ソロモン諸島のツラギ島には、英国がかつて南太平洋の軍の司令部を置いていた。続いて、旧日本軍も基地を構えた。水深の深い天然の良港があり、第2次世界大戦中は珠玉の軍事拠点と見なされた。
そこに今度は中国が、実質的な支配者としてやってくる。
中国共産党に近い北京の企業が2019年9月、ソロモン諸島の地方政府とひそかに文書を交わした。ツラギ島全体とその周辺の島々を開発する独占的な権利を取得するという合意内容だった。
この合意は、人口1千超の小さなツラギ島(訳注=広さ約2平方キロ)の住民に衝撃を与えた。それだけではない。米当局の警戒心も呼び起こした。南太平洋に鎖のようにつながる島々は、中国の進出を食い止め、重要なシーレーンを守る機能を果たしていると見ていたからだ。
その中国は、経済的な利益を持ちかけ、これをテコに国際的な野望を満たそうとする。今回は、その最新例といえるだろう。資金を巨額なインフラ作りに投入することが多く、開発途上国が借金地獄に陥ることになると批判もされている。
「ここの立地のよさは、地図を見れば分かる」とカンタベリー大学(ニュージーランド)の中国専門家アンマリー・ブレイディは語る。「中国は、軍事力の支えを南太平洋に広げようとしている。そのために友好的に使える港や空港を探すのは、この地域でかつて勢力を伸ばそうとした国々と同じだ」
とくに強い関心を示すのは、経済、政治、軍事の各分野だろう。
天然資源に恵まれている南太平洋で中国が投資をすることに、米豪は大きな懸念を抱いている。投資が、いずれは艦船や航空機、あるいは独自のGPS(全地球測位システム)といったさまざまな形の軍事的な足がかりを築く突破口になりかねないからだ。
中台という別のせめぎ合いもからむ。この地域は、台湾の外交的な要衝になってきた。今は、中国が切り崩しにかかっている。台湾と断交したソロモン諸島が、中国と国交を樹立した(訳注=19年9月21日)のは、ツラギ島開発の合意文書が交わされる直前だった。すぐ続いて、中部太平洋のキリバスが中国と国交を回復している。
今回のツラギ島をめぐる合意は、中国がこれまで近隣諸国と結んできた開発事業の取り決めと比べても、その規模と公開情報の欠如という点で際立っている。南太平洋のバヌアツでは、中国が建設した施設の使用方法が何年も明らかにされなかったことがあった(訳注=軍事利用への懸念も報じられた)が、一つの埠頭(ふとう)に関する話に過ぎなかった。
ツラギ島の場合は――。
貸出期間は75年間。更新も可能だ。相手は中国森田企業集団(本社・北京、以下=中国森田)。会社の登記によると、1985年に設立された国営企業だ。
ニューヨーク・タイムズ紙(以下、本紙)はこの貸し出し合意文書「戦略的協力協定」を入手し、交渉の経緯を知る2人に見てもらった。すると、協定が目指す事業には、二つの種類があることが分かった。一つは、中国森田が実施する固有の事業。もう一つは、バヌアツの埠頭のように軍民両用で使えるインフラの構築だった。
19年9月22日付で署名されたこの文書には、漁業基地やオペレーションセンターの建設の他に、空港の開港もしくはそれに向けた準備の推進をうたった項目がある。さらに、ソロモン諸島では石油やガスの埋蔵は確認されていないのに、中国森田が石油・ガスのターミナル建設に関心を示していることも記されている。
これらは、協定に明記されている実施可能な具体的な事業例に過ぎない。
このほかにも、こんな抽象的な項目が入っている。
「経済特区もしくは開発に適したさまざまな産業を興すため」、ツラギ島が属する地方(訳注=中央州)の政府は、この島のすべてと周辺の島々を貸し出す――というくだりだ。
この協定に署名した州知事のスタンリー・マニテバに本紙はコメントを求めたが、回答はなかった。
ただし、知事は地元の記者には、既存の法と土地の所有者の権利は守られると話し、協定はまだ最終的なものではないと説明している。
「この協定には、州の公印が押されていない。正式なものではないし、形式も整っていない」というのだ。
しかし、文書には署名がある。それが本物の証拠だと島民の多くは見ており、激しい怒りが広がった。
「いきなりやってきて、島をこんな風にすべて貸し出すとは何ごとだ」と島で事業を営むマイケル・サリニ(46)は憤る。中国森田との協定に反対する署名運動を組織する一員になっている。
「中国がこの島を軍事基地にしてしまうのではないか、と誰もが本当に心配している。島を丸ごとリースしようという理由が、他のどこにあるというのか」
軍事施設ともなれば、戦略的で象徴的な意味合いを持つようになる。中国の取り組みは、第2次大戦の戦前・戦中に島々の支配権を奪おうとした日本の姿勢と似ている、との見方が米当局の中にはある。旧日本軍から失地を奪い返すには、米豪軍が血みどろの戦いを繰り広げねばならなかった。
現状での実現可能性はどうか。
それだけの価値があり、関心事項となれば、中国は動く。一方、米国は、トランプ大統領の「米国第一」の政策のもとで、世界中のいたるところから撤退を続けている。空白地が生じれば、しばしば中国がドアをノックすることになる。
米とソロモン諸島の当局者は、こんな指摘もする。
中国の実業家や役人は、何年もかけて地元の政治家に取り入っている。中国やシンガポールへの豪華な旅行を始めとする賄賂や贈り物が手段となる。人口60万の貧しい国の国会には50人の議員しかおらず、議論を特定の方向に傾けるのに、さほど人手はかからない。
「政治的な分野であれ、経済的な分野であれ、中国が太平洋地域に新たに関わるようになって不安に思うのは、地元のエリート層を潤滑油として引き込み、賄賂を使うその手法だ」と豪ローウィー研究所(シドニー)の太平洋諸島の専門家ジョナサン・プライクは眉をひそめる。「利益供与と腐敗は、この地域で長らく問題視されてきたが、中国が関与するようになって、まったく新しい次元に到達してしまった」
ソロモン諸島のソガバレ首相は19年10月、中国を訪れ、中国森田の役員たちとも笑顔で写真に納まった。この訪中は、中国にとっては勝利でもあった。豪と米が、台湾との関係を保つように働きかけたにもかかわらず、実現したからだった。
ソロモン諸島と台湾との連携は、米海兵隊が1942年にツラギ島とガダルカナル島を旧日本軍から奪い返したことが礎になっていた。
モリソン豪首相は19年6月、豪首相として10年ぶりにソロモン諸島を訪問し、最大で2億5千万豪ドル相当となるインフラ開発の援助を発表した。
ペンス米副大統領もインフラ投資を約束し、台湾との関係維持を働きかけた。19年9月の国連総会のころにあわせてソガバレ首相と会談し、ひざ詰め談判する予定だったが、台湾との断交を首相が発表(訳注=9月16日)したため、流れた。
「でも、まだ手遅れということはない」とソロモン諸島の鉱山会社の役員フィリップ・タギニは指摘する。12~15年まで、首相顧問を務めたことがある。「まだ、中国を信頼できるだけの歴史が築かれたわけではないからだ」
06年の総選挙では、中国の実業家から流れた金で開票結果が操作されたとして暴動が起きた。19年4月の総選挙でも、勝利したソガバレ陣営に抗議するデモ隊が、ガダルカナル島にある首都ホニアラのチャイナタウンに押しかけた。
「中国問題を除いても、この国の社会的な基盤は弱く、不安定化のリスクはもともとある」と先のカンタベリー大学のブレイディは語る。
しかし、目に見える形で今回の合意が実現すれば、中国への懐疑的な見方も変わるかもしれない。
「できあがったインフラを見て、『すごい。これを待っていたんだ』という声があがるだろう」とタギニは話す。
「もし、米国人がここに来たいのだったら、その存在を目に見える形で示す方法を考えねばならない」と続け、もう一度「目に見える形でね」と繰り返した。(抄訳)
(Damien Cave)©2019 The New York Times
(2019年10月16日ニューヨーク・タイムズ配信)
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