「なぜ、こんなところに」。写真家のカウィカ・シングソンは、首をかしげた。不発弾らしきものが2発、溶岩洞の一角から突き出ていた。
2020年2月、ハワイ島のマウナロア山をハイキングしていて見つけた。
後から分かったことだが、それは一時代前の火山学が試みた、ドン・キホーテ流の災害対策の遺物だった。
この山は、海面下5万5700フィート(1万7千メートル弱)の底の部分から(訳注=標高4169メートルの)頂までそびえる巨大な盾状火山(訳注=粘度が低い溶岩が噴出してできる。傾斜が緩く、盾を伏せたような形が多い)だ。
米地質調査所のハワイ火山観測所(HVO)が最近、その監視ブログで詳述したところによると、この2発は、米陸軍航空隊が1935年に投下した40発の一部だ。島内最大の人口を抱える東海岸のヒロ(訳注=2010年時点の住民約4万3千人)に向かった溶岩流を、何とか食い止めようとして使われた。
このときは、溶岩の勢いが自然に収まり、ヒロには達しなかった。
ただし、「火山の炎」に人類が「自らの炎」で立ち向かおうとしたのは、これが最後だったというわけではない。歴史は、溶けた岩の流れを止めようとした事例に満ちている。
しかし、1935年の試みも含めて、溶岩流の制御が人類の思惑通りに進むことはほとんどなかった、と米スミソニアン協会の全地球火山活動プログラム(訳注=世界の活火山の活動を記録し、観測情報を提供している)に携わるジャニーン・クリップナーは語る。
高密度で超高温の溶岩は、暴れまくる。どこかに流し去ることはできない。たけり狂うこの怒りに、障害物を設けて立ち向かう術は、ごく限られている。海辺の港に迫ってくるのなら、膨大な量の海水をかけて、流れを遅くすることはできるだろう。アイスランドが、1973年にヘイマエイ島で成功させている(訳注=消防ポンプの放水で島の重要な漁港を守った)。
その次に登場するのが、爆発物で流れを変えるという考え方だ。時代をさかのぼれば、1881年にはやはりヒロに向かった溶岩流をこの方法で止めることが検討された。しかし、実施されることは、ついになかった。山積みの爆薬はそのまま残り、信心深さが流れをせき止めたと広く信じられた。
それでも、この考え方には再燃性があるようだ。
溶岩は、固い管のような空洞を残しながら、しばしば遠くまで流れる。独自に溝を作りながら進むこともある。いずれにしても、こうした空洞や溝といった危険な動脈を断ち切ってしまえばよい――そんな発想が生まれる。陸上で爆弾をしかけることもできるだろう。でも、空からなら正確だし、時間もはるかに少なくて済む。
これは、あくまで一つの考え方にとどまっていた。そこに、1935年の噴火があった。12月に、溶岩だまりの堤が決壊。流れ出た溶岩は、ヒロに向かった。1日1マイル(1.6キロ)ほどの速度だった。
HVOの創設者で、初代所長となったトーマス・ジャガー(訳注=地質学者)は、流れが町に達し、重大事になることを恐れて陸軍航空隊に連絡した。
12月27日。複葉爆撃機のB-3とB-4計10機が、溶岩の流れる洞と溝を爆撃した。
投下した40発の爆弾の半分には、それぞれTNT火薬355ポンド(約161キロ)が詰まっていた。残りの半分には、爆薬ではなく、発煙剤が入っていた。本物の爆弾の着弾状況を煙で見分けるためだった。
シングソンがハイキングで見つけたのは、この発煙弾だった。
1936年1月2日。溶岩流は止まった。ジャガーは、爆撃の成果だと信じた。一方で、偶然に過ぎないと見る専門家たちもいた。
爆撃機の操縦士は、溶岩洞の一部が崩れるのを目撃したが、流れを止めるには不十分だった。
同じような爆撃は、42年にもあった。十分な成果をあげることは、やはりできなかった。
にもかかわらず、この方法が歴史の中に埋もれ去ることはなかった。
70年代には、数多くの巨大な爆弾が、マウナロア山の古い溶岩層に投下された。近代的な爆撃の技術が、どんなときに有効かを調べるためだった。割れ目状の火口などから大量の溶岩が噴き出して、火口に形成された丘状の溶岩滴丘(てききゅう)は爆撃に弱く、崩壊しやすいことが分かった。今後の標的として、検討対象になるだろう。
空からではなかったが、爆発物がうまく機能したことが一度はある。
イタリア・シチリア島のエトナ山の噴火が、1991年から93年にかけて続いたときのことだ。8トン近い爆薬が、入念に準備された上で、大きな溶岩溝に穴を開けるために仕掛けられた。爆破すると、新たにできた溝に溶岩の多くは流れ込んだ。おかげで、人口9500の町ザッフェラーナ・エトネーアは無事だった。
それでも、爆発物を使うこうした手法には、問題もあると先のクリップナーは指摘する。
宗教要素も含めた、広い意味での文化の問題だ。世界の火山は多くの場合、「地元の人々が強い結びつきを抱いており、よそ者の干渉を嫌う」。
ハワイの先住民の多くは、山が破壊されることを、自分たちの信仰に対する侮辱だと見なしている。
仮にこの手法がうまくいったとしても、向きが変わった溶岩流が、別の重要な防護対象を脅かさないという保証がないのも確かだ。
HVOを引退した地質学者で、溶岩流の方向転換策の専門家でもあるジャック・ロックウッドは、この爆破手法は机上の選択肢にとどまるのではないかという疑いすら持っている。こんな体験があるからだ。
84年にマウナロア山が噴火し、やはりヒロが脅かされた。それでも、当時のハワイ州知事ジョージ・アリヨシは、溶岩流の向きを変えるのに、爆弾を使うことなどありえないと公言した。しかし、知事のスタッフは、事態が深刻化した場合に備えて、空爆による緊急対応策を練るようロックウッドに要請していたのだった。
マウナロア山の溶岩流対策に空爆を検討することは、常に緊張をもたらすに違いない。
しかし、この上なく切羽詰まった状況では、この方法が再び採用される日も来るのではないかとロックウッドは話す。
「それには事実上、戒厳令が必要になり、非常事態宣言も欠かせなくなる」とした上で、こう続けた。
「ただし、知事の肝っ玉と、どこまで関係者が酷評に耐えられるのかということしだいになるのだろう」(抄訳)
(Robin George Andrews)©2020 The New York Times
ニューヨーク・タイムズ紙が編集する週末版英字新聞の購読はこちらから