中国南西部の四川大学。ネオンレッドのバックパックに白いアディダスの靴をはいた彼は、キャンパスの他の学生たちと何ら変わりがないように見える。だが、化学専攻で21歳の彼、ポン・ウェイは特別の使命を担っている。学生であると同時にスパイでもある。
ポンは、大学教授たちのイデオロギー上の見解を監視する「学生情報員」の一人で、その存在は増殖中だ。彼らは、国家主席の習近平と中国共産党に対する背信の兆候をみせる教員を根絶やしにするためにいるのだ。
「汚れのない学習環境を確保するのが私たちの任務だ」とポンは言い、「それと、教授たちに規則を守ってもらうこと」と付け加えた。
毛沢東時代へと逆行し、中国の大学は学生たちを教員の監視役として動員している。反対派を排除し、大学を党の拠点にするという習近平による広範なキャンペーンの一環である。
25人以上の教授および学生へのインタビューや公的記録を調べ直したところによると、学生情報員の活用はここ数十年間では最も強力な指導者の習近平の下で急増しており、今では何百もの大学がそのやり方を採用している。
「誰もが危険にさらされていると感じている」。中国東部の廈門(アモイ)大学で長い間、経済学教授の任にあったユー・ショントンは言う。彼は昨年、習近平お気に入りの政治的宣伝スローガンの一つを批判したとする学生による報告があり、その後、解雇されてしまった。
「どう進歩しろというのか」とユー。「こんな環境下で、いったいどう創造力を発揮できるのか」と問いかける。
大学は教員を監視する学生の募集広告を出している。各クラスに1人ずつ配置するといったことのためだ。それは、過激な学生たちが毛沢東のみなす敵を攻撃した10年間におよぶ文化大革命のイデオロギー浄化キャンペーンに匹敵するほどの、ぞっとする効果をもたらしている。
習近平が社会の安定を揺るがすと想定した脅威を排除し、彼の権威主義政策に反対する分子を黙らせようとする時、学生たちは習近平や党、そして民主主義のような思想に関する教員の見解を監視することで重要な役割を果たす頻度が増えている。それと引き換えに、学生たちには奨学金や好成績、権威ある共産党グループ内での昇進といった報酬が約束される。
教授や学生の説明によると、学生からの報告があった後で大学教授が解雇されたり処罰されたりする事例は、昨年初め以降、少なくとも十数件あった。
中国中部の大学は、習近平が国家主席の任期制限を撤廃し同地位に無期限に留まれるようにした措置を、ある女性教授が批判したとの報告を学生から受け、彼女を解雇した。北京では、女性の数学教授が、日本人の学生の方が中国人学生よりもよく勉強するとほのめかしたことに学生が不平を言い立て、大学は彼女を停職処分にした。
学生情報員の増殖が教室での論議を抑え込むとみる学者や学生の間に、懸念が生じている。中国ではすべての大学が共産党によって管理されており、党が大学運営の最高幹部を任命し、キャンパスでは党の委員会が活動している。
「教員には、あらゆることを報告される可能性がある」とタン・ユンは言っている。中国南西部にある重慶師範大学のベテラン教授(文学)だ。
56歳のタンは体験に基づいて話してくれた。彼は今年の初め、授業中に、習近平がよく引き合いに出すポピュラーで庶民的なフレーズの「腕まくりして一生懸命に働く」を下品と批判した。ある学生が不満を述べ、それが重慶師範当局を後押ししてタンは教育資格を剥奪(はくだつ)され、この春、図書館に配置換えされた。
一部の学生たちは委任された任務の範囲を広げ、教授が授業で話す内容だけでなく、本や映画の好みなど教授の私生活についても監視の目を向けている。複数の学生情報員がインタビューに答えて、そう語った。
四川大学の学生情報員ポンは、たえず他の学生とも言葉を交わし、教員たちの性格や価値観、愛国心などについての印象情報を集めていると言う。
ポンは、学生情報員の増殖が教室での論議に悪影響を及ぼしているとの見方を否定し、中国の大学はあまりにも長い間、学生の意見を無視してきたと語った。「教員は学生たちの懸念に耳を傾ける必要がある」と言うのだ。
教育省にコメントを求めたが、返答がなかった。同省は昨年、すべてのレベルの教員を対象に、党の権威に反することは何であれ禁じるとの新たな倫理規則を出した。また、習近平の下で、党は教員のイデオロギー的な見解をモニターする目的で各大学に担当者チームを派遣した。
教授たちが言うには、学生情報員の活用が教室に恐怖の土壌を生み出している。
廈門大学を解雇された経済学教授のユーは、国家の繁栄と強靱(きょうじん)さを構想する習近平独特のスローガン「中国の夢」に疑問を呈したのを学生たちが報告したのだと言っている。彼は学生たちに、夢は「妄想であり、幻想であり、理想ではない」と語ったと言う。
以後、ニューヨークに移住した71歳のユーの話によると、学生たちは彼のことを過激で「反共産主義者」と呼ぶようになった。彼の教室にはビデオカメラが設置されていたが、中国の多くの大学ではそれが標準的で、不適切な発言の証拠は簡単に見つけられると当局は警告している。
ニューヨークにあるフォーダム大学の法律学教授カール・ミンツナーは、学生情報員の増大は党を「国家と社会の推進力」にするという習近平の取り組みの一部だとみている。
「習近平の目的は、自己検閲の要素を新たに導入し、発言する前にもう一度よく考えさせるようにすることだ」とミンツナーは言う。「政治的な正統性が幅を利かすようになると、社会の集合的な精神は閉ざされ始めるのだ」
政治的な糾弾の文化は、中国で最も権威ある大学のキャンパスにさえ浸透している。習近平の母校である北京の清華大学のマルクス主義学教授ルー・チアの場合は、今年、彼が中国と社会主義について批判的なことを話したとする非難を学生たちがオンラインで展開し、大学当局の取り調べを受けた。
学生たちは、今年3月、イデオロギーの訓練を強化し「中華民族の復興」を準備しようという習近平の呼びかけに触発されたのだと言っている。彼らは匿名のソーシャルメディアのアカウントをつくり、ルーの講義についての事細かい批判を公開、中国の文明が衰退する一方で西洋文明は依然として世界で支配的だとするルーの話に批判を加えたのだった。
ルーとは連絡がつかず、清華大学のマルクス主義学院に、ルーに対する取り調べがどうなっているかのコメントを求めたが、返答がなかった。
重慶師範大学の文学教授タンは、教えることを封じる決定を「権力の無知そのもの」と呼ぶ。同大側は、タンが中国の評判をおとしめたとして非難し、謝罪を強いたのだった。
タンは大学当局に教育資格を剥奪された後、学生たちを責めはしないとし、「全員がユダであるわけではない」とソーシャルメディアに書いた。
「きょうは恥を忍んで去る」とタンは書き込み、「しかし、あすはきっと名誉を回復して戻ってくるだろう」と付け加えた。(抄訳)
(Javier C. Hernández)©2019 The New York Times
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