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F1界に衝撃、ある新興チームの善戦 エンジニア小松礼雄、「考える前にやる」の情熱

Breakthrough 突破する力
ピットとコースとの間にある「司令塔」が、レース中の定位置だ。あらゆる情報に神経を研ぎ澄ませる=熱田護撮影

■1000分の1秒の戦い、違いを生むのは「人」

1周の速さを競う予選、特に雨の予選が好きだ。十数分の制限時間内に、コースの状態や走行タイム、雨の量、天気予報などを常に見て、2種類ある雨用タイヤのどちらを履き、どのタイミングで走るかを秒単位で考える。現代のF1は高度な情報戦。正しい判断をすれば、実力が15位のマシンでも上位に食い込めるが、誤れば沈むこともある。「あの凝縮されたプレッシャーが好きですね。現場でやっている醍醐(だいご)味、面白さがある」

自動車レース最高峰のF1で働く日本人の中で、小松礼雄(44)はやや異質の存在だ。日本の大学やホンダなどの大企業を経ず、英国中心の世界でキャリアを積み重ねてきた。「企業は興味があったら参戦するが、なくなれば出て行く。やっぱりチームとしてF1をやりたかった」という。

いまは新興チームのハースで予選やレースの戦略を決める現場責任者を任されている。情報判断のスピードと的確さが成績を左右する重要なポジションだ。

F1のピット。ピットレーン左にあるのが、レース中に小松礼雄が常駐する「司令塔」。右がガレージ=メルボルン、中川仁樹撮影

本領を発揮したのが7月の第3戦ハンガリーグランプリ。全20台のマシンがスタート位置に向かう中、突然、ハースの2台だけがピットに飛び込んだ。直前に雨が降り、全車が雨用タイヤを履いていた。だが、ドライバーが路面が乾き始めたと無線で報告。1分もかけずにほかの情報と合わせて分析し、小松がチームに指示を出していた。「ドライ(晴れ用タイヤ)に替える」

決断はあたり、予選で16位と18位だったハースのマシンは一時、3位と4位を走行。格上のライバルと渡りあい、1台が10位入賞して貴重なポイントを獲得した。禁止時間帯の指示だったとしてペナルティーも受けたが、「普段より面白いレースになった。ああいうことをするために、みんなレースをやっている」と喜ぶ。

最近のF1は追い抜きが減り、「ぐるぐる走るだけで退屈」と批判的な声もある。だが、1チーム数百億円をかけてエンジニアら一流の人材や最先端の技術を結集。マシンには何種類ものセンサーを搭載し、1000分の1秒のレベルで競っている。

ハースF1チームのガレージに置かれたF1マシン=中川仁樹撮影

それでも最後にものを言うのは「人」の力だと信じている。同じデータを読んでも、どう解釈するかは人によって違うからだ。「絶えず自分が進化しないと、すぐに置いていかれる。世界最高の相手と競い、結果で明確に評価される。ときにはミスもするけれど、全力を尽くして恵まれた機会を楽しんでいる」

■ロンドンで手当たり次第に手紙

ドライバーをはじめチームのメンバーとよく話し合い、体調面も含めて気を配る=熱田護撮影

授業なんて聞く価値ない――。そんな言葉を先生に投げつけるような生意気な子どもだった。「暗記ばかりで物事の本質を教えない」と、先生を尊敬できなかった。中学3年のとき「体育以外は自分で勉強する」と宣言し、1人で図書館に通った。ベートーベン研究家として知られる父・雄一郎は優しく見守ってくれた。リクルート事件の特ダネ記者が父の知り合いで、新聞記者にあこがれた。1980年代にF1ブームが起き、自然に関心は車やバイクに。ドライバーでなく技術屋のエンジニアに引かれた。父のように世界で勝負したい。視線の先にF1の大舞台を見据えた。

世界最速を競うF1は、華やかな社交場にもなる。開催期間中は、様々なイベントが開かれる=メルボルン、中川仁樹撮影

父のつてで相談したのがデザイナーの山本洋介(70)。トヨタ自動車などを経て、英国で働いていた。仕事で帰国した時、高校1年の小松と会った。第一印象は小柄で華奢。だが、「F1のエンジニアになりたい」と訴えるまなざしに、心の強さを感じた。英国はモータースポーツ産業の裾野が広く、大半のF1チームが本拠を構える。「F1を目指すなら日本の大学に入っても時間の無駄。最初から英国の大学に来なさい」と助言した。

高校卒業後、ロンドンへ。レース雑誌の出版社に手当たり次第に手紙を書き、どの大学に行くべきか聞いた。大学でも、実習先を探すため約50社に手紙を送り、名門ロータス・エンジニアリングで車体制御の奥深さを学ぶ機会を得た。「あれこれ考える前にやればいい。失敗しても得るものはある」と突っ走った。

ハースF1チームのホスピタリティユニット。食事や休憩、打ち合わせをする場所になる=メルボルン、中川仁樹撮影

そして運命の出会い。大学院に進んだ頃、レーサーの佐藤琢磨(43)にサーキットでたまたま会って声をかけた。佐藤はF1登竜門のF3レースに挑戦中。互いにF1への夢を持つ日本人の存在に喜び、意気投合。小松は佐藤のチームを手伝い、レース中は車の動きを観察した。佐藤にとってもエンジニアの視点は勉強になった。佐藤は「どうしたら速くなるかとよく話し合い、一緒に経験を積んでいった。それが楽しかった」と振り返る。

数年後、佐藤がホンダに紹介し、小松のF1キャリアがスタートした。2006年には前年王者のルノーに移籍。当時のF1は「タイヤ戦争」の真っただ中で、小松らが収集したテストデータをもとに、何種類もあるタイヤを次のレースでどう使うか決めていた。ルノーの技術部門幹部を務め、いまはF1で7連覇中のメルセデスに所属するジェームズ・アリソン(52)は「タイヤの性能を詳細に把握していたのは礼雄とその上司だけ。この年のタイトル獲得に非常に重要な役割を果たした」と高く評価する。

ルノーの技術部門幹部を務め、いまはF1で7連覇中のメルセデスに所属するジェームズ・アリソン=メルボルン、中川仁樹撮影

実力を認められ、小松はチーフ・レースエンジニアへとステップアップした。ところがチームの経営が混乱し、首脳陣への憤りも増した。そのころ、F1挑戦を決めたハースから誘いを受けた。「尊敬できない人の下で安泰に生きても後悔する。自己責任でチャレンジした方が悔いがない」。すぐに気持ちは固まった。

「あきらめたら、次はない」

ハースはF1に新風を吹き込んだ。F1参戦には技術力に加えて高度な経営力も不可欠だ。1ポイントも取れずに撤退する新興チームは多い。ハースはフェラーリと提携してエンジンやサスペンションなどの供給を受け、有力車体メーカーの力も借りて競争力のあるマシンを開発。結果を出しつつチームを進化させる構想だ。「いままでになかったビジョン」とやりがいを感じた。

1年目の初戦から6位入賞。チームの規模は最小クラスながら、3年目には年間順位で10チーム中5位に入った。F1界に衝撃が広がり、同様の手法を取り入れるチームも出てきた。

ただ、昨年は年間9位と最低の結果に終わった。小松の肩書はダイレクター・オブ・エンジニアリングとなり、開発により広く携わることになった。チーム代表のギュンター・シュタイナー(55)は「過去数年で、資金面やスタッフも含めたチームづくりを学んだ。英国拠点でもリーダーになれるほど成長した」と信頼する。

ハースF1チーム代表のギュンター・シュタイナー=メルボルン、中川仁樹撮影

新型コロナウイルスの影響で、今年のF1は開幕が約4カ月遅れ、フェラーリの不振もあり、ハースの低迷は続く。だが、小松はあくまでも前向きだ。「いい年もあれば難しい年もある。ベストを出し、一つでも順位を上げるだけ。あきらめたら次はない」

その先の夢を聞くと、「あんまり長い先の夢を話している余裕はないんです。とにかく今のチームを本当に戦える集団にしたい」。中学時代から変わらぬ情熱で、ひたむきに世界最速を追い続ける。(文中敬称略)

■Profile

  • 1976 東京都立川市に生まれる
  • 1994 高校卒業後、英国へ。英語学校やウォーリック大学の予備コースで学ぶ
  • 1995 ラフバラ大学に入学し、自動車工学を専攻
  • 1997 ロータス・エンジニアリングで実習
  • 1999 ラフバラ大学大学院の博士課程に進学
  •     レーサーの佐藤琢磨と出会い、実習を兼ねてレース活動を手伝う
  • 2003 BARホンダに入り、F1の世界へ
  • 2006 ルノーF1チームに移り、タイヤエンジニア。チームとドライバーで年間王者
  • 2011 1台のマシンを担当するレースエンジニア
  • 2012 ルノーが撤退し、チーム名がロータスF1チームに
  • 2015 現場責任者のチーフ・レースエンジニア
  • 2016 新興のハースF1チームにチーフ・レースエンジニアとして加入
  • 2019 車開発の全般に携わるダイレクター・オブ・エンジニアリング

レース場へ自転車通勤…体を動かすのが大好きだ。子どもの頃は父と一緒に登山を楽しみ、高校時代はラグビー部。いまは時間を見つけては自転車に乗る。各国のレースでも、ホテルから自転車通勤し、気分転換に自然の中を走ることも。コロナ禍で遠出ができない時期は、家族そろって自転車で近くの田舎道を走り、ピクニックをしたり、ローマ時代の遺跡をめぐったりして楽しんだ。

愛用の自転車と。世界各国の道を駆け抜ける(本人提供)

■F1の魅力を伝えたい…最近は本を出版し、レース専門サイトでコラムの連載をするなど活動の幅を広げている。F1の面白さを幅広い人に知ってもらいたいとの思いからだ。技術的な解説だけでなく、レースの裏話やドライバーの魅力も伝えるように意識している。例えばハースのドライバー、ロマン・グロージャンは荒っぽい運転のイメージがあるが、レースを離れるととてもいい人だという。

写真・熱田護 Atsuta Mamoru 1963年生まれ。92年から昨年まで日本人で唯一、F1を全戦取材。撮影したグランプリの数は500戦を超える。