――朝鮮戦争は南北の分断を固定化したと主張されてきました。
朝鮮戦争が南北を分断したのではなく、第2次大戦末期の国際政治が分断を決めた。日本は1945年8月、米国による2発の原子爆弾投下が最終的な決め手になって降伏した。米国は同年11月に南九州に上陸するオリンピック作戦を準備していたが、日本陸軍は「米軍は日本に上陸せずに、原爆を投下し続けるかもしれない」と考え、本土決戦を断念せざるを得なかったのだと思う。
一方、ソ連は同年4月の独ソ戦終結後、3カ月の準備を経て対日参戦した。まず旧満州の中心部に侵攻したうえで、9月後半に遼東半島や朝鮮半島、千島列島などに侵攻する計画だった。
原爆が数カ月早く完成していたら、日本の降伏も早まった。朝鮮半島は米軍の占領下に入っただろう。逆に原爆の完成が数カ月遅れれば、オリンピック作戦を実施する米軍が兵力を割けない朝鮮半島は、ソ連に支配されただろう。その場合、ソ連は太平洋への出口を確保するため、宗谷海峡を含む北海道の北半分を占領し、日本が分断の憂き目に遭っていたかもしれない。
――結局、米ソは北緯38度線に線を引いて南北を分割します。
米陸軍省の大佐3人が38度線を提案したが、朝鮮半島の歴史や地政学についての知識が不十分だった。
過去、朝鮮半島の北半分を支配した勢力は、日本海側の元山(ウォン・サン)と黄海側の南浦(ナム・ポ)を結ぶ線より北側、地理的には北緯39度線以北を勢力圏としてきた。旧日本軍も大戦末期、39度線より南側に駐屯する第17方面軍(朝鮮軍)を対米戦に、北側の第34軍を対ソ戦にそれぞれ対応するよう編成していた。
39度線で分割された場合、北朝鮮に所属するのは伝統的な朝鮮8道のうちの2道に過ぎない。北朝鮮の支配下から江原道(カン・ウォン・ド)と穀倉地帯の黄海道(ファン・ヘ・ド)が外れる。軍事的にも、南下する北朝鮮軍の進撃路になった地域で、それなしには開戦することも難しかっただろう。
■米国が介入した3つの理由
――米国は朝鮮戦争に介入しましたが、開戦の半年前には、米国が軍事介入する範囲をアリューシャン列島から日本、フィリピンを結ぶ線とする「アチソンライン」を発表していました。
当時、米軍の海空戦力は圧倒的で、朝鮮半島に軍事拠点を置く必要性を感じていなかった。だから、アチソンラインが生まれた。それでも米国が朝鮮戦争に参戦したのは三つの理由があると思う。
第一は「ミュンヘンの教訓」。1938年に行われたミュンヘン会談で、ナチスドイツに融和的な姿勢を示したチェンバレン英首相の姿勢が第2次世界大戦を招いたという反省だ。共産主義による世界侵略に反撃するという強い意志を示す必要があった。
第二は、国際連合の威信を守るという意味だ。韓国は1948年、国連選挙監視団が見守った選挙を経て誕生した。米国は、戦後秩序の支柱として位置づけていた国連の威信を守る必要に迫られていた。
そして第三が、同盟への信頼維持だ。米国が朝鮮戦争に介入しなければ、日本やドイツは米国が同盟国を守らないと疑いかねなかった。
――一方のソ連は朝鮮戦争に派兵しませんでした。
戦後のソ連は、日本やドイツから再び侵略されないような安全保障環境の構築を目指していた。欧州ではポーランド、アジアでは北朝鮮が重要だった。ソ連は北朝鮮に親ソ政権を樹立することで満足しており、朝鮮半島統一に熱心だったわけではない。
ただ、1949年ごろから、スターリンは金日成による朝鮮戦争準備の動きを容認し始めた。歴史上の謎のひとつだが、米国が介入する前に北朝鮮が勝利すると判断したのだろう。ソ連の国際的な威信をアジアで高めたり、日本に大きな衝撃を与えたりする狙いがあったとする説や、朝鮮半島を犠牲にして米国の軍事力をアジアに釘付けにし、欧州での安全確保を図る狙いがあったとする大胆な主張もある。
■三つのナショナリズムが朝鮮半島でぶつかった
――朝鮮半島に住む人々の考えは無視されたのでしょうか。
朝鮮半島は近現代史で、国際的な勢力争いの舞台にずっとなってきた。
日本が朝鮮半島を併合した動機も、欧米列強のように富を収奪するためであるよりは、半島が列強の支配下に入ることへの恐怖心のためであった。
しかし、日本の朝鮮支配は「併合」であった。日本の領土を拡大し、他民族を同化しようとしたのだから、同じ文明圏にある国家の行いとしては相当に異常であった。ドイツとソ連によるポーランドの分割併合くらいしか思い浮かばない。
戦後、朝鮮半島では、親米的な開化派である李承晩(イ・スン・マン)らの保守ナショナリズム、統一戦線的な臨時政府を中国に樹立した金九らの進歩ナショナリズム勢力、そしてソ連の支援を受けた金日成らの社会主義ナショナリズムの三つが鼎立(てい・りつ)し、相互に対立しあった。朝鮮戦争はその結果でもあった。
ロシア革命や中国の国共内戦のように、近現代史におけるナショナリズムの統合は革命や内戦によって達成されることが少なくなかったのだ。
だが、結局、米中の参戦を招来し、朝鮮戦争は半島の分断を固定化してしまった。韓国では今日も、保守と進歩(革新)が激烈な対立を続け、政権が交代するたびに大勢の逮捕者が出る。
韓国の進歩勢力は、1918年の3・1独立運動や80年の光州事件などの再評価に熱心だが、これも国内的な政治闘争の一環だ。ただ、こうした主張は、反日を材料にすると説得力が増す。
進歩勢力の「親日清算」の主張は、言葉では「反日」だが、日本に向けられたものではない。韓国の進歩勢力は汎民族的な観点から南北対話が可能だと考えているだけであり、決して「レッドチーム」の一員などではない。
北朝鮮が崩壊しない背景にも、単なるイデオロギーにとどまらない社会主義ナショナリズムがあると思う。
■東アジア安全保障の行方
――現代に至っても、北朝鮮による軍事挑発は止まっていません。最近は在韓米軍の縮小論や日韓防衛協力の停滞などの問題も生まれています。
朝鮮戦争は大国による相互抑止体制を生み出した。北朝鮮はその枠組みのなかで、韓国大統領府襲撃事件や大韓航空機爆破事件など戦争には至らない低強度の軍事挑発を続けてきた。
ソ連東欧圏の崩壊で一時、体制危機に陥ったが、最近は核兵器や弾道ミサイルによる抑止力の強化を実現したことで、戦略環境が変化したと考えているかもしれない。
韓国に対する短距離弾道ミサイルや多連装ロケット砲などの新しい兵器体系も、相互抑止体制を微妙に変化させるかもしれない。北朝鮮がそれを試したい誘惑にかられる可能性がある。また、「トランプ米大統領だし、ひょっとしたら在韓米軍が撤退するかもしれない」と考えているかもしれない。
もちろん、米中対立が激しくなり、かつての冷戦に逆戻りするような雰囲気もあり、在韓米軍の重要性は依然残っている。
日本の一部にある「韓国なしでも日本の安全を確保できる」という主張には賛成できない。「アチソンライン」は抑止の失敗例だ。
日韓の安全保障は非対称的な相互依存関係にある。韓国の安全は沖縄の米軍基地や佐世保、横須賀などに守られている。他方、釜山に近い鎮海(チ・ネ)の海軍基地に中国の軍艦が入港したり、ソウル南方の平沢(ピョン・テク)の空軍基地をロシア軍機が使用したりするような事態は想像するだけで恐ろしい。その時になって、防衛予算を倍増しても、取り返せない。
おこのぎ・まさお 1945年、群馬県生まれ。69年、慶応義塾大学法学部政治学科卒。72年、韓国・延世大学政法博士課程に交換留学。85年、慶大法学部教授。2011年から14年にかけ、九州大学特任教授。日韓フォーラム日本側座長。専門は現代韓国・北朝鮮政治論及び国際政治論。著書に「朝鮮戦争」(中央公論社)、「朝鮮分断の起源 独立と統一の相克」(慶応義塾大学法学研究会)など多数。