国末 橋下さんとトランプに共通する政治手法、政治スタイルについてお尋ねしたい。一般的に2人の政治スタイルは「ポピュリズム」という言葉でくくられるものだと考えています。
橋下 共通するかどうかは僕には分かりません。でも、自分たちと異なる価値観の政治を「ポピュリズム」という言葉で批判するのは間違っていると思いますよ。それは「自分の考え以外は間違いだ」と言っているだけです。
ポリティカル・コレクトネス(政治的な正しさ)を重視する人たちは「大衆迎合は悪だ」と言いますけど、政治というのは有権者の過半数の満足を得るものです。民主政治の本質は大衆迎合ですよ。有権者の満足を得るために重要なのは、上品な言葉遣いではなく、社会の課題を解決する力です。そしてエリートによる専制政治の方が大衆迎合政治よりもよほど危険だということは、歴史が証明しています。
メディアを含めたいわゆる知識層は、トランプが突きつけたメッセージの核、アメリカ社会の課題を分析することなく、「ポピュリストだ」「人間失格だ」と言って排除してしまいました。今回の選挙の敗北者は、メディアを含めた知識層ですよ。
メディアや知識層の間から「ポピュリズム」という言葉がなくなって、初めて政治は良くなっていくでしょう。ポピュリズムという言葉は、自分の考えと異なる政治をじっくり分析する思考を停止させます。「お前は間違っている」と理由なく言っているようなものですから。ポピュリズムという言葉を使わずにその政治をしっかり分析・批評できるメディアや知識人が誕生して初めて政治は良くなっていくでしょう。
国末 橋下さんは過半数をとることが大事だという立場ですよね。たしかに民主主義では「選択をする」というのも大きな要素ですが、もう一つ、コンセンサス、合意づくりというのも大きな要素です。有権者の51%を尊重して、49%を切り捨ててもいいのでしょうか。トランプの手法もそういうことだと思うんですよね。過半数の支持を受けたら、残りの半分には嫌われてもいいと。
橋下 勝つためには過半数をとらなきゃいけないですけど、大統領になってからはそんな政治はやらないと思いますよ。大阪都構想の住民投票でも、命題自体が二者択一でしたから、やるか、やらないか、選択肢は二つしかありませんでした。仮に住民投票で賛成が多数を占めて都構想を進めることになったとしても、実際に制度設計をするときには、都構想に反対の人たちの声も聴かなければならない。当たり前です。
投票結果が51対49だったとしても、決定はしなければいけない。でも決定後は「49」の側の声をできる限り聞く。それが民主主義ですよ。51対49で決めちゃダメなんですか? 民主主義に対する誤解ですよ。100%完全に一致しないと決定できないと言うのなら、多様な社会であればあるほど、永遠に決定できなくなります。
国末 でも、トランプのような発言は、分断や憎悪を広げるのではないでしょうか。
橋下 僕もよく言われましたけど、トランプのせいでアメリカが分断されたと言われますよね。それは逆で、すでに分断はあったわけですよ。分断がずっとあって、みんなが不平不満を持っていた。すでに分断されているのに、日本で言うところの永田町、アメリカで言うワシントン、英国のウェストミンスター、あるいはメディア、学者、有識者が、ポリティカル・コレクトネスで上から押さえつけて、ふたをしてきただけなんですよ。
国末 失礼な言い方になるかもしれませんが、トランプはいわば成り上がり者です。要するにエスタブリッシュメントから来たんじゃなかった。橋下さんも庶民だったわけですよね、僕もそうですけど。ポピュリストと言われる人はみんなそうです。ファラージもそうだし、ルペンもそう。だからこそポリティカル・コレクトネスの嫌な面が見えてくるということじゃないですか。
橋下 僕もポリティカル・コレクトネスを全否定はしないですよ。過度になりすぎると危険だということです。ポリティカル・コレクトネスを重視しすぎると、言葉の表面だけに神経過敏になって、問題の核心が見えなくなる。
明日のメシに苦労せずに、きれいごとのおしゃべりをして、お互いに立派だ、かっこいい、頭がいいということを見せ合っているのが、過度にポリティカル・コレクトネスを重視する現在の政治家、メディア、知識人の政治エスタブリッシュメントの状況じゃないですかね。そんな連中に社会の課題が分かるはずがない。政治なんて、もっとドロドロしたものなんです。
僕はポピュリズムというのは課題解決のための手段だと思ってます。メディアの仕事は、下品な発言の言葉尻を批判することではなくて、政治家のメッセージの核を見つけて分析し、有権者にしっかりと情報提供することですよ。ポピュリズムという言葉だけで政治を批判することをやめることが政治を良くする第一歩ですね。