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極上のピーナツバター、原石はネパールに 山奥の村に希望をともした日本人

Breakthrough 突破する力
「目線に山並みが広がる風景がコタンに似ている」と、仲が好きな秩父で。初めてコタンに着いたときもこんな夕暮れ時だった=埼玉県秩父市、相場郁朗撮影

無糖とブラウンシュガー入りの2種類があるピーナツバター(100グラム、税込み1404円)。パッケージは仲のデザインを基に作られた=池田良撮影

■電気もない村で育った、ヒマラヤのピーナツ

ピーナツバターを販売する「SANCHAI」代表取締役の仲琴舞貴(41)が、初めてネパールを訪ねたのは2016年10月。インターネット技術を使い、貧しい地域の子どもと、その生活を支援する人が交流できるしくみをつくろうと、エベレストに近い東部の村コタンを目指した。首都カトマンズから、土砂崩れした山道を車で15時間。さらにバイクでがたがた道を行く。落ちないよう、荷物と一緒にひもで荷台にしばりつけられた。見上げた空に無数の星が輝いている。「人生って何が起きるか分からないな」。38歳の誕生日だった。

翌朝、あたりの光景に息をのんだ。連なる山々の合間に、集落がぽつんとあるだけ。土ぼこりが舞う村には電気も通っていない。コタンに産業はなく、男性が中東で出稼ぎをして生計を立て、女性は村に残って家事をしていた。夫が病気になり、収入を絶たれた家族もいた。

ネパール・コタンの風景。女性が家畜を草がある場所に連れて行く=SANCHAI提供

仲にはもう一つ、コタンに来た目的があった。ピーナツ畑を見ることだ。当時、千葉産のピーナツバターを作る事業の手伝いをしていた。自分に何かできることはないだろうかと思った。

コタンはちょうど収穫期で、あちこちの畑で、地元の人がピーナツを手作業で収穫していた。一帯は昔からピーナツが作られてきた産地だが、コタン産はネパールでも存在を知られておらず、あまり市場に出回っていなかった。ほとんどは地元の人がそのまま食べ、加工すらされていない。宝石の原石だと思った。
ふと考えた。「この原石で地元の人がピーナツバターを作ることができたら、生活がずっとよくなるのでは」

ピーナツが栽培されている地域の様子。土ぼこりが舞い、木もまばらで乾燥している=SANCHAI提供

■納得できるよう生きたい

4人きょうだいの仲は、活発な姉と2人の弟のいるにぎやかな環境で育った。美容師だった父の正博(70)は、13坪で始めた美容室を6店舗まで増やした地元の実力者。「過去にないことに挑戦しろ」が口癖で、30年前に150坪の店を開いて話題をさらった。貧しい家庭に育った自分と同じ苦労はさせまいと、子ども全員が家業を継ぐことを望んだ。姉が一足先に美容師になると、仲は高校に行きながら通信制の美容専門学校で学んだ。

淡いピンク色のオーダースーツ姿で、孫と出かける仲の父・正博=SANCHAI提供

本当はアパレルの仕事に興味があった。言われるまま美容室の経営に携わったが、自分なりに経営を見直そうとしても、父と意見が合わない。私は何のために働いているのか、立ち止まって考えた。「自分が納得できるように生きよう」。05年に上京。興味があった写真を学び、デザインの専門学校に通い始めた。

ネパールに行くきっかけをくれた中野功詞(59)のもとで働き始めたのは、その頃だ。コミュニケーションを豊かにする商品を世に出そうとしてきた中野は、「人のために、100年続く仕事を作ることの大切さ」を言い続けた。当時の仲について中野は、粘り強さは人一倍だが「進むべき道が定まらず、器用貧乏という印象だった」と振り返る。ネパールから戻った仲が、「村の人たちの自立を応援するしくみを作りたい」と、ピーナツバター作りの可能性を訴えるのを聞き、「絶対やり抜いて」と資金を援助した。実家が近所で、中高の先輩でもある、米ニューヨーク在住の料理家塩山舞(44)は仲について、「がむしゃらさと物事を多角的にみることのバランスがとれている。まっすぐな人柄で、周りが自然と応援したくなる」と話す。

仲がコタンを初めて訪れたのは、ピーナツの収穫期。みな手作業でピーナツを摘み取っていた=SANCHAI提供

ピーナツバターを作るには大量のピーナツを砕く必要がある。初めてコタンを訪れたとき、現地の女性が台所で使うすり鉢を借りてピーナツを砕いてみた。口に含むと、複雑な風味がする。家庭料理に使われる香辛料が、すり鉢に残っていたことに後になって気づいた。「アクセントにぴったりだ」。クミンやクローブなど、様々な香辛料を試した。

だが、すり鉢ではピーナツは均一に砕けないし、大量生産にも向いていない。電気がなくても作業ができる方法を考えた。ネパールの市場を歩いて手動のミルを探したり、都内にいる平日の夜や休日には友人が集まってくれて、空き瓶でたたき割ったりする方法も試した。

ピーナツを一つ一つ手で割り、変色や虫食い、カビが発生しているものを省く。同じ工程を3回繰り返し、良質なピーナツだけを選ぶ=SANCHAI提供

工場の場所が決まり、稼働まであと3カ月となったある日、思いがけず電気が通ったと連絡を受けた。電動ミキサーでとろとろに練ったコタン産ピーナツバターをひとさじなめて、「絶対にいける」と確信した。寒暖差が激しく乾燥した標高約1000メートルの高地で、農薬も使わずに育ったピーナツは味が凝縮されていて、たんぱく質などの栄養価も高いことがわかった。長い年月、品種改良もされずに作られ続けてきた、まさにコタンの宝物だった。

肝心なのは人の確保だ。地元の人はピーナツバターを食べたこともない。仲は山道を20キロほど歩いては、点在する家々の戸をたたいた。ピーナツバターを試食してもらい、語りかけた。「あなたたちの工場で、自分たちの手で暮らしを変えていこう」。同行した現地スタッフのマハルジャン・サビタ(31)は、「みんなのためになりたいという強い気持ちが伝わってきた」と話す。

オランダから訪れた食品加工のプロ、ヤン・トゥインテ(右)のもと、世界各国のピーナツバターを食べ比べた=SANCHAI提供

100軒ほどを訪問し終えて迎えた面接の日、約50人の村人が姿をみせた。仕事への意気込みを感じた女性8人を採用し、ついに工場での生産がスタートした。家庭の外で働くのは初めての人ばかり。だが、不安をよそに女性たちは手際よくピーナツの薄皮をはがし、煎り始めた。

ピーナツバターの監修を依頼したフードプランナーの桑折敦子(46)もその場に立ち合った。「地元の人はピーナツを毎日のように食べているので、扱いも手慣れていた。自分で考える力のある人ばかりで、任せられると確信した」と振り返る。

工場の前で撮った1枚。工場で働く女性たちは、いつだって明るく華やか。年齢は様々だがとても仲良し=SANCHAI提供

■働く喜び 暮らしを変えた

仲は営業に走った。価格は現地で売られている外国製ピーナツバターの6倍にした。コタン産ピーナツの濃い味わいと、動き出した女性たちの物語が共感を呼び、カトマンズのホテルや欧米人向け食品店など約20の取引先とつながった。

女性たちはいま、工場で約8000円の月給を手にしている。現地のサラリーマンの平均月収の8割ほどの額だ。働く女性の一人ビナ・ラウト(41)は、「これまでは森で家畜のえさを集め、家事をする毎日の繰り返しだった。仕事が私を成長させ、未来を豊かにしてくれた」と声を弾ませる。工場で衛生について学び、家の中も清潔に保つ人が増えた。ぜいたく品だった肉やアイスクリームを家族と食べられるようになった。

ピーナツ工場の外から見える景色。奥にそびえる雪が積もった山並みはヒマラヤ山脈=SANCHAI提供

いま仲たちは、ヒマラヤの山歩きをする人向けにピーナツバターを使ったエナジーバーを開発中だ。「貧しい農村に経済循環と社会的自立を創出するしくみづくりに成功している」として、発展途上国のビジネスを支援するオランダの団体から技術協力なども受けている。

欧州でのピーナツバターの販売、直営店の出店計画もあるが、新型コロナウイルス感染症の流行で、コタンに行けない日が続く。でも、動じていない。「無理だとしか思えないことばかり実現してきた。これからも、私にできることを続けるだけ」。物語は始まったばかりだ。(文中敬称略)

ファーマーズマーケットを訪れた人にピーナツバターの紹介をする仲(右)=東京都渋谷区神宮前、池田良撮影

■Profile

  • 1978 福岡県久留米市に生まれる
  • 1991 中高一貫の福岡女学院(福岡市)に入学
  • 1995 同高校に在学中、通信制の美容専門学校で学ぶ
  • 1998 東京・代官山の美容室で働く
  • 1999 父が大病を患い、久留米へ戻る。美容室の経営に携わる
  • 2005 美容室を辞め、再び上京
  • 2009 コンビニのマーケティングに携わる
  • 2010 写真家ホンマタカシのワークショップと、デザインの専門学校に通う
  • 2015 IoTサービスを提供する「START360.Inc」(現・OQTAInc.)入社
  • 2016 ネパール東部コタンへ
  • 2017 ネパールにピーナツバターの製造・販売会社「BipanaInc.」を設立。12月に工場を稼働
  • 2019 「SANCHAIInc.」を設立、日本で販売をスタート

■Memo

名前の由来…仲を妊娠中、母・百利子(66)が巻いていた腹帯に「寿」と赤字で書かれているのを見た父・正博が「縁起がいい」と決めた。女の子だとわかるよう、名字とのバランスも考えて漢字を一字ずつ選んだ。12月24日生まれの姉(43)は「麻理亜(まりあ)」。

ワンカラー…父のクローゼットは赤や黄、ピンクの鮮やかな色のスーツだらけ。20代の頃から行きつけの店でオーダーし、365日スーツを着ている。必ず上下を同じ色で合わせるという。そんな父を仲は「歩く色鉛筆みたい」。だが、記者が初めてインタビューした日、パソコンケースに名刺入れ、肩にかけていたストールもすべて同じマスタード色。「気が付くと、私もワンカラーのコーディネートが好きになっていました」