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ハワイの海でイルカに恋し、国籍も名前も変えた日本人女性

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4人の子を育てる専業主婦からハワイのイルカに魅入られてイルカツアーの会社を起業、名前もイルカに変えてしまった女性がいる。イルカ・ユリコさん。今では船6隻、スタッフ50人を抱える経営者である彼女。かつては思ってもみなかった現在地にたどりつくまでの旅とは?(朝日新聞編集委員・秋山訓子、写真はイルカさん提供)

イルカさんは、「西森由里子」として東京で生まれた。

中学校から私立の「お嬢さま学校」と言われるような学校で学び、大学時代はバブルの真っ盛りだった。

当時、東京・白金にギーガーバーというクラブがあった。映画「エイリアン」のクリーチャーをデザインしたことで有名なスイス人アーティスト、H.R.ギーガーがプロデュースした。当時最先端の場所だが、そこでエスコートガールをしたりしていた彼女。

今のエコな雰囲気(お化粧は、まったくしないそう)とは対極の感じだが、19歳の時に出かけたグアムで海軍に勤めていた米国人と出会い、やがて妊娠して結婚する。ハネムーンでマウイを訪れ、魅せられた。「包み込んでくれる優しさを感じたんです。マウイは寒いからどの家も暖炉があるんだけど、ハレアカラ山の標高の高いところにある家にあった煙突からたちのぼる煙の流れを見たとき、これは天国に近いんだと感じました」

初めてイルカと泳いだのもそのときだ。妊娠5カ月だった。

「シュノーケリングをしていたときに、イルカ10頭くらいが私のまわりをぐるぐる回ってくれて。イルカと一緒に青い海を泳ぎました。イルカが私のおなかの赤ちゃんと交信しているのを感じました。完全に時間の感覚がなくなって、乗るはずだった飛行機に遅れたくらい。すごく幸せでおだやかな気分になって、イルカが私に『大丈夫だよ』と言ってくれている気がしたんです。ありのままの私を受け入れてくれている気がして。あれ以来、自分のネガティブなところが取り去られて可能性を引き出してもらったというか。私はイルカに恋をして、人生観も、というよりも人生そのものが変わったんです」

夫と共に日本の実家に居候して、大学卒業と同時に子育てが始まった。マウイが好きだったのと、夫と自分の出身地の中間地点がハワイだったため、1999年に3人の子を連れてマウイに移る。しばらくママ業に専念し、子どももさらに一人増えて4人に。だが、イルカと泳いだ経験が忘れられず、あの感動を人に伝えたいと2002年、夫と共にイルカツアーを始める。

といっても、船を買うお金も借りるお金もなかった。カヤックにお客さんを乗せての手作り感いっぱいのツアーだった。お客さんに少しでも楽しんでもらおうと、カヤックで遊んだり、ビーチでココナツをナタで割ってジュースをのんだり、フラダンスショーもつけたり工夫をした。

だんだん事業も軌道に乗ってきて、やがて船を借りられるようになり、2008年に「私立イルカ中学」を開校。1年後に念願の船を購入でき、「名門イルカ大学」も始めた。

一度聞いたら忘れられない強烈なネーミングだが、「イルカが先生の学びの場だから」。

ビジネスが好調なのは、そのための努力を怠らなかったからだ。

「とにかく必死でした。私はずっとママをしていて会社で働いたこともないし、ビジネススクールにも行ってない。ただとにかくイルカが好きなだけ。朝4時にお客さんにモーニングコールをして車でホテルに迎えに行き、一緒に船に乗ってツアー、終わったらホテルに送り届ける」。午後はエージェント回りだ。特に、その日のお客さんを紹介してくれたところには必ず報告しにいった。「もし私が逆の立場だったら、自分が紹介したお客さんがどんな体験したかを知りたいから」フリーダイヤルで日本からハワイ時間の真夜中にかかってくる電話にも全部出た。

イルカのツアー船で、スタッフと

2011年にアメリカの市民権を得たとき、名前も「イルカ」に変えた。「だって今の私がいるのはイルカのおかげだから」

とはいえすべてが順調だったわけではない。この間、私生活では離婚も経験した。「でもイルカツアーをやろうって言ったのは彼だから、感謝してます」

2017年は年間のお客さんが1万人を超えた。98%は日本人客だ。21歳になった長女がハワイ島を拠点に「イルカ高校」「マンタ大学」を率いている。2018年にはタレントの有吉弘行さんと共にテレビ出演、今年もすでに「ヒルナンデス」や「めざましTV」など多くのテレビ番組に取り上げられている。

イルカと共に、時間を忘れる最高の時間だ

今はイルカとの遭遇率は95%だ。「みんな、イルカと会った後の笑顔がすごいんです。子どもに嫌々付き合って、『なんでこんなの』とか言ってたお父さんも、イルカに会ったあとはすごい表情が明るく楽しそうになって。いい年した男性たちも童心に帰ってキャーキャー騒いで。そういうのを見るのが本当に嬉しい」

いつまでもイルカが生きられる地球であってほしい、と生活もエコに変えた。昨年、ハワイ島に建てた家は、電力を自前でまかなう「オフグリッド」。太陽光発電をし、家庭菜園で野菜を育てる。自分の車はテスラの電気自動車だ。

経営者となった今は、スタッフの働きやすさや人材育成に気を配る。スタッフの数が増えても、一人一人と向き合い、できるだけ対話することを心がけている。顔を合わせた時には声をかけ、電話などでもこまめに話をして、あなたのことをちゃんと気にかけ、見ているんだよと伝えている。

ビジネスでもやりたいことは盛りだくさんだ。今年からはサンセットクルーズと鯨を見るツアーもはじめる。「ウェディングもしたいし、いずれは散骨も」という。イルカに捧げた人生は、まだまだこれから続く。