■気づかないうちに進む変化
――我々が直面しているグローバル化とはどのようなものなのでしょうか。
私はいま、世界が第3次の「大転換」を迎えているとみています。デジタル技術の進展に伴うこの変化は、たいていの人々が考えているよりはるかに早く、またほとんど誰も予想していないようなかたちで、世界を変えていくでしょう。火事だ!火事だ!と人々に伝えて回らなければいけない――。そんな思いです。
第1次は、1720年ごろから1970年ごろまで続いた巨大な変化で、社会科学者カール・ポランニーが主著『大転換』でとらえた動きです。産業革命が起こり、農業社会から産業社会へ、専制政治から民主政治へ、という移行が進んだ。これに対する反動として、共産主義とファシズム、さらに米国では(政府の介入を強めた)「ニュー・ディール」型の民主主義が生まれました。
第2次の「大転換」は、1970年代以降の情報通信技術の発展が引き起こしたものです。製造業現場でのロボット導入に伴う省力化や、工場の海外移転が進みました。そしていま、第3次として起きているのは、グローバル化とロボット化との同時進行です。私はこれを「グロボティクス」と呼んでいます。
――人間が担ってきた事務労働をAIが代替する「ホワイトカラー・ロボット」が今後、急速に普及するということですね。
第1次は農民、第2次は工場労働者に影響を与えました。第3次の大転換で大打撃を受けるのは、いまや工場で働いている人よりはるかに多いオフィスワーカーであり、製造業でなくサービス産業を直撃するのです。ホワイトカラー・ロボットや、海外で自動翻訳を使って仕事をするフリーランスの人々との競争は、激しい不公平感を伴い、社会に激しい反動と混乱をもたらしかねません。
――人々の間に、そこまで危機感が浸透しているでしょうか。
この第3次の大転換は、iPhone(アイフォン)の浸透のように、私たちの暮らしをいつのまにか変えていく性格のものです。工場が閉鎖される、というようなわかりやすい形では起こらない。一人ひとりの消費者が電話をアイフォンに買い替えたとき、誰も社会や経済を根本的に変えようなどと思ってはいませんでした。しかし、皆がその購買行動を選んだことで、巨大な変化が起きた。同じようなことがこれから起こるでしょう。
■トランプ政権の誤った「グローバル化」認識
――グローバル化への反発は、米国ではトランプ政権を生み出し、トランプ氏は保護主義的な通商政策を次々に実行に移しました。こうした動きで、「グロボティクス」の悪影響を和らげることができるのでしょうか?
グローバル化に伴う問題、いってみれば「病気」は確かに存在しています。しかし、トランプ氏の施策は、その病気に対する「薬」として全く間違ったものなのです。なぜそうなってしまうのか。トランプ氏も政権内の側近も、グローバル化の実態を何も理解していないためです。
米国ではトランプ氏だけでなく多くの人々が、グローバル化について誤解してきました。世界を変えたここ数十年のグローバル化の内実は、G7などの先進国経済から、「知識」や「ノウハウ」が中国などに移転したということなのです。かつてのようにモノとモノとを互いにやりとりする貿易ではなく、先進国から一方的に知識が輸出された。トヨタのような企業が、企業が独自に持つ技術やノウハウを、発展途上国の工場に持ち込み、賃金の安い労働者を使って部品などをつくる。いまや製造業は、高度な技術・知識と安い賃金との組み合わせのもとでおこなわれるようになったのです。
米軍の戦闘機でさえ、世界中から輸入した部品がなければつくれない。もうどの企業も、国境をまたいだ製造工程や価値のつながり(グローバル・バリューチェーン=GVC)に関わることなしにはものづくりはできない。完成したモノのやりとりが中心だった1970年代までの世界とは違い、関税をかけるような保護主義で国内に工場を戻すようなことは難しいのです。
トランプ氏の側近である米通商代表部(USTR)のライトハイザー代表も、80年代のレーガン政権で日本に鉄鋼の輸出自主規制を受け入れさせた経験からか、まだ、輸出規制や関税などの管理貿易が機能すると思っているようです。2年前、彼がダボスに来た時、私は彼を交えた議論で司会を務め、私の著書を渡しましたが、彼はGVCの概念を受け入れようとしなかった。彼はきわめて頭のいい人間で、GVCについて間違いなく知ってはいるでしょう。しかし、理解はできても認めようとはしない。なぜなら彼のミッションはGVCを壊すことだからです。でも、それは不可能だ、というのが私が伝えたことでした。
そのほかの側近も、衰えた鉄鋼産業相手のファンドビジネスで富豪になったロス商務長官、学者をかたるいかさま師のナバロ大統領補佐官ら、貿易のことを何も知らない人々ばかりです。トランプ氏の発想は、関税をかければ国内の生産が増え、消費者が高い金を払ってそれを買った70年代で止まっているのです。
――それでは、グローバル化がもたらした「病気」をどういやしていけばいいのでしょうか。
まず、病気が存在しているということを認める必要があります。過去25年間ほどのグローバル化と自動化の結果、米国ではその悪影響を和らげる適切な政策がなされなかったために、とくに地方や農村部で、たいへん悲惨な状態が起こりました。自殺や薬物中毒による死、肥満、糖尿病、働き盛りの男性の労働参加の低迷など、さまざまな社会問題が起きました。こうした、第2次の大転換の打撃がまだいえていないうちに、これから第3次の大転換の混乱が待ち受けているのです。
ただ、米国以外の国では、過去のグローバル化への対処がかなり異なっていたことも重要です。例えば2008年の世界金融危機の際、米国の自動車業界とカナダの自動車産業の対応には違いがありました。米国が、失業給付金をどうするかばかりに焦点を当てていたのに対し、カナダでは、労働者の訓練に労力を割いたのです。多くの労働者が医療業務の訓練を受け、あらたに職を得ることができました。教育と訓練がカギを握ります。
――日本についてはどうみていますか。
反グローバル化を求める反動的な運動が起こらなかった。低成長が続き、日本国民は多くの苦境を経験したはずです。それでもなお、グローバル化と自動化がもたらす痛みとともに、それがもたらす利益を得るために戦うことはできる、と信じているようにも見えます。極端な貧苦も他国に比べてずっと少ないように思えます。社会の一体感と公正の感覚、人道的価値観を何とか保ってきたし、それは好ましいことだったと思います。
■ローカリズムの時代へ
――自らの根ざす地域を大切にする「ローカリズム」の復権も訴えていますね。米シカゴ大学のラグラム・ラジャン教授など、主流派経済学者の間でも、同じような主張をする研究者がいます。
ローカリズムとは、自らが暮らす共同体に対する強い帰属感覚です。人間とは結局、ある共同体の一員だと心から感じられるとき、幸福を感じられるものなのではないでしょうか。人生にはいいときも悪い時もありますが、ほかの人々とそれを分かち合いたいという感覚がある。米国人は、生活の場所をあまりにも簡単に変えてしまうため、共同体の感覚が弱まり、個人主義的になりすぎました。
――ただ、米国人の個人主義は今に始まったことではないのではないですか。19世紀前半の米国を旅した仏思想家トクビルは、米国社会は個人主義的だが、宗教や地方自治の力を生かして人々の公共心を育んでいると観察していました。何が変わってしまったのですか。
つまるところ、極端に進んだ収入や財産の格差だと思います。80年代のレーガン政権の登場以来、富裕層への課税は軽くなり、一部の人々への富の集中に拍車がかかるようなルールへと変わってしまいました。独占禁止のための法制度は機能せず、労働組合は弱体化して、エリートが成長の果実のほとんどを得る仕組みが固定化した。そこで、「中国と移民が悪い」と叫ぶトランプ氏にみんなが「その通りだ」と共鳴したわけですが、問題は実は悪化しています。
私は一生涯、貿易問題のエコノミストでありたいと願っていますが、私の父も貿易問題のエコノミストでした。ケネディ政権下で発足したUSTRの最初のチーフエコノミストだったのです。GATT(関税貿易一般協定)から世界貿易機関(WTO)へと至る多角的通商体制の価値を信じ、キャリアの大半を通じてそれを追求した父がもし、いま起きている事態を目にしていたら、きっとおぞましいと感じたに違いない、と思います。
ただ、恐れてばかりもいられません。トランプ氏がもし非常に賢い人物であれば、民主国家の制度を権謀術数を尽くして壊そうとしたかもしれない。彼はそういう賢い人物ではありません。まだ、米国の民主政治の仕組みの中核部分について、土台を壊したとまでは言えないと思います。
米国社会の一体感が失われてしまったのを見て、世界のほかの民主主義国は驚愕し、「これはまねできない」と感じているようにも見えます。通商分野でも、トランプ氏の保護主義に対し、日本と欧州連合(EU)が独自に経済連携協定(EPA)を結ぶような動きがある。日本やカナダ、EUは引き続き役割を果たそうとしているようにも思えます。
Richard Baldwin 米マサチューセッツ工科大学で博士号取得。ブッシュ(父)政権の大統領経済諮問委員会(CEA)勤務などを経て、1991年から現職。近著に「世界経済大いなる収斂」(2016年)、「GLOBOTICS(グロボティクス)グローバル化+ロボット化がもたらす大激変」(19年)。