元パリコレモデルが倉庫で作るシェアリングエコノミー ヒントは東北の被災地で

松﨑早人(51)は、そんな収納サービスを2016年に始めた企業「トランク」の社長だ。会員数は3万人を超える。(文=朝日新聞編集委員・中島隆、写真=福留庸友)
ライバルを強いて挙げるとすれば、たとえばトランクルーム。だが、サービスの狙いは「保管」ではない。物を必要でなくなった人から必要な人へ動かす「流通」である。
押し入れもライバルなのだとか。何をしまっているか分かっていない人が多い。それは、流通の壁になる。押し入れの外に出して何がしまってあったかを把握してもらうことが、流通には欠かせない。
サービスの名は「CARAETO(カラエト)」。大切なモノを私から、あなたへと。「限られた資源を分かち合う社会をつくりたい」と松﨑は言う。
素晴らしい。崇高だ。
けれど、そこにたどりつくまでの松﨑は……、危なっかしい。
松﨑は、福岡県の炭鉱で栄えた地で育った。教師に刃向かいつづけ、高校を4カ月で放校される。剣道の達人だった父は言った。「出て行け」
ほとんどカネを持たず、新幹線に乗った。デザイナーになるんだ、方法は分からん、何とかなるさ。東京駅の路線図を見上げ、聞いたことがあった上野へ。アメヤ横丁で「住み込みで働かせて」と飲食店を回り、3軒目でOKをもらう。しばらく店員、次に建設作業員、次が新聞配達の奨学生。そして大検をとって慶応大に進むと、ファッションショーの裏方のバイトを始める。
大きなショーがあった。男性モデルが遅刻していて、現場は大慌て。ショーが始まる。モデルたちがランウェーを歩き始めた。間に合わなかったか……。
あいつは誰だ!?
見慣れぬ男がランウェーを行く。松﨑である。ショーの仕切り役に「そこのバイト、出ろ」と言われたのだ。売れっ子モデルへの階段を駆け上がり、20本以上のCMに出た。
25歳の冬。もうすぐミラノ・コレクションとパリ・コレクションがある。世界が俺を呼んでいると、松﨑はミラノへ飛んだ。出たとこ勝負、何とかなるさ。寝泊まりは駅、浮浪者と食べ物を分け合った。有名ブランドが出演者を決めている会場に潜り込む。すぐ追い返されたが、ほどなく駅に関係者が来た。「駅で暮らす男がスターになる、そんなヨーロピアン・ドリームをつくろう」
世界で活躍した。だが、ときめきを感じなくなって29歳で日本暮らしに戻る。結婚、身重の妻に「俳優になる」と告げた。
だが、俳優転身は……、失敗した。
妻の美穂(49)は、国内線の客室乗務員をしていた。娘を出産し、仕事に復帰する。子どもの世話は夫の役割。夫は愚痴ってばかりいた。ある日、宿泊先の美穂に電話がかかる。「『あした会社を辞めてくれ』と言うのです。ただごとではないと感じました」。このままでは夫の心が病む。美穂は会社を辞めた。
松﨑は、妻への申し訳なさもあり、電話会社の代理店に入社する。営業成績ゼロでも3カ月は給料が出る、が入社の動機。4カ月目にクビになってもいいや。やる気はゼロだった。
仕事は、NTTから別の会社に固定電話の回線を切り替えさせること。電話でアポイントを取り、商談に行くのだが、松﨑はテレアポを取るふりをして、アポが取れたとウソを言って外出した。
代理店の所長だった岡根芳樹(55)はズルを見抜いていたが、何も言わなかった。たまたま本当にアポが入る。岡根は、松﨑に営業のやり方を見せようと考えた。商談についていき、相手に真剣に説明し、質問に答えていった。
松﨑の心に火がついた。営業成績ゼロだった男が、翌月には営業トップに。企業に狙いをつけたのだ。落とせば一度に何十回線も手に入る。ほかの営業担当は個人宅ばかりを訪ねていた。そして、大いに粘り、大いに働いたのだ。
「あいつは愛すべきいたずらっ子。そして、難題に向かう覚悟が違うんだ」と岡根。
2000年、松﨑は1回目の起業。ホームページづくりなどが業務で、銀行はじゃんじゃん融資してくれた。だが、09年、リーマン・ショックの影響で売り上げ激減。銀行から、貸したカネ返せの大合唱。抱えた負債は3億円。めげるもんか。SNSの講座開催などに商機を見つけ、返済していった。
むなしかった。自分はカネのためだけに働いている。モデルをやめてから何か成し遂げたか、ゼロだぞ。
11年、東日本大震災の被災地へボランティアに行った。津波と火事で、すべてがなくなっていた。同じころ、福岡の父が死ぬ。遺品の整理に苦労した。これは捨てていいの?
松﨑の頭がフル回転していく。
被災地は物がなくて困り、実家は物を処分できなくて困っている。この社会のどこかで今日も、そんなアンバランスが起きている。モデル時代、ファッションショーの合間に、世界を巡っていたっけ。物があふれて使いこなせない大金持ち、物がなくて苦しむ貧民街の人たち。
そうだ!物を分け合う社会づくりをしよう。
14年、2回目の起業。今の会社「トランク」をつくった。有名企業と次々に提携していく。たとえば、西日本鉄道。電車やバスの忘れ物で所有権が西鉄に移った物を送ってもらい、必要とする人に融通する。そんな仕組みを実験中だ。
物をつくり過ぎた企業が、余った分を、必要とする企業に譲渡する。そんなサービスを視野に入れる。ゆくゆくはアジアにサービスを広げ、持続できる世界を築きたい、と夢は広がる。
ベンチャー投資の三菱UFJキャピタルは、かなりの額を出資している。執行役員の清水孝行(57)は、トランクの社外取締役にもなっている。事業のユニークさと新しい市場開拓の可能性と。松﨑に注文もつけている。「君はひとりで人生を切り開いてきた。でも、経営者には周りに説明することも大切だよ」
人生100年時代、とか言われている。松﨑は51歳、半分を超えたところだ。「いまさら富を得ようとは思わない。私利私欲を忘れて、いまの仕事に残りの時間を投じます」。お手頃感と便利さ。500円玉のビジネスには力がある。(文中敬称略)
良き父親…大学3年の娘さんと中学2年の息子さんがいる。松﨑さんは、娘さんの就職活動のアドバイスをし、バスケをがんばっている息子さんを応援している。「娘は自分のしたいこと、やりがいを見つけたいと思っている。夫と同じです」と妻の美穂さん。娘さんは、パパのような起業家とは結婚しない、と言っているとか。「夫の良いときも悪いときも知っていますから、ハハハ」
座右の銘…仏教書にある「牛の飲む水は乳となり、蛇の飲む水は毒となる」が、座右の銘。同じ水でも飲む人によって結果が違うのだから、前向きでいれば良い結果につながるのだ。教師に刃向かってばかりで高校を放校されたが、ある教師が言ったこの言葉は、心に響いている。