「(映画界では)彼の死についての哀悼がタブーになっている雰囲気で、コメントしづらい」
故キム・ギドク監督のデビュー作「鰐~ワニ~」以来、彼のいくつもの作品について評論してきたある映画評論家の言葉だ。キム監督と縁がある映画会社代表は「特にコメントは出さない」と言い、キム監督と親しかったある評論家もやはり「彼と距離を置くようになってかなりになる」と言って、答えるのを控えた。韓国映画監督組合やプロデューサー組合、韓国映画制作家協会も公式なコメントは出していない。事実上、キム監督の追悼を拒否している状態だ。
故人の業績については反駁の余地がない。彼は韓国の監督としては初めて世界三大映画祭であるカンヌ、ベルリン、ベネチア映画祭で本賞を受賞した。2004年、「サマリア」でベルリン映画祭銀熊賞(監督賞)、「うつせみ」でベネチア映画祭銀獅子賞(監督賞)、2011年、「アリラン」でカンヌ映画祭「ある視点部門」最優秀作品賞を受賞した。2012年には「嘆きのピエタ」で韓国の監督としては初めてベネチア映画祭で最高賞の金獅子賞を受賞した。
キム監督の映画は人間の欲望の生々しさそのままを表現したと好評を得た。映画評論家のチョン・ソンイル氏は「キム・ギドクの世界 野生もしくは贖罪の山羊」という評伝を書いた。しかしながら、行き過ぎた暴力性、特に女性に対する性暴力とそれに順応する女性のキャラクターをたびたび登場させ、時代錯誤的で残酷だという批判も受けた。
キム監督に対する視線が、好き嫌いを超え、正否の領域になったきっかけは2017年「メビウス」に参加した女優Aさんの告白だった。キム監督に頬を叩かれ、台本になかったベッドシーンの撮影を現場で要求されたという話だ。2018年、#MeToo運動で多くの女性スタッフや俳優たちが彼から受けたセクハラや性暴力について証言した。彼を支持していた人たちも「犯罪の結果を擁護するわけにはいかない」と背を向けた。Aさんに対する性暴力の嫌疑は証拠不十分で棄却されたが、裁判所は彼の暴力について500万ウォン(約47万円)の略式命令を出した。
キム監督に対する哀悼がタブーのようになっているのも、結果よりも過程の問題のためだろう。特にその問題が犯罪の領域にまで入るようなら、結果に対する賛辞も慎重にならざるを得ない。「ラストエンペラー」でアカデミー賞作品賞など9部門を受賞したイタリアの巨匠ベルナルド・ベルトルッチ監督も「ラスト・タンゴ・イン・パリ」の撮影の過程で「性暴力の場面は事前の協議なしに行われた」という女優マリア・シュナイダーの告発により2016年に非難の矢面に立った。
「人格と作品は別物か」についての議論はある。しかしながら、問題が犯罪にまで至った時には作品と別物とは言えない。キム監督は生前、「私の映画は暴力的だが、私の人生はそうではない」と言っていた。彼の言葉のように、一般の人たちはもちろん、映画界が受け入れられるのはそこまでだ。暴力的な映画には耐えられても、暴力的な人格を我慢してくれる時代は終わったのだから。
(2020年12月14日付東亜日報 キム・ジェヒ文化部記者)
(翻訳・成川彩)