最初に義母の裸を見たときは、気まずい思いがした。
でも、自分の上司の裸を見たときは、もうそれほどの感じはしなくなっていた。
ベルリン市警のミヒャエル・アダムスキー。組織犯罪の捜査を担当している。
お堅い職業の警察官が、ベルリン郊外の湖のほとりにあるヌーディスト・キャンプ場に通うようになったのは、妻と知り合ってからだった。そこに、家族が小さなコテージを持っていた。
ある週末のこと。ようやく、妻の家族の前で服を脱ぐことに慣れてきたころだった。なんと、勤め先の警察署で最も階級が高い警視とはち合わせた。すぐに、卓球台に連れていかれた。
以来、2人はファーストネームで呼び合うようになった。
「一度、裸でピンポンに興じたら、もう『警視』なんて呼べない」とアダムスキーは笑う。
今は、トライアスロンに出ようとしている。水泳と長距離走には、裸で挑むことになる。「みんな裸で、すごく平等に競い合う」
ドイツ人は、裸になることが好きだ。もう100年以上も前から、公の場でそうしてきた。
ヌーディズム(裸体主義)の中でも、自然との関わりを重く見るナチュリズムの実践が始まりだった。最初は、工業化に伴う汚れへの反発があった。すぐに、第1次世界大戦で到来した大量殺戮(さつりく)時代に抗する意味合いが加わった(訳注=裸では戦えない)。
「自由な体の文化(Free Body Culture)」と呼ばれる(訳注=ドイツ語の略称はFKK〈エフ・カー・カー〉)。基本は、裸の体をそっくり水に浸すか陽光にさらし、なるべく運動をすることだ。
健康で、調和のとれた生き方を追求する。同時に、深刻な破壊をもたらすようになった時代の流れに立ち向かう。そんな「ときの声」をあげながら発展してきた歩みがある。
アダムスキーが通うキャンプ場は、創立1921年。湖畔にあるヌーディストクラブとして、ドイツで最初に認可された。
それから1世紀近くがたち、ドイツのすべての水辺は裸で利用できるようになった。さらに、ハイキングコースもあれば、ヨガからソリまで多様な裸の実践が行われている。
ドイツのサウナは混浴で、みんな裸で入る。テレビの番組でも、服を脱ぐシーンはよく出てくる。
筆者の英国人の夫のように、ドイツに来てそう長くない人間は、やはりどぎまぎさせられることが多い。ベルリンから車で南にちょっと行ったところにあるサウナに夫を連れていったときは、目のやり場に困り果てた様子だった。
塩水を満たしたプールにも、プールサイドのバーにある水に沈んだ席にも、リラックスしきった裸の姿があった。庭にあるアイスクリーム売り場には、行列ができていた。そこも、ビーチサンダルや日よけ帽以外は、誰も何も身に着けてはいなかった。Tシャツを着た人が1人いたが、下半身には何もまとっていなかった。
だいたい見るものは見たと思っていると、メインのプールでズンバの時間になった(訳注=ラテン音楽などにあわせて進むフィットネスプログラム)。もちろん、みんな裸で参加する。
ベルリンの特派員として、いつかは「裸のドイツ人」について書かねばならないと思ってはいた。職場に向かう途中で、そうして日光浴をする人をたくさん見かけているからだ。それも、街のど真ん中の大きな公園ティーアガルテンでのことだ。ニューヨークならセントラルパークに相当し、アンゲラ・メルケル首相が執務する官邸にも隣接している。
ちなみに、メルケル首相は大のサウナ好きだ。年季も入っている。
ドイツ人が好んで話す逸話には、ベルリンの壁が崩れた夜のことが出てくる。東独国民のメルケルはその晩、サウナの予約を入れていた。それをきっちりこなしてから、自由の空気を吸いに西側に出たというのだ。
そんな逸話が好まれるのも、ドイツで裸になることは、抑圧と闘うことと深く結びついているからかもしれない。
「要するに『自由』がポイント」と元駐独米大使のジョン・C・コーンブルムは説明する。1960年代からドイツにたびたび住んだことがあり、水着をはいたまま渦流プールに入っていたときに裸のドイツ人に怒鳴られたこともある。
「ドイツ人には、自由を恐れながら、それを強く求める二面性がある」とコーンブルムはいう。「(訳注=ドイツ人は秩序を重んじるあまり)上下関係と規則でがんじがらめになってしまう。政治的にも社会的にも、直接これに異を唱えるようなことは考えられない。だから、浜辺を裸になって歩くと、そんな世界に少しは反抗した(訳注=同時に自由になった)気分になる」
ナチスは、裸体主義を根絶しようとした。東独の共産主義者も、同じことを少しだけ試みた。しかし、うまくはいかなかった。
ドイツ人の中にも、公の場では裸にならない人が数多くいる。しかし、裸になる人がいたるところにおり、そうすることを受容する国民感情につながっている。
「ほとんどのドイツ人は、サウナで裸になることは、まったく問題がないと考えている。ビーチで女性が胸をさらけ出すことも、幼児用プールで子供が裸でいることも同じだ」。ライプチヒ大学で文化史を教え、裸体主義の専門家でもある教授マレン・メーリングはこう語る。
ヌーディストは世界各地にいるが、大衆運動にまで発展させた国は、ドイツ以外にはない。
世界中のどこかで、誰かが裸に対する禁を破ろうとしたときは、たいていはドイツ人がからんでいるとメーリングは続ける。
ニューヨークで開かれた最初のヌーディスト会議は、ドイツ系移民が組織した。ドイツのヌーディストは、南米の何カ所かに入植し、自分たちの楽園を築こうともした。
FKKと格闘しているのは、筆者の夫や多くの米国人だけではない。
バルト海に面したドイツのアールベック。ここのビーチリゾートは数年前、ヌーディスト区域を西に200メートルほど移すことに同意した。隣接するポーランドの国境から遠ざけたのだった。「ポーランド側の海水浴客が、かなりピリピリしていたので」と地元観光局のカリーナ・シュルツは説明する。
理論的には、ポーランドの欧州連合(EU)加盟(訳注=2004年)で、両国間の国境は消えたに等しかった。しかし、実際には、「ポーランド側の水着の世界」と「ドイツ側の肌の世界」との間には、分断線がくっきりと残っていた。
ドイツでの裸に対する寛容な姿勢の大きな要因の一つは、裸体主義が最初から性とはまったく無縁なものとして広められたことだとライプチヒ大学のメーリングは指摘する。ビキニは、体をセクシーに見せるために生み出された。これに対してドイツの裸体主義は「自然を崇拝することを本質としている」。
ベルリンの「東独博物館」の学芸員シュテファン・ウォルフは、「世界で最も非エロチックな事柄」とすらいい切る。この博物館は、正式には「ドイツ民主共和国」と称した共産主義国家(訳注=1990年のドイツ統一で消滅)での暮らしを展示しており、その中の裸体主義コーナーづくりをウォルフは手伝ったことがある。
この取材は、筆者にとっても目からうろこが落ちるような体験だった。普段は、ソーシャルメディアや広告であふれんばかりのモデルの体を見慣れている。しかし、性別や世代に関係なく、さまざまな裸と横断的に接してみた現実は違っていた。サウナで夫が漏らした感想にそれは表れていた。「完璧なボディーなんて、存在しない」
でも、取材で出会った裸のドイツ人は、みんな楽しそうで、裸を意識する様子はなかった。
バルト海の岸辺である朝、2人の子の母親でもあるティナ・ミュラー(39)に、なぜ裸になる必要性を感じるのかと尋ねてみた。
すぐに、「なぜ、ぬれてべたつく水着を着る必要性を感じるの」と反問された。そして、忍耐強くこう説明してくれた。
「裸で泳ぐと、肌が敏感になり、一つ一つの波や、吹きつける風を直接感じとることができる。自分の体のすべてを感じ、生きていることを感じ、自由でいることを感じる」
思わず、裸か否かを妙に意識しているのはこちらであることに、ハッとさせられた。
さらに先に進むと、真っ白な髪のゲルト・ラムトゥン(80)と出会った。FKKを長いこと楽しんでおり、体には日焼けと水着の跡の境目なんてまったくなかった。
ドイツで最も名高いバルト海のヌーディストビーチがあるここプレロウ(訳注=旧東独地域)には、1950年代から来ている。当時のパーティーは、伝説のように語り継がれている。
ドレスコードは「貝殻のネックレスだけにしてください」というものだった。
当時の共産政権は、取り締まりに乗り出した。正式に禁じたが、2年しかもたなかった。最後は、上品ぶった資本主義の西側とは違う、共産体制のもとでの自由な暮らしの証明として奨励するようにすらなった。
「(訳注=不自由なことが多かった体制での)ある種の『自由の代用品』だった」とラムトゥンは振り返る。「それでも、とても貴重な『自由』だった」
集団で裸になることは、心身ともによい効果を伴うという調査結果もある。ロンドン大学の心理学教授ケオン・ウェストは2017年、850人の英国人を対象にこの問題でアンケートを実施し、「裸体主義は人々をより幸せにする」との結論に達した。
ドイツでも、指定された区域以外の公の場で裸になることは軽犯罪と見なされ、最高1千ユーロの罰金を科せられる。しかし、これまでの判例で水辺の裸は事実上許されるようになった。自然の中での裸も、誰かが苦情をいわない限り許容されている(苦情が出ることは珍しい)。
ただ、FKKという伝統も、少しずつ時代の流れにとり残されてしまうのではないかと懸念する向きもある。スマホのカメラがこれだけ普及し、インスタグラムのような写真共有サイトが人気を呼んでいるからだ。
「若者の多くは、尻込みする。明日には、ネットで出回ってしまうかもしれないというようなことには、やはり後ろ向きになる」と先のメーリングは話す。
FKK協会によると、ヌーディストクラブの正式な会員数は(訳注=東独の消滅で)共産主義体制が終わりを告げてから半減し、約3万2千人になった。しかし、その数は回復傾向にある。とくに、若い家族が裸のよさと平等主義という価値観を再発見しているという。
「裸の付き合いが始まれば、社会的地位なんか関係なくなる」と冒頭の警察官アダムスキーは明言する。「着ているスーツがいかに高価だとか、はいているスニーカーのブランドがどうだとか、考えもしなくなる」
といっても、別の問題もある。
アダムスキーがある日、ばったりと知り合いのFKK愛好者と出会ったときは、すぐに相手が誰だか分からなかった。
「服を着ていたんでね」(抄訳)
(Katrin Bennhold)©2019 The New York Times
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