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「世界で一番幸せな町」をフィンランドに訪ねて

ニューヨークタイムズ 世界の話題 更新日: 公開日:
ヘルシンキ近郊の町カウニアイネンの駅で2018年11月16日、列車を待つ人々=Lena Mucha/©2018 The New York Times。町は、「世界一幸せな国」フィンランドで、最も満足度の高いところとされている

駅の駐車場が、いっぱいで入れなかった。フィンランドの町カウニアイネンの住民としては、「ついていない日」だった。

Jan Mattlinはいささかムッとして、地元紙に電話した。駐車場が足らないと、片隅にでも書いてほしかった。

それが、1面に載った。

「確かに、この町にはあまり問題がないから」とMattlinは振り返る。非上場の投資会社を共同で経営している。「その日は、ニュースが全然なかったのかもしれない」

裏返せば、それほどここの暮らしは恵まれているということだろう。首都ヘルシンキ近郊の小さな、裕福な町。「世界で一番幸せなところ」と主張することだってできる。

フィンランドは、国連の持続可能な開発ソリューション・ネットワークの2018年版「世界幸福度報告(World Happiness Report)」で、156カ国中の1位に輝いた。 その国で、人口9600のカウニアイネンは「最も満足度の高いところ」となった。だから、町長のChristoffer Masarは、冗談めかして「世界一幸せな町」と胸を張ってみせる。

フィンランド人の中には、驚く人もいる。それどころか、そんな評価を不幸に思う人さえいる。

国際社会で通っている典型的なフィンランド人像は、陰鬱(いんうつ)で内向き、他の多くの国より自殺に走りやすいといったところだろうか。フィンランド人自身が、少なくとも部分的にこれを認めており、こんなことわざができている。「通りすがりのよそ者がほほ笑みかけてきたら、酔っ払いか、外国人か、頭のおかしなやつと思え」

「『happiness(幸福)』という感覚的な言葉の問題点は、それが具体的に何なのかを素通りして論じられてしまうことだ」。カウニアイネンの近くで育ったヘルシンキ大学教授Frank Martelaはこう指摘する。専門は、「well-being」(訳注=健康や暮らし、福祉に満足しているという意味での幸福)。「単に感覚的に幸福と言う場合、それは暮らしの満足度なのか、日々楽しいということなのか。その辺が、いささかあいまいになる」

では、そんな「幸福」を(訳注=国連報告のように)本当に測ることができるのか。できるとすれば、フィンランド人はそんなに楽しい人たちなのだろうか。

その答えを求めて、カウニアイネンを訪れた。ところが、幸せそうな様子は、すぐには目につかなかった。

確かに、町そのものはきれいだ。でも、驚くほどというわけでもない。さして目立たぬ町の広場を囲むように、大きな一戸建てが木立のまばらなモミの林に点在する。

冬ともなれば、明るくなるのは午前9時過ぎ。午後3時半には暗くなる。そんなときに、幸福かどうか尋ねても、控えめな答えが多く、熱のこもった言葉が返ってくることはまずないというものだろう。

例えば、町長のMasar。町でただ一店のデリで、昼食をともにしながら尋ねると、「幸福ってなんだろう」と反問された。

そして、夜遅くまで開いているただ一つのバー「モムス」でも。

その日の試合に負けたサッカーチームの数人が、残念会で慰め合っていた。「負けちゃうと、2杯目からしか幸せになれないんだ」と建設会社役員のAntti Raunemaaは、ほとんど表情を変えずに言った。

「楽しそうなところなら、他を探してみては」。マスターのJenny Lindholmは、隣町エスポーのマクドナルドを薦めてくれた。「この辺では、あとはそこぐらいしかないよ」

町でただ一つ、深夜まで営業しているバーでは、この日の試合に負けた地元サッカーチームの選手たちが残念会を開いていた=2018年11月15日、Lena Mucha/©201 The New York Times

ところが、隣町まで行く必要はなかった。「幸福の狩人」として、思ってもみなかったところで標的を見つけることができた。

カウニアイネンのはずれにある「成人教育センター」。名前からして、期待できそうにもなく思えた。しかし、その晩、町民の多くが楽しいひとときを過ごしていたのは、バーではなくてここだったのだ。

地階では、巨大な織機でじゅうたんを作っていた。陶芸コーナーもあった。1階では、合唱団が歌っていた。さらに上の階には、正教の聖像のレプリカを描く人や、ヨガに励む人がいた。

センターの館長Roger Renmanによると、町民が関心を持つほとんどの活動について、夜間の講座ができている。国と町からの補助があり、受講料は低く抑えられている。

受講者数は、1年のどの時点でも町民の約15%に上る。受講料は講座にもよるが、1時間あたり1ドル以下というコースもある。

似たようなセンターは、国中にある。しかし、カウニアイネンで目立つのは、自治体の規模にもかかわらず、活動が活発なことだ。

こうしたサービスが、他のどの自治体よりもこの町の人々を幸せな気持ちにしてくれるとSeija Soiniは思う。引退した女性実業家で、絵画教室に参加している。

「何かすることがあるのは、とても大切なこと」とSoini。めいの肖像画を描きながら、「心理療法みたいなもの」と例えた。

成人教育センターは、町民に提供されているさまざまな活動の頂点に位置し、そのすそ野は広い。駐車場は足らないかもしれないが、数々の公的サービスがそれを十分に埋め合わせている。

町の成人教育センターで練習に励む合唱団=2018年11月15日、Lena Mucha/©2018 The New York Times

町には、100を超えるスポーツクラブや文化サークルがある。その全てに、なんらかの形で町議会が公費を投入している。スウェーデン語を話す少数派住民とフィンランド語を話す多数派住民のそれぞれのクラブやサークル。子供の音楽教室と美術教室が一つずつ。スキー場とスケートリンク、陸上競技場も1カ所ずつ。それに、階段を上り下りをして体力を養う屋外施設までが、その対象となっていた。

アイスホッケーのリンクか、ハンドボールのコートか。20年ほど前に、施設づくりで論争が起きたことがあった。町議会は、その両方に予算を出すことで問題を解決した。

成人教育センターではヨガ教室も開かれていた=2018年11月15日、©2018 Lena Mucha/The New York Times

どこにでもあって、この町にはないものもある。警察だ。必要がないほど、犯罪件数は少ない。

こうした状況が、全町民が加入できる安価で使いやすい健康保険制度や、大学授業料の無料化、育児費用の抑制といった制度を支える形になっている。

この町の学校では、テストがほとんどない。教員の仕事ぶりがチェックされることも、あまりない。にもかかわらず、教育水準は世界でも最上位に入る(近年、評価が少し落ちたことはあるが)。

中学校の校長Leena-Maija Niemiが校内を案内してくれた。教室や校庭のあり方には、生徒の意見が多く採り入れられた。それが、愛校心を生む一因にもなっている。

こうした費用を賄うための税金は、米国から見れば、確かに高い。4万5千ドルの収入(訳注=ほぼフィンランドの年間平均賃金に相当)があると、フィンランドでは米国のいくつかの州と比べて倍以上を税金に取られる。

それでも、その見返りは十分にあると国民は考えている。格差は小さく、機会に恵まれ、社会の結束は強い。

「私にとっての幸福とは、人生が持つ可能性を含めて、自分の人生に満足すること」と元町議会議長のFinn Bergは説明する。「その意味で、この町は幸せなところだ。これだけさまざまな可能性があるのだから」

豊かさも、関係しているだろう。

町長のMasarによると、町内の低所得者層の割合は、フィンランドの他の自治体とそう変わらない。しかし、富裕層の比率は、全国平均のほぼ倍もある。

カウニアイネンの町税は、他よりも少し安い。それが、富裕層には魅力でもある。

高額所得者は、納める税金がそれだけ減る。しかし、全体として税収は増え、町民みんなに利益をもたらす。1人当たりで見ると、文化活動にあてる予算は、全国の自治体平均の4倍。スポーツ活動ではそれが3倍で、育児関連予算も全国平均より50%も多い。

こうしたことが、ある程度の基本的な暮らしの満足感につながる、と元議長のBergは控えめに話す。

「幸福とは、自分の人生に満足することと言ったが、惨めであると感じないことでもある」とBergは補足した。そして、「惨めさは、私にはない」と付け加えた。(抄訳)

(Patrick Kingsley)©2018 The New York Times

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