いくつもの路地が曲がりくねるロンドンのカムデンマーケットの一角。軍靴を壁のように並べた出店や両替屋、活気あふれる屋台の前を通り過ぎると、小さな白い看板が目に入る。雑然としたこの市場街に掲げられるようになったばかりで、「ワギナ博物館(Vagina Museum)」とある。
質素なレンガ造りの建物にオープンしたのは、2019年11月半ば。女性器への理解を深め、社会的に正しい評価をもたらすようにするのが設立の趣旨だ。
開館式は盛況だった。集まったのはほとんど女性だが、老若すべての世代の姿があった。
参加してみると、さまざまな「告白」が聞こえてきた――「生理ってなんだか、自分が初潮を迎えるまで分からなかった」「外陰部はみんな同じだとずっと思っていた」。そもそも公の場では語られないか、ヒソヒソ話にしかならない話題が気軽に飛び交い、語り手の心情もこもっていた。
「率直で偽りなしの教育的な議論を誠実にしようと思っても、この社会ではワギナのあたりには禁止令の札が立っているみたい」。参加者の一人で、欧州を拠点に国際的なフェミニスト活動に携わるマリッサ・コンウェイ(30)は現状をこう例える。「博物館への感謝の言葉なんて期待はしないけれど、この問題について話せるようになること自体に安堵(あんど)を覚える」
この種の博物館は、世界でも初めてだろう。男性器なら、アイスランドにペニス博物館(Phallological Museum)がある。さまざまな動物の陰茎の標本を300点近く収蔵し、首都レイキャビクの有数の観光スポットになっている。見て驚くような標本を中心に展示しており、その意味では伝統的なタイプの博物館といえる。
一方のワギナ博物館は、そうではない。ロンドンにある移住博物館(Migration Museum)やトランソロジー博物館(Museum of Transology)と同じ分類に入る。前者は英国の移民と難民をテーマとし、後者は性転換者の暮らしにまつわる収蔵品が最も多いと自負している。ワギナ博物館も含めて、いずれも公正な評価の実現や保健衛生面の理解を深めることに寄与するという社会性に重点を置いている。
豊かな実りを象徴する古代の女性の彫像、中世の貞操帯、英ビクトリア朝のバイブレーター。そんな展示品を期待するようなら、クラウドファンディングで資金を集める先駆的な事業にはそぐわない発想だと思い知るべきだ。
ワギナ博物館にあるのは、情報を発信するポスターや造形品、それと小さなミュージアムショップだ。売っているのは、ワギナに関係する品々。さらに、イベントカレンダーもある。そこには、「トランスジェンダー追悼の日」(訳注=11月20日。トランスジェンダーの尊厳と権利について考え、運動する日)や、女性とエロスなどに関する読書会「Cliterature」の開催日などが記されている。
「予想していたよりうんと小さいのでがっかりした」とアマゾン社で技術部門の採用担当をしているセレン・メフメット(28)は残念がる。「もっと、もっとワギナを見られると思ったのに」
こうした声に応える拡張計画も、この博物館にはある。現在の場所は2年契約で確保しており、拡張はその先の構想だ。「最終的には常設博物館にしたい。ただし、かなりの時間と資金がいる。現状は、手始めの仮住まいといったところ」と博物館長で創設者のフローレンス・シェクターは話す。 開館とともに始まった企画展「Muff Busters:Vagina Myths and How to Fight Them(マフ・バスターズ:ワギナの神話 そして、どうこれと闘うか)」は、意図的に一般向けの教育的な内容になっている。「若い人にはとても役立つと思う」とロンドンの学生ジェイド・ダグウェルダグラス(22)は評価する。「この問題は、たいていは自分自身で解き明かさねばならないから」
「詳しく説明しようにも、さまざまなしがらみでがんじがらめになっているのがワギナの置かれた状況だ。だから、知られていない問題にまで立ち入るには、まず知られていることから説き起こした方がよいと考えた」と博物館の学芸員サラ・クリードは語る。「生理や清潔さを保つ方法、性的行為、さらには避妊――大多数の人は、こうしたことをある程度は話し合ったか経験したことがある」と入り口となるとっかかりをあげる。展示も、こうした点すべてについて触れている。
「話し合おうと思えば、科学的で冷徹な事実をもとにいくらでもできるかもしれない。でも、それではみんなの考えを変えることにはつながらない。社会の中で築かれている現実をさらけ出し、自ら関わり合いながらこの問題に向き合う姿勢を変えていくことが必要なのだから」とクリードは続ける。
ワギナにまつわる神話の存在をどう気づかせるか。「できるだけ多くの人に一緒に考えてもらうよう心がけた」とポスターを描いたシャーロット・ウィルコックスは明かす。
「いい意味で驚かされた」と社会的弱者やマイノリティーの権利を守るためにロンドンで政策を提言しているリニ・ジョーンズ(25)は、展示を見た感想を語る。社会問題に取り組む活動家であり、性的マイノリティーであり、非白人である者として、「今回の企画展についてはとくに疑念を抱いていた」という。女性の権利は、「(白人の)ピンクのワギナ」と単純化されて語られることがよくあるが、「問題を矮小(わいしょう)化し、幅広い論議を妨げるだけで、何の役にも立たない」。そんな連想は、実際に見てみると消えていた。
博物館の運営チームの最大の課題は、ネットの世界にある。自分たちのコンテンツが、しばしばユーザーのための公序に反すると見なされてしまうからだ。
「人間よりもアルゴリズムの問題で、ワギナの世界はすべて成人向けのコンテンツかポルノにされてしまう」と博物館のマーケティング開発担当ゾーイ・ウィリアムズは嘆く。「こちらが電子メールを送ると、迷惑メールにされ、オンライン広告も拒否される。社会的なレッテルを貼られている」と館長のシェクターも唇をかむ。「私たちの情報発信は、これを避ける対人的な手法に限られてしまう」
博物館を訪ねた筆者のとりあえずの感想をいわせてもらえれば、印象に残ったのは収集されている情報よりも館内の居心地のよさだった。それは、男性でも、トランスジェンダーでも、インターセックスでも、喜んで迎え入れようとするこの博物館の努力の証しに思えた。
壁にある説明文には、「女性」という言葉はわずかしかなかった。企画展のマフ・バスターズも、ワギナが女性を形成しているわけではないことを強調していた。この博物館が発する主要なメッセージの一つは、女性器にまつわる壁を取り払う問題は、特定のジェンダーが抱える問題ではないという考えだろう。
問題を解くには、「誰もが対話に加わるようにすべきだ」と学芸員のクリードはいう。「特定の人たちの特殊な問題として社会の中で隔離してしまえばしまうほど、問題は長引いてしまうだろう」(抄訳)
(Cassidy George)©2019 The New York Times
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