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アメリカかぶれの少女がハワイの不動産トップエージェントに その一直線人生

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大好きなサンセットを前に

今も昔も日本人に人気の身近な海外、ハワイ。ホテルだけではなくコンドミニアムの建設も相次ぎ、別荘として購入する人たちもいる。その不動産業者として、6000人以上のライバルがひしめく中で10年以上、トップ10エージェントに選ばれている日本出身の女性がいる。その人、サチ・ブレーデンさんは1949年、大阪で生まれた。(朝日新聞編集委員・秋山訓子、写真は熊谷晃氏撮影)

「阪口幸代」として御堂筋に近いあたりで育った。多感な時期は、アメリカンカルチャーが日本にどっと流入してきた時期だ。アメリカ映画やテレビに夢中になった「アメリカかぶれ」。日本がまだ戦後復興の途上にあるころ、海の向こうはリッチな消費大国だった。「ああ、こんな国があるんだ、行ってみたい」

目的ができると猛然と努力を開始するのが彼女。これは人生を貫く態度だ。NHKのラジオ英会話を手始めに、FEN(米軍の極東放送、現在のAFN)を受信するために、家中にアンテナ代わりの針金をはりめぐらせた。高校も英語を勉強するために、ミッション系に。英語を少しでも話せるようになりたいと、外国人の英語教師に頼んで、放課後通った。「とにかく、英語が話せるようになりたかったのね」

短大を卒業し、大阪万博のコンパニオンをしているときに、英字紙ジャパンタイムズの求人欄でキャセイパシフィック航空とパンアメリカン航空のキャビンアテンダント(CA)の募集広告を見て即応募。両方に受かった。今以上にCAが花形の職業だった時代、超難関を突破しての合格だった。

その頃、両親の強い勧めでお見合いもしていた。話がとんとん拍子に進んでいたが、彼女はそんななかキャセイパシフィックのCAとなるべく香港に旅だった。「伊丹空港で香港に向かう飛行機のタラップを登っていたときのこと、一生忘れない」

パンナムの手続きに時間がかかり、1年キャセイに勤めてから移る。ここでハワイを拠点とする暮らしが始まる。「100カ国以上行ったことがあるけど、ハワイが一番好き。人間が生まれたままに近い状態で暮らせるって最高だと思う」

愛車のメルセデスと

パンナムに入社したのは、日本が高度経済成長の波に乗り始めた時代だ。パンナムは東京発で2週間かけて世界を一周する路線を就航させていた。日本の商品を売り込もうと世界を駆け回るビジネスマンが多く乗り、それに合わせて日本人のCAが必要だったのだ。バンコク、ニューデリー、テヘラン、ベイルート、イスタンブール……、ここでグローバルな感覚が養われた。「テヘランでは市場で大好きだったピスタチオを買いこんでね」。日本では見られないもの、食べられないものが、外国にはいっぱいあった。

パンナムの上司に見初められて結婚、出産。ブレーデンは、結婚した相手の姓だった。子どもが2歳の時に退職。香港やハワイに住み、お手伝いさんがいて、広い住まいに高級車に乗る人もうらやむ満ち足りた暮らしだったのに、それが不満のもとになる。「夫はとても良い人だったけれど、私、退屈しちゃって」。自ら離婚を切り出し、息子を連れて別れた。

ちょうどバブルの時代で、何か仕事をしなければとホノルルのシャネルブティックで働き始める。「私、ものを売るのが好きなんだって気づいた」。売りまくったが、もっと自由な仕事がしたいと不動産業に転職することを決めた。「これをやるんだ、って決めたら早いのね」。猛勉強して免許を取り、転職した。

ここでも猛烈に働き、トップエージェントとして頭角を現して、自らの会社を創業。

モデルルームでテーブルをセットする

彼女の人生を貫いているのが「目標を決めたら一直線」と、もう一つ「陽性の、根拠のない自信」だ。奥様生活を自らやめるときも、その後の人生で何をするか具体的なプランがあったわけではない、でも常に明るく、自己確信に満ちている。そして一度決めたら猛然と努力――。

ネットワークを広げるためにあれこれパーティーに出かけ、話しかける。「もちろん冷たくされることもある。でも、ぜーんぜん平気、気にしない」。午前2時まで残業したら日本は午後9時。時差を利用して帰宅前に1本、日本のクライアントに電話をするのも習慣づけていた。

売り出し中の家の前に建てる看板の向き、そこに書く文言、細かく気を配る。期限を過ぎても看板を出しておくことも。「言われたら片付ければいい。だって、みんな同じ事をするんだから。そこから一歩、さらに一歩先に行かないと」

日本人の不動産業者は、日本人相手の商売に安住することも多いが、そこも彼女は抜け出ている。外国人の顧客も多い。そうやってトップリアルター(不動産業者)に登り詰めた。

米国人の夫と再婚もし、米国の市民権も得た。「仕事でも何かとそのほうが便利だったから。人としての核の部分は日本人だと思ってる」

仕事も家庭も充実、と見えたが、でもそう簡単にいかないのが人生だ。

いつも明るい彼女に影を落としていたのが、夫の浮気癖だった。夫と他の女性が一緒にいるところに遭遇するなど、何度も修羅場を経験した。それでも、「二度目の離婚にはなかなか踏み切れなかった。親も心配させたくなかったし」。だが2018年、母親が亡くなったのをきっかけに離婚を決意する。書き置きをして、着の身着のまま家を出て親友のところに身を寄せた。

今は新居を建て、結婚して自身の家もある息子がしばしばやってくる。息子はテレビのプロデューサーやキャスターを務めている。

2018年は仕事でも大きく動いた年で、自らの会社を日本の不動産大手に売却した。といっても、彼女は創業者兼CEOとして変わらず働き続けている。もはや彼女の名は不動産の買い手の間にも知れ渡り、最近では彼女を指名して客がやってくるほどだ。

モデルルームの庭で

ハワイはホノルル、アラモアナとどんどん観光・商業地区が広がって、今はアラモアナの先のカカアコと呼ばれる地域の開発が進んでいる。高級ホテルが建設され、高級コンドミニアムも計画されている。

彼女ももちろん、その中でビジネスをしようと精力的に動き回る。「もう一稼ぎしたいな」。離婚の痛手からも立ち直ってきた。大好きなハワイのビーチで今でも泳ぎ、エネルギーを得る。「海で泳ぐって、やっぱりプールとは別ね。何か特別なものがある」

常に前向き、目標に向かって一直線。まだまだ彼女の人生は展開していきそうだ。