当日は快晴だったが気温はマイナス13度。カメラが作動不良を起こすほどの寒波の中、マンハッタン最南端近くの「1ニューヨークプラザビル」から地下鉄サウス・フェリー駅を経て、バッテリーパークへと向かう。
マンハッタンでもっとも低地となる地下鉄駅付近は、2005年にハリケーン「サンディ」が来襲した際、約2メートルの深さの水に覆われて駅は水没。インターネットも長期間使用不能になった。「10年後にこのあたりに来ると、オランダ式の多機能堤防が見られるはずです」。ヴェスターホフは公園の一角を指さして、そう話した。
「低地の国」の知恵の結晶
ニューヨークでは今、アルカディス社も参加する「ビッグU」と呼ばれる気候変動対策が進む。マンハッタンのU字形沿岸部約10マイル(16キロ)を堤防の役割を果たす高台で囲み、洪水や海水面の上昇から守ろうという壮大な計画だ。
見込まれる費用は70億~80億ドルに達する。高台には商店街やレクリエーション施設、海水面の上昇が観察できる水族館などが設けられ、外観は堤防には見えない。気候変動対策と都市の活性化という「一石二鳥」を狙う。
私はニューヨーク取材の前にオランダのロッテルダムで見た光景を思い返した。一見、ショッピングモールにしか見えない建物は、屋上部分が広い公園になっている。だが、港から水が押し寄せてきた際には、長さ約1.2キロの施設全体が堤防として機能し、背後にある住宅街を洪水から守る。国土の多くが海面よりも低く、何百年にもわたって水と闘い続けてきた低地の国、オランダならではの「知恵の結晶」だった。
ヴェスターホフは言った。「バッテリーパークは昔、オランダからの移民が最初にニューヨークの拠点とした歴史的な場所。私たちは現代のニューヨークを守るため、ここに再びオランダ式の治水技術を持ち込もうとしている。オランダ人としてこの仕事を本当に誇りに思う」
「気候変動は脅威でなく好機」
「気候変動と都市化が進む現代にあっては、治水事業は大規模な輸出産業だ」
アルカディスの水管理部門グローバルリーダー、ピート・ディルケは断言する。米国・ニューオーリンズ市にハリケーン「カトリーナ」来襲した05年の1年前から、ディルケはこの地で治水対策の売り込みに努めていた。
そして、カトリーナ来襲の前日、治水事業を担う米国陸軍工兵隊を相手に、やっと200万ドルで最初の契約を結んだことを、ディルケは「後になって思えば、最も幸運な瞬間だった」と話す。
軍に再び呼ばれ、こう言われたのは、その数日後。「前の契約のことは忘れてくれ。やってもらうことが山ほどできた」。アルカディスが関与する契約の額は、あっという間に2億ドルに膨らんでいた。そして、最終的に、市の洪水対策事業総額145億ドルの約半分について、プランニングとマネジメントを請け負うことになる。
アルカディスの躍進のもう一つの鍵は、ロッテルダム市にある。市は05年以降、「気候変動を脅威ではなく、街づくりと経済を活性化させる好機と捉える」というコンセプトを掲げ、気候変動対策で世界中の都市をリードすることをめざしている。商業施設を備えた堤防はその一環だが、ほかにも大雨に備えた排水施設・貯水池を市民の憩いの場として活用する「ウォーター・プラザ」などのアイデアを民間企業の協力で続々と実現させている。
市でこれらの事業を統括する責任者のアモウド・モレナーは「アルカディスはロッテルダムの成果を世界に伝える大使の役割を果たしている」と話す。一方、アルカディスはロッテルダムを「巨大なショーケース」として、ブラジル・サンパウロ、中国の武漢など、世界の各都市でビジネスを展開する。
コラボという新文化
もう一つ、オランダが米国の治水計画に持ち込んだものとして「コラボレーション」の文化がある。
米国では従来、水害に対して、個々人や各企業が損害保険に加入するなどして自力で備えようとする一方で、統合された対策を講じようとする傾向が乏しかったという。現在、オランダ政府の国際水資源問題特使を務めるヘンク・オヴィンクは「サンディ」被災後の再建計画についてオバマ政権にアドバイス。デザインコンペによって民間から広くアイディアを募り、合意を形成してゆく手法を確立させた。「ビッグU」はその成果の一つだ。
ヴェスターホフは言う。「治水事業は『AかBか』という単純な選択で成立するものではなく、行政府や企業、地元住民らが協力し、『最適解』を求めて作り上げていくものだ。オランダには『よき災害を決して無駄にするな』ということわざがある。災害の経験を必ず生かし、次に備えること。この精神を根付かせたい」