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「平等を追求」と信号機が女性の図柄に でも「問題はそこじゃない」の声

ニューヨークタイムズ 世界の話題 更新日: 公開日:
A pedestrian crossing light with one of the new female silhouettes in the Dadar neighborhood of Mumbai, Aug. 6, 2020. At many crossings, Indiaユs largest city replaced male stick figures with icons in triangular dresses. But critics say the move does little to address an entrenched gender divide. (Prarthna Singh/The New York Times)
インドの大都市ムンバイのダダー地区にある歩行者用信号機に登場した女性の姿=2020年8月6日、Prarthna Singh/©2020 The New York Times。インドでは初めてで、すぐに論議の的になった

インド西岸の大都市ムンバイ。その最も有名な交差点の一つで2020年8月、歩行者用信号機に描かれた人間の図案が変わった。

それまでのズボン姿が、三角形のドレス姿に――そう、男性から女性になった。インドでは、初めてのことだった。

この交差点を含むダダー地区の目抜き通りの一定区間で、240基の歩行者用信号機にドレス姿が登場した。「女性の権利強化を推進する一環」と当局はしている。

「男女平等を追求する姿勢を端的に示したい。これで、信号機にも女性が進出した」。ムンバイを州都とするマハラシュトラ州の観光・環境相Aaditya Thackeray(訳注=以下、インドの人名は原文表記)は、こう胸を張る。

すぐに、批判の声もあがった。形ばかりのことで、この国の抜き差しならない女性差別を正すには、ほとんど役に立たないというのだ。

確かに、Indira Gandhiのように、インド初の女性首相にまで上り詰めた人物はいる。しかし、女性に対するあまりにひどい事件が、公の場でひんぱんに起きている。だから、暗くなってからは、同伴者なしで外出するのをためらう女性が多い。家庭内暴力(DV)や性的暴行が後を絶たず、女性や少女に対する最もありふれた犯罪として公的な統計に出てくる現実がある。

しかも、教育や雇用でも、男女の格差は歴然としている。公的統計によると、中等教育を受ける女子は男子の73%。賃金を得て働く時間も男性より短く、無報酬の家事労働の大きな負担がのしかかる。

「こんなのは、ジェスチャーに過ぎない。それも、悪趣味」とインド南部のベンガルール(旧称バンガロール)の都市設計家Pooja Sastry(32)は切って捨てる。「信号機の図案が女性に変わったからといって、私たち女性がより安全・安心に通りを歩けるようになるとは少しも思えない」

そして、こう続けた。「道路を渡るインドの平均的な女性、あるいは女性の日雇い建築労働者にとっては、何の意味もない。これで、犯罪率は下がるの? DVは減るの?」

2012年には、バスの中での残虐な集団強姦事件がデリー首都圏で発生、国中を震撼(しんかん)させた。抗議の嵐とともに、都市で女性の安全をいかに守るかという論議に火を付けた。女性に対する犯罪の罰則が強化され、強姦罪には死刑の適用も可能になった。

しかし、性的な暴行やセクハラ、DVが減る気配はない。

Schoolgirls practice martial arts during an event in Ahmedabad, India, December 16, 2015, to mark the third anniversary of the fatal gang rape of a woman on a Delhi bus in December 2012. REUTERS/Amit Dave
デリー首都圏のバスの中で起きた残虐な集団強姦事件から3年の日に、インド西部のアーメダバードで護身術を披露する女学生たち=2015年12月16日、ロイター

女性への性的暴力やセクハラという点では、インドは最も危険な国――世界の有識者550人にトムソン・ロイター財団が尋ねた2018年の調査では、こんな結果が出た。その年のインドの公的統計によると、3万3356件の強姦事件と8万9097件の女性に対する暴力事件が起きている。

先のマハラシュトラ州の閣僚Thackeray(訳注=州政府与党のヒンドゥーナショナリズム政党シブ・セーナに所属)は20年1月、ムンバイの活性化を図るため、深夜カフェや24時間営業のスポーツジム、映画館を増やそうとした。すると、ライバルのインド人民党(訳注=ヒンドゥー教団体を支持母体とする国政与党)側が、これに反対した。女性が、強姦の被害にあう恐れが強まるとの理由だった。

「酒と結びついた文化が広まると、女性に対する犯罪が増える引き金になる」。リーダー格の政治家は当時、こう発言したとされる。

インドの歩行者用信号機に女性が初めて登場したのは、図案が多様化した近年の他国の動きと無縁ではなかろう。

ドイツと豪州では、ドレス姿が一足先に加わるようになっていた。オーストリアの首都ウィーンでは、同性カップルが現れ、それまでの1人だけの図式が崩れた。15年の欧州の歌謡祭「ユーロビジョン」が開かれるのを前にした導入だった。

スイスのジュネーブでは20年2月、市内の歩行者用信号機の半分が女性の図案になった。パンツ姿にドレス姿。さらに、妊婦のシルエットやお年寄り、アフロヘア、手をつなぐ2人の女性も加わった。

17年に、女性の姿が信号機に登場した豪メルボルン。市民の一部からは異論が出た、と報じられている。ズボンをはくのが男で、ドレスを着るのは女――信号図案のこんな前提は、性的少数者を認める流れに逆行し、異性愛をもとにした固定観念を示しているとの批判だった。

A pedestrian crossing light with one of the new female silhouettes in the Dadar neighborhood of Mumbai, Aug. 6, 2020. At many crossings, Indiaユs largest city replaced male stick figures with icons in triangular dresses. But critics say the move does little to address an entrenched gender divide. (Prarthna Singh/The New York Times)
女性の姿に変わったムンバイ・ダダー地区の歩行者用信号機の一つ=2020年8月6日、Prarthna Singh/©2020 The New York Times。これを含む地区内240基の歩行者用信号機の図案が、このドレス姿になった

インドに戻ろう。女性の移動の安全強化に、いくつかの都市は乗り出している。

デリー首都圏は19年に、女性の公共交通機関の利用を無料にした。女性客が増え、それだけ安心感も増したと当局は主張する。「より多くの女性が乗っていることで、安全性も高まる」と法律の専門家Sneha Visakhaはいう。

この発想は、都市設計家で関連団体「都市プロジェクト」の共同設立者であるVijayshree Peddnekarが抱いていた、と本人がツイッターで明らかにしている。それを首都圏当局の幹部Kiran Dighavkarに提案した。

Dighavkarも、首都圏当局の自分の部署が、提携先の都市プロジェクトの提案を採用したことを率直に認める。

さらに、ムンバイの歩行者信号機に登場した女性の図案についても言及する。「なんでも男性を基準にしてしまう先入観が、無意識のうちに存在していることに気づいてもらいたかった」とDighavkarはムンバイの地元紙フリー・プレス・ジャーナルに語っている。「なんとなく『われわれの周りのことはすべて男性中心』になってはいないだろうか」と指摘する。

信号機の女性の姿は、女性をもっと犯罪から守ることには結びつかないという批判に対しても、「信号機の図案を変えた意図までも打ち消されるわけではない」とDighavkarは反論。「これは男女平等を促し、女性の権利を強めるための小さな一歩だ。地元の市としての方針を象徴し、その街の個性を描き出す一歩でもある」と擁護する。

女性にとってのムンバイの街頭の安全性について共著を出している社会学者のShilpa Phadkeも、役に立つ可能性があることを認める。

広範囲に実施されれば、公の場で過ごす女性の権利を強める貴重な一助になり、とくに深夜の状況が改善されるかもしれないと考えるからだ。「街中に女性の信号図案が広まれば、そこには女性もいるべきだというサブリミナルな効果も生まれるのではないか」

しかし、それ以前にすることがある。PhadkeもベンガルールのSastryも、女性の信号図案より、街灯と明るい女性用の公衆トイレを増やすことの方を優先すべきだと語る。

先の法律専門家Visakhaも、もっと大きな変化を伴わない象徴的な一歩だけでは意味がない、と2人に同意する。

ムンバイの女性の信号図案を写真で見たときは、「思わず噴き出した」と話す。街で女性に真に必要なものが何かを理解していないように思えたためだ。

ちょっと人目を引いたぐらいのことで、「『男女が平等になった』とは上から目線もはなはだしい」とVisakhaも手厳しい。

「女性を平等な市民の一人として認めてあげたのだから、女性から褒められるのは当然だとでも思っているのだろうか。街を、女性に敵対的なままにしておいて」(抄訳)

(Tiffany May)©2020 The New York Times

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