時間内にゴールしてくれると信じていた」と父ニックはいう。
「何か起こらない限り。常にそれはありうるのだけれど」
本番は、早朝スタートのスイムで始まった。メキシコ湾には、強い風が吹いていた。
グリーブが、ガイド役として一緒に海に入った。安全のために、伸縮性のあるバンジーロープで互いをつないで2人は泳ぎ始めた。2時間足らずで、波の荒い海から上がった。
グリーブは次にクリスを10段変速の自転車に乗せ、足をペダルに固定した。(訳注=グリーブが伴走しながらの)長い走行が始まった。トラブルの発生が予想された。クリスは、走りながら水分を補給できるだけのバランスをとれなかった。止まって、自転車から降りねばならなかった。
22マイル(35.4キロ)の地点で自転車を降りると、早速、トラブルに見舞われた。赤アリの大きな巣の上に立ったことに気づかず、アリの群れが足首にはい上がってきてかんだ。おかげで、足が腫れてしまった。
それでも、なんとか走り続けた。数マイル先では、下り坂で転倒した。しかし、再びペダルを踏んだ。
最後のマラソンは、快調に始まった。パナマシティービーチの市内を回るコース。夜になっていた。
クリスは、ここでもグリーブとロープでつながって走った。転倒を防ぎ、コースを外れないようにするためだ。沿道には、声援を送る家族や友人たちがいた。
ところが、10マイル(16キロ)の地点で様相は一変した。スピードが急に落ち、ほとんど動かなくなった。痛みを訴えだした。まなざしには、苦しい様子が見てとれた。
「まるで、ゾンビのようだった」と姉妹のジャッキーは振り返る。「もう完全にダメという感じだった」
応援していたみんなが駆け寄った。なんとか元気づけようと、抱きしめもした。
ニックは息子を抱き寄せ、耳元にこうささやいた。「痛みに勝たせてしまうのか、夢に勝たせてあげるのか」
クリスには、よく分かっていた。アイアンマンのレースを、最後までやり終えればよいというだけなのではない。自分が将来、どんなことを達成できるのかを示さねばならなかった。
自分の家庭。自立。母のように優しく、美しい妻。
「僕の夢が」とクリスは振り絞るように父に答えた。「勝つのさ」
そして、ゆっくりと走り始めた。
1歩前へ。2歩。3歩。 1歩。2。3。 走りのリズムをとり戻した。もう、彼を止められるものは何もなかった。
両腕を高く掲げて、ゴールインした。残された時間はあまりなかった。タイムは、16時間46分9秒だった。
数日後、筆者はクリスと話した。「限界なんてないことを学んだ」という。そして、「もう僕にふたをかぶせるようなことはしないで」と続けた。
クリス・ニキッチ。君は晴れの舞台に立った。みんなの拍手に、ここで胸を張っておじぎを返そう。
夢をしっかりと抱き続け、苦しみに耐え、希望を捨てずに見事な精神力を発揮した。その少しでも、世界中の人々があやかれるようになればと思う。(抄訳)
(Kurt Streeter)©2020 The New York Times
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