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新型コロナ、日中韓の国境を超えた民間協力 助け合いの積み重ねが力を発揮

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1月27日、日本からマスクや防護服などの支援物資第一弾が上海空港に到着した(ARROWS提供)

自然災害、感染症。突然やってくる非常事態にどう対処するか。政府が全てやってくれる、というわけにはいかないことを私たちは知っている。ならば民間の力をどう生かすか。言うまでもなく普段からの備えが大事だし、できれば国境を超えて、お互いに助け合えればいい。それを実践している人たちがいる。今回の新型コロナウィルス問題でも。(朝日新聞編集委員・秋山訓子)

■中国への支援、中国から「お返し」も

「ARROWS」(Airborne Rescue & Relief Operations With Search)は、大規模災害などの時に救命・救助活動を行うプロジェクト。発足は2019年だが、これまでに災害救援で実績のある複数のNGOが核となっている。ふだんから災害に向けて人員や物品を準備し、国境を超えて助け合えるようにネットワークを構築している。

今回の新型コロナウィルス感染でも、さっそく力が発揮された。中国で問題が大きくなり、マスクや防護服が不足していた1月27日と31日、マスクやグローブ、防護服、採血セットや止血圧迫帯など合わせて約400キロ以上を、さらに2月5日には1トン分を日本から提供。いずれも国内災害用に備蓄していたものだった。この時点では日本国内での問題はまだ深刻化していなかった(ダイヤモンドプリンセスの下船客に感染者がいたことを香港政府が発表したのが2月1日だ)。

中国の支援よりも日本が大事なのでは、という批判もその時点であったが、「中国をできるだけ初動の時点で食い止めることが、日本、ひいては世界のためにもなる」という判断での支援だった。この間、大連市から防護服の支援要請が日本の友好都市に出されたとの情報も得て、同市に防護服200セットも提供した。

2月5日、約1000キロの支援物資が上海空港に到着した(ARROWS提供)

その後、日本で問題が大きくなったのはご存じの通りだ。しかし依然として中国でもおさまらない。ARROWSの参加団体ではマスクをもう100万枚を備蓄していたため、50万枚を日本の医療機関に、そして50万枚を中国に提供した。

そして、今、日本ではマスクが品切れ状態が続いている。一方、中国では生産が追いついてきたため、今度はARROWSの活動を知った中国人の篤志家から連絡が来て、日本にマスク10万枚が贈られるのだという。また、日本から送った物資の受け入れ先だった中国のNPOも、日本のために今募金活動をしてくれている。大連市からも「疫病は一時的で、友情は長続きします」と記されたお礼状が届いた。

■日本で緊急支援学んだ韓国人

ARROWSの構成団体の一つが災害救援の国際ネットワーク、Asia Pacific Alliance for Disaster Management (APAD)だ。APADは日本、韓国、インドネシア、バングラデシュ、フィリピン、スリランカというアジア太平洋6カ国のNGOのネットワーク。ふだんから交流して災害援助の仕組みを整え、どこかの国で災害が起こったら駆けつけて救援にあたる。

今、日本と韓国は依然として関係が良くない状態が続いているが、APAD韓国は日本と深いつながりがある。こういう時だからこそ、紹介したい。

1月27日、中国への物資支援の第一弾。佐賀空港での送り出し=ARROWS提供

APAD韓国の代表を務めるのが李将雨(イ・チャンウ)さん。李さんは東日本大震災をはじめ日本のNGOで災害救援の経験が豊富で、その経験を韓国での活動で生かしている。

李さんはもともと途上国の開発事業に関心があり、大学時代に韓国にやってきたフィリピン人労働者と一緒に住み、フィリピンに行ったこともあった。大学では日本語を学んでいたため、たまたま大学3年の時に、ソウルであったNGOの国際会議で日本語ボランティアとして参加した。そこで出会ったのが、APAD日本の代表理事で、国際支援のNGO,ピースウィンズジャパン(PWJ)の代表理事でもある大西健丞さんだった。

大西さんは李さんにPWJが世界各国で活動し、イラクでは母子保健病院を設立、運営していることなども話し、よかったら日本にインターンで来ないかと誘ってくれた。「NGOでもこんなことができる、というのは驚きだし、すごい魅力でした。ぜひ自分も経験してみたいと思いました」。ちょうど大西さんもAPAD韓国を作ろうと思っており、李さんのような人材を探していたところだった。

李さんは大学を一年休学することを決め、日本に渡り、PWJのインターンとなる。2011年2月のことだった。それから1カ月後、東日本大震災が起こり、李さんも震災直後に気仙沼に入る。物資を配布し、避難所にお風呂を設置した。「電気もガスも水道も止まっているところで、お風呂なんてできるのかと思っていたら、自衛隊に依頼して川の水をくんでもらい、倒木を拾ってきて燃料にしてお風呂をわかすことができた。緊急支援の現場の経験があれば、一見不可能だと思えることも可能だとわかりました」

2012年にいったん韓国に帰国するが、大学を卒業して再び来日。日本に拠点を置きながら韓国にも月に1、2度出張してAPAD韓国の設立を準備し、さらにはバングラデシュなど海外の事業も担当して現場での経験も積んだ。

APAD韓国は2016年に発足し、2019年4月に江原道で起きた大規模な山火事では始めて国内災害での対応を行った。山火事の起きた翌日夜には現場に入り、夜が明けると避難民をたずねてニーズを聞き取り、持ち込んでいた物資を配布することができた。「日本での経験があったので、住民の必要なものや避難先も予測できて、スムーズに活動を進めることができました」。その後も、現地の主要産業である農業で作業を行うための長靴や、冬場には防寒用の布団なども配布した。

山火事の被害を受け、仮設住宅で暮らす人たちと話す李将雨さん(右)

このような災害対応はNGOだけの力だけでは足りず、政府や企業などとの連携が必須だ。APAD韓国の最大の支援者が、ソウルで視力矯正専門の大手眼科医院「B&VIT江南 明るい世上眼科」の代表院長、金鎮国(キム・ジングク)さんだ。同医院は韓国を代表する大手眼科医院で日本人も多く訪れるが、社会貢献の関心も強く、経済的に困窮している障害者や、公務員の中でも特に肉体的にハードな勤務である消防職員を対象に無料眼科手術を行ってきた。

眼科医院は山火事の時、眼科医院スタッフの社員旅行を現場の片付けのボランティア活動に変更。スタッフから寄付を募って家具の寄付もした。金院長は「私が指示したのではありません。スタッフが自発的にしたことです。社会貢献活動は自発性が大事ですから。病院も社会から育てられており、何らかの形で社会に還元することはとても大事です」と語る。また、院長は、災害救援の民間ネットワークについても「日本は防災体制が進んでいて、大震災を克服してきたノウハウがある。企業やNGOが国境を超えて東アジアで連携して、システム的に組織化して活動できるといい」と話す。

APAD韓国の最大の支援者、眼科医院「B&VIT江南 明るい世上眼科」の金代表院長

李さんも「自分は韓国人として日本のNGOで育てられたので、日韓の間の架け橋となって、これからも災害支援の活動を続けていきたい」と語る。今回の新型コロナウイルス問題でも、韓国で募金など支援活動をしている。

政府間の関係ではいろんな波風や停滞があっても、ここでは民間のネットワークが確かに息づき、成長しつつある。それがいざという時、多くの人を助けている。