「難民」とともに働き、ともに語る つながりを作り出す29歳の日本人

「難民」と聞いて、何を想像しますか。可哀想な人? 貧しい人? 怖い人? 「いえいえ、ともに未来を切り開く人と考えてほしい」と、NPO法人「WELgee」(ウェルジー)代表の渡部カンコロンゴ清花(29)は笑顔で語る。
2月、アフリカや中東から紛争・弾圧などで日本に逃れた難民を、働き手として企業に紹介する「JobCopass」(ジョブコーパス)を本格的に始めた。難民の中には、弁護士、貿易事業家、医師、教師、デザイナー、プログラマー、六つの言語を操る人もいる。なにより、政情不安の母国でわが道を切り開いてきた情熱や胆力、優しさがある、というのが強みだ。
2017年からスタッフの山本菜奈(25)らと100社以上を回った。「『難民……』と告げると、人材でなく、社会貢献の部署に回されることが多くて」。ドイツやフランス、香港の取り組みを視察して作戦を練った。「まずは経営の悩みを聞き、『それならば』と切り出しました」
IT企業などの正社員や契約社員に計8人が採用。ヤマハ発動機に就職した西アフリカの男性(32)は、「故郷の未来に貢献したい」という熱意、中国での起業や教師の経験、朗らかな人柄がアフリカで新規事業を立ち上げたい企業の思いと一致した。人事担当者は、「すでに企画の主要メンバー」と期待する。
「難民」と呼ばれるが、多くは「難民認定申請者」だ。19年に日本で難民申請した1万375人のうち、認定され在留資格が与えられたのはわずか44人。認定されない大半の人々は「特定活動」という在留資格の更新を続ける間に就労許可を失うこともある。日雇いなどで生計を立てている。
「日本に爆弾は落ちてこない。でも生きている気がしないんだ」─。WELgeeを立ち上げた16年3月、1Kの部屋で難民らと雑魚寝しながら聞いたパレスチナ青年のつぶやきが、渡部の原点になっている。「難民認定をゴールとしていては、彼らがいつまでも自分の人生を生きられない」。思いついたのが、援助ではなく、企業の人材として日本社会につなげる取り組みだった。
静岡県富士市の実家は、生きづらさを抱える若者に居場所を提供するNPOを運営している。中学1年のとき、父が県職員をやめ、見知らぬ人たちが家に出入りするようになった。家庭内暴力の被害者、不登校、学校や職場でいじめられ続けた人。真っ赤なシャツに腰下までズボンを落とした生徒が、年下の子たちに優しくて人気があるのを見て育った。学校の「モノサシ」だけでは人を測れないことを肌で学んだ。
世界に目を見開く転機は、21歳のとき。静岡文化芸術大学文化政策学部(浜松市)のゼミ活動で、世界最貧国のひとつ、バングラデシュの首都ダッカで1週間過ごした。政府や多数派民族から弾圧を受けている先住民族がいる。そう聞いて、帰国するゼミの同期と別れて一人リュックを背負い、バスで12時間かけて、先住民族の村があるチッタゴン丘陵地帯に向かった。「不安はなかった。バスの中のトイレが心配だったくらい。ネットの情報でなく、自分の目や耳で確かめたかった」
停電は毎日。水道はなく水くみに往復2時間半かかる集落もある。村民たちは質素だが、地域や家族を大事に心豊かに暮らしていた。2週間過ごし、村を去る前日、先住民族と多数派入植者の武力衝突が起きた。多くの血が流れた。渡部は投石で窓ガラスが粉々になった村民の車に乗せられ、村を脱出した。
国が隠したいものには国外からの目が届かない。「日本で学んだ二国間支援や途上国開発の考え方が通用しない」。帰国する機中で渡部は決意した。「このまま見なかったことにすればそれで済む。だけど放っておけない」
帰国後、大学に休学届を提出し現地へ戻った。現地NGOが紛争孤児のための寄宿学校を設けており、世界を知る教育をしたいと講師を求めていた。日本語講師を1年務める間、開発の名の下、先住民族の権利や土地が奪われる様を見た。
「国家に守られない国民は、どう生きれば良いのか」。解けない疑問を抱えて悶々としていたとき、国連開発計画(UNDP)のバングラデシュでのインターン募集を知った。平和構築プロジェクトを進める国際機関なら、解決策があるかもしれない。応募条件の国籍や年齢や学歴はどれも当てはまらなかったが、あきらめなかった。「現地語ができます」。熱意を訴え、採用された。
だが、心の霧はさらに深まる。多数派入植者に襲撃された村のため、国内外から寄付を募ったときのこと。上司から「先住民族に肩入れした活動は控えるように」と「中立」を諭された。「『中立』って何? 家を焼かれた人には『中立』より毛布が必要なのに」。インターンを1年弱務めて帰国、大学を卒業した。
東京大学大学院に進学を決めた矢先、日本語を教える教会で難民と出会った。居場所がなくハンバーガー店で夜を明かす彼らは、「日本人の友達を作りたかった」と屈託のない笑顔を見せた。「女の子が当たり前に学校に行ける環境にしたい」と夢を語る同世代の若者たち。「仲間は殺された。生き残ったぼくが大統領になって国を変える」と力む男性もいた。
「彼らが作ろうとする明るい未来に自分もかかわれたら楽しいだろうな」。そう思ったことが、日本人の若者3人でWELgeeを立ち上げたきっかけだ。活動資金は老人ホームの夜勤で稼いだ。ネットのクラウドファンディングでシェアハウス設置の資金を募ると281人から400万円近くが寄せられた。
一方、風当たりの強さを知ったのも、この頃だ。難民と一緒に富士山登山する企画を立てカンパを募ると、「趣味なら自分でカネをためろ」などとネットに批判が殺到。「日本に難民を増やすお前たちが治安を悪くする」と脅迫めいた手紙も届いた。「日本人が難民に無知、無関心なのは知る機会がないから。『大変な国』ではなく、『あの人の故郷だ』と顔が浮かぶつながりを大切にしたい」
「難民とともに語る」に主眼を置く「WELgeeサロン」は16年10月から毎月のように開催。30人ほどが難民とともに班に分かれ、たとえば「4月からの新生活」をテーマに語り合う。延べ1500人以上が参加した。「難民の人って笑うんですね」と語った女子大学生は、サロン運営を主体的に担う存在になった。
スタッフの山本菜奈は、200人以上の難民と心を通わせてきた渡部をこう評する。「善意を押しつけない。ありのままの相手を懐に入れてしまう。しかめっ面だった人が笑顔になり、劇的な仲間づくりにつながっています」
昨年末、渡部はWELgee共同創設者で東アフリカ出身の男性と結婚。この3月、大学院を修了した。「既存の国や社会からこぼれ落ちた人たちの可能性にこれからも光を当てたい」 「難民」に代わる言葉を探している。(文中敬称略)
バングラデシュ…渡部には故郷のような国だ。大学を休学して先住民族の村に滞在したころ、祭りや結婚式で住民との交流を重ねた。親を失い就学できない子どものため、日本人の「里親」とつないだ。この学費支援で「紛争をなくす方法を学びたい」と語る中学生がダッカ大学に進学した。現地の若者たちと企画した豚の繁殖で学費を捻出する方法は現在も活用されている。
WELgee…東京の恵比寿ガーデンプレイスタワーのオフィスを無償で借りる。2019年度の収益は約2000万円(約6割は事業収入、約3割は会費・寄付金、約1割は助成金)で、前年度の約2倍増に。専従スタッフ6人。毎週月曜、日頃から大事にしていることなどを語り合い、難民や社会に接する際の気付きにしている。問い合わせは広報(080・3584・1991)へ。
文・高田誠 Takada Makoto
1966年、岐阜県生まれ。社会部や浜松、郡山支局などを経て釧路支局長。地元の人たちと酒席で語り合うことが何より楽しい。
写真・瀬戸口翼 Setoguchi Tsubasa
撮影で一緒だった陽気なパキスタン出身の2人。難民に至る事情で顔は写せなかった。いつか、その笑顔を伝えられますように。