■あきらめた「警戒宣言」
東海地震が起きそうだと地震学者が判断し、首相が「警戒宣言」を出す。鉄道は運休し、学校は休校、住民は事前避難を開始――。かつて避難訓練がそんな想定のもとに行われていたことを覚えている人はいるだろうか?
およそ20年前、私が記者として初めて赴任した静岡県では、まさに地震の予知を前提とした避難訓練が、各地の市町村で熱心に行われていた。宣言が出たら誰がなにをするのか。細かな手順が決められていた。
それでもすでに当時、行政の防災担当者の間には予知に対する疑問の声もあった。それまで地震を予知できたためしがなかったからだ。
奥尻島に津波被害をもたらした1993年の北海道南西沖地震。神戸市に壊滅的な被害を与えた1995年の兵庫県南部地震。2000年の鳥取県西部地震。どれも不意打ちだった。静岡県や静岡県警の幹部から「東海地震は特別で、予知できるのかもしれない。でも、できないものと考えておいたほうがいい」と聞いたことを覚えている。
その後も、大地震は予期せぬ被害をもたらし続けた。2004年の新潟県中越地震。そして2011年、未曽有の被害を招いた東北地方太平洋沖地震が発生。東北沖では大地震が繰り返し起きていたにもかかわらず、この地震も予測することはできなかった。
研究が進むにつれてわかってきたことは、地震の予知の難しさだった。最終的に2013年、政府の部会は東海地震についても「確度の高い予測は難しい」と「白旗」を上げる。
そして東海地震を予知して「警戒宣言」を出すという想定は、2017年に終わりを告げた。大規模地震対策特別措置法(大震法)にもとづく防災対応が、見直されたためだ。大震法が制定された1978年以降、実に40年にわたって続いてきた体制だったが、結局「警戒宣言」は出されないままに終わった。
■「地震の予測」にまつわる難しさ
なぜ地震の予知が難しいのか。
東京大学地震研究所の中谷正生准教授(50)は、もともと地震は予知できると考えていた研究者だ。「ものが壊れる前に『ミシミシ』いうように、大地震にも捉えられる予兆があると考えていた」
ところがその後、小さな地震も大地震も、起こり始めは同じらしいと分かってきた。そうであれば地震の始まりを捉えても、大地震だけを予知するのは難しい。
一方でいつも大地震とともに見つかっている現象の中には、地震の発生に関係しているものがありうる、と中谷准教授は考えてもいる。
たとえば北海道大学の日置幸介教授らは、電波をはね返す性質を持つ大気中の「電離層」が大地震の直前に変化したと指摘する。理由までは分かっていないが、中谷准教授は「偶然とは言えない頻度。メカニズムの解明が必要です」と話す。
ただ、現在もっとも有力な予測は、経験的な確率から地震の「起こりやすさ」を考える方法だという。
たとえば一つ地震が起こると、周辺でも地震が起こりやすいことが分かっている。さらに、今後30年以内の発生確率が70〜80%とされている南海トラフ地震については、「半割れ」のケースも想定されている。これは断層の半分だけが先に滑る現象で、遠からず残りの断層が滑る可能性が高い。もし半分が滑れば、残りはある程度、予測できるかもしれない。
「いま分かっている範囲でも、ふだんより地震が起こりやすい条件がいくつも重なれば、かなり危ないということぐらいは言えます。こうした情報の社会的な活用方法は、もっと考えてもいいかもしれません」
こうした確率の使い方の議論はまだ始まったばかりだ。たとえば「3日以内に10%の確率で地震が起きる」というような場合、これを警報として使えるだろうか。
降水確率10%なら、傘を持っていかないという人がほとんどかもしれないが、地震の場合はどうか。
そもそも確率的な現象は、偏って現れる。10%というのは「10回に1回」といった意味だが、それが次の1回なのか、それとも10回目なのか、あるいは10回を超えてもまだ来ないのか、予測しきるのは難しい。つまりその都度警報を出していると、「空振り」が大量に発生する可能性があるのだ。
となると、問われるのは「空振り」が続いたときに、私たちがどういう対応を取るのか、ということになる。「空振り」も覚悟のうえで毎回、避難できるのか。それとも「オオカミ少年」の逸話のようになってしまうのか。予測できるかできないかの先には、私たちがそれをどう受け止めるかという難しい問題が横たわっている。
■AIで地震は予測できるか
ひょっとして地震の大きさや時期が予測できるかもしれない、という研究が米国で進んでいる。2017年、米ロスアラモス国立研究所のベルトラン・ルエ=ルデュック氏やポール・ジョンソン氏らが「実験室での模擬地震の時期と大きさを予測できた」という研究結果を発表したのだ。
「結果を見たときは、驚きました。ここまで予測できるものかと」。米ペンシルベニア州立大学で地震の物理の研究を手がけてきたクリス・マローン教授は、そう振り返った。教授は、ルエ=ルデュック氏らの研究に実験データを提供していた研究者だ。
模擬地震の実験は3枚の石片を縦に並べ、両側から圧力をかけて真ん中の石片を滑らすもの。これで断層が滑る様子を再現し、そこから発生する微小破壊による振動(Acoustic Emission)を、さまざまな周波数の音波として取り出した。その結果を機械学習で解析したところ、地震発生と音波のつながりに一定のパターンを見いだすことができたのだ。
地震が発生する前に微小破壊による震動が起きるということ自体は、古くから知られていた。だが、それと地震のタイミングや規模とのつながりに気づいた研究者はいなかった。
メールでの取材に答えたジョンソン氏とルエ=ルデュック氏は「私たちの過去の実験では、今回、機械が見つけたような特徴を見ていなかった」と振り返る。
これまでの実験では、人間は地震の前兆として突発的に、急に出てくる信号の動きに注目していた。そして地震をうまく見通せる前兆は見つけられないままになっていた。
だが、機械学習が見つけたことは、継続的に、背景にずっと出ている信号のほうが重要らしいということだった。人間が「ノイズ」だと思っていた信号だ。
地震は小さな地震も大地震も、起こり始めは同じだと考えられている。それが結果的に大地震になるか、小さな地震で終わるかを分けるのは、そのときの断層などの地下のコンディションだ。人間が「ノイズ」とみなしてきたこの継続的な信号は、その地下のコンディションのなにかをとらえていて、地震の大きさやタイミングを示せるのではないかと考えられるという。
とはいえ、これが現実に大地震を予知できることにつながるかと言えば、まだよく分かっていない。実験室の地震と、実際の地震には大きな違いがあるのが現実だからだ。
たとえば、地震は同じ断層で繰り返し頻繁に起きるわけではない。このため機械による学習に使う「教師データ」をそろえるのが難しい。また、信号とノイズを区分けするのも簡単ではない。静かな実験室とは違って、現実には天気や人間の活動でさまざまなノイズが信号に紛れ込むからだ。さらに、学習データはさまざまなところにさまざまな形であり、加工するのにも手間がかかる。
では、こうしたハードルをクリアしていけば、いつか地震が予知できるのだろうか。ふたりの答えはこうだった。「そうとは言えないが、その方向に向かって急速に進んでいます」