■週32ドルで執事をシェア
疲れて帰宅した夜、床にうっすらと積もるホコリを見つけたときの徒労感といったらない。「おとといクイックルワイパーかけたばかりなのに……」。台所やお風呂の排水口もどうしてこんなにすぐヌメヌメするんだ?
見なかったことにすると気分もヌメヌメし始める。でもくたびれたし早く寝たい。ああ、私はだめなやつだ。
世の中、便利になっても、家事から解放される日は来そうにないなあー。ああだこうだと愚痴る私に友人がいった。「うちの掃除をお願いしているバングラデシュの人を紹介しようか」。ええっ。ついに日本もそんな時代?
だが実際に、日本だけでなく世界じゅうで家事の外注化が進んでいる。米国では、家の用事を「執事」に丸投げするサービスが人気だという。家事がなくなるって、本当にいいことなんだろうか。この目で確かめてみようと、ニューヨークへ向かった。(田玉恵美)
風が強い朝9時半のニューヨーク。雨のように降り注ぐ街路樹の落ち葉をよけながら、タイラー・ガーデラ(27)はコーヒーを片手にマンハッタンの住宅街を歩く。「今日は10軒回るから忙しいよ」。本業は俳優だが週2回、時給20ドル(約2500円)で「執事」として働く。
まずはスーパーへ。スマートフォンに表示されるリストを見つつ、オレンジジュースや牛乳を次々とかごへ入れる。「指定されたポテトチップスがないなあ。別のメーカーでもいいかな」。3軒のスーパーに寄り、手押しのカートは飲み物や食べ物でいっぱいになった。
午前10時半、最初の家に着いた。家主は留守。持ってきたカギで中に入る。流しにあった皿やコップを手際よく洗い、家中のゴミをまとめて外のゴミ置き場へ。買ってきた水を取り出して冷蔵庫に詰める。ちょうどそこに、自宅を靴デザインの仕事場にしている家主のミッキー・アシュモア(28)が帰って来た。「タイラーが来て、生活はすごく変わったよ。だってトイレットペーパーを買いにいかなくていいんだよ?怠けてるんじゃない、俺は忙しいんだよ!」
次のアパートには、一人暮らしの若い女性が住む。ちょうど洗濯済みの衣類が届いた。袋から洗いたての服を取り出してソファの上に置く。ベッドを整え、台所で洗いもの。最後に手書きのメッセージを残す。「お皿とグラスを洗っておいたよ。良い週末を!」。1軒あたりの滞在時間は15〜20分ほど。手元の歩数計を見ると、午前中の3時間だけで9000歩近く歩いていた。
タイラーを雇うのは、家事代行ベンチャー「ハロー・アルフレッド」だ。アルフレッドは、人気映画「バットマン」に出てくる執事の名前から取った。
家事業界のウーバー
「ワンストップで家の中のことはすべて管理する。だから執事なんです」。マンハッタンにある本社を訪ねると、共同創業者のジェシカ・ベック(29)が出迎えた。一昨年、ハーバード大学ビジネススクール時代の同級生と起業した。
顧客はアプリで依頼する。要望があれば、犬の散歩や本格的な掃除なども執事が業者を選定し、立ち会いや支払いを済ませる。こまごまとした手続きも丸投げできるのがポイントだ。「ささいなことだけど、そういうことってストレスでしょう?」とジェシカ。執事を雇う際には、犯罪歴や借金歴なども調べ、採用率はわずか3%という狭き門だ。
執事の利用料は週1回で32ドルに抑えた。この気軽さが「家事を誰かに頼む」と考えたこともない若年層や単身者をひきつけた。起業したボストンからニューヨークに進出し1年。契約者は1000人を超え、西海岸への進出も視野に入れる。
その急成長ぶりは、スマホを使った配車事業で成功したウーバー・テクノロジーズ社になぞらえ「家事業界のウーバー」とも呼ばれる。10月にはウーバーや、自宅の空き部屋を貸すAirbnbと共に、シェアリング・エコノミーに関する連邦議会の超党派会合に呼ばれた。
ただ、こうしたサービスの広がりに注意を促す人もいる。ロチェスター工科大学で哲学を教えるエヴァン・セリンジャーは公共放送PBSの番組などで「自分で家事をやることは意味がある」と指摘する。前国務長官のヒラリー・クリントンは、大統領選に向け経済政策を発表する中で、アルフレッドやウーバーのような企業が雇用の不安定化を招き、賃金を抑えこむことになると批判した。
ジェシカは反論する。「うちの『執事』はフリーランスではなく、従業員として正当な報酬を得ている。それに、助けを必要とする人たちが誰かに助けを求めるのは悪いことじゃないでしょう」
(田玉恵美)
(文中敬称略)
■家事代行、日本でも広がる
日本でも家事代行サービスを使う人が増えている。「一握りの金持ちのもの」と思われがちだったが、女性の社会進出で需要が増加している。業者が増え値段も下がってきた。高齢者にも人気だ。
横浜市の共働き夫婦、勝間直行(37)・葉子(37)のマンションに10月末の週末、フィリピン人のネリー(36)がやってきた。「水回りをお願いします」。葉子から指示を受けたネリーは、エプロン姿で風呂の掃除を始めた。その間2人は、2歳と0歳の息子と遊ぶ。
半年前から2週に1度、掃除や料理を頼んでいる。長男の保育園の送り迎えなど、直行は家事を積極的にするが「完璧に分担したところで、家事は終わらないというのが僕の実感です」。葉子は現在育休中だが、「1度水回りを掃除してもらうと、1週間くらいはあまり気を使わず放置できる。浮いた時間を、子どもや自分の将来のための勉強に使えるので、高いとは思いません」。3時間の利用で、4500円を払った。
2人が利用するのは家事代行マッチングサイト「タスカジ」だ。1時間3000円前後という業者が多い中、ネット上で家政婦と利用者をつなぐことで手数料を抑え、業界最安値を実現した。利用するのは世帯年収1000万円前後の家庭が多い。総務省の調査によると、世帯主が働いている2人以上の家庭の7組に1組が、年収1000万円を超える。
■家事より育児に時間を割きたい
タスカジのスタッフは、日本人と結婚するなど在留資格を持つ海外出身者が8割を占める。「1時間1500円という価格は、払う方にすれば割安で、働く方にすれば比較的高い。外国人なら子どもの英語の勉強にもなり、夫を説得しやすいというお客様も多い」と代表の和田幸子は話す。フィリピン出身者はその質の高い仕事ぶりで、特に人気だという。
高齢者世帯の利用も広がっており、業界大手のベアーズでは顧客の2割を占める。「介護保険を使うほどではないが、家事が負担」という人に好評で、子どもが親の家の家事を頼むことも多い。
民間シンクタンクのまとめによると、2012年度の家事代行サービスの市場規模は980億円。将来的にその6倍に膨らむと予想する。経済産業省は今年1月に初の業者向け指針をつくり、質を担保しようと躍起だ。
NHKの調査では、成人女性が平日に家事に費やす時間は4時間25分と、40年前から1時間ほど減った。総務省の統計でも、子持ち世帯の夫婦が家事をする時間は減り、育児の時間は増えている。女性の就業率が上がる中、「家事より育児に時間を割きたい」という風潮が、代行サービスの利用につながっているとみられる。
(田玉恵美)
(文中敬称略)
■私生活のビジネス化 エヴァン・セリンジャー
家事を外注すれば、確かに楽しくないことをやらずにすむ。ただ、外注することによって、面倒くさいことに反応して腹を立てるとか、不機嫌になるといった経験まで、我々は避けることになる。
たとえば、雑貨屋に行けば様々な人に出会う。レジの列に並んでいるとき、前の方でお年寄りがもたもたしながら小切手で支払いをしていたら、確かにイライラするだろう。でもそこで、「ああ、世の中にはまだ小切手を使っている人がいるんだな」と気づく。世界は自分の思い通りにはならないということを、認識する大切な機会なのだ。
アルフレッドのビジネスは、ドイツの哲学者ユルゲン・ハーバーマスが指摘した「生活世界の植民地化」という概念を思い起こさせる。家事を外注すれば、私生活までビジネスの理屈で管理することになる。それは市民社会にとって良いことなのだろうか。
(構成・田玉恵美)
Evan Selinger 専門は哲学。テクノロジーやサイエンスに関連する倫理的な問題について、米紙などで積極的に発言している。
■フィリピン 海を渡るスーパーメイド
家事を仕事にする「家事労働者」が世界的に増えている。年間20万人近くを国外に「輸出」している最大の送り出し国の一つ、フィリピンには、家事労働者を養成するための訓練学校がある。その一つを11月上旬、訪ねた。
「今日は目玉焼きを作ります。まず油を引くわよ。油は広東語で何て言うの? ヤウよ。油を引く、は、ベイ・ヤウ」
首都マニラの中心部にある「ウノ家事訓練センター」。女性教官が声を張り上げると、おそろいの赤いTシャツを着た女性たち約20人が手元のノートにペンを走らせる。表情はみな真剣だ。
彼女たちが学んでいるのは香港の家庭向けの朝食の作り方。「中国人はフィリピン人と違って塩辛いのが苦手だから、味付けは薄めで。見た目も重要よ」
約120人が学ぶこのセンターの校長マリア・チャリベルは「フィリピンでのやり方やマナーが外国でそのまま通じるわけではない。行き先の国に合わせた指導が重要だ」と強調する。こうした訓練学校がフィリピン全土に271校ある。
国民の1割が海外で暮らすという「出稼ぎ大国」フィリピン。昨年、海外へ渡った家事労働者は18万人で、2009年に比べ2.6倍に増えた。教育費などを稼ぐため、子どもを自宅に残して単身で出稼ぎに出る母親も多い。フィリピン国内で働く家事労働者も193万人に上り、高学歴で英語の堪能な女性は海外へ渡り、そうでない女性が国内に残る。
■課題は待遇改善
国際労働機関(ILO)の10年の推計によると、全世界で家事労働者として働く人は5255万人と、1990年に比べて6割増えた。就業先の国別では、中国、ブラジル、インド、インドネシア、フィリピンなど新興国が目立つ。経済成長に伴って女性の社会進出が進む一方、福祉制度は充実しておらず、家の面倒をみてくれる家政婦の需要が高まっているためだ。一方、送り出す側から見れば、経済危機で建設労働者の働き口が減っても、家事労働の需要は減りにくい。
家事労働者の地位や待遇は、エンジニアや看護師などの専門職に比べて低い。ILOは家事労働者の賃金を「平均して他の職種の4割程度」と指摘する。香港を拠点に、世界46カ国・地域の家事労働者を支援する「国際家事労働者連盟」によると、賃金の相場は香港で月6万円、フィリピンのマニラで月1万2000円程度。住み込みで働く人も多く、長時間労働を強いられがちだ。雇い主による虐待事件も相次ぐ。
冒頭で紹介したフィリピンの家事訓練学校の設置は、そんな状況に一石を投じる取り組みだ。家事労働者を「ブランド化」し、待遇改善につなげることをねらう。2006年、当時のアロヨ大統領は「私たちはスーパーメイドを送り出す」と宣言。新たに渡航する家事労働者に1日8時間、27日間の訓練を受けることを義務づけた。掃除や洗濯、料理などの特訓を受け、試験に合格すれば国家資格を得られる。技術教育技能開発庁の副長官テオドロ・パスクアは「需要に合わせて訓練内容も改善している」と話す。
フィリピン政府は受け入れ国に月400ドル(約5万円)の最低賃金を要求。サウジアラビア政府などと協定を結んだ。だが、国際家事労働者連盟の事務局長エリザベス・タンはこう言う。「月400ドルでも十分とは言えない。仲介業者から紹介料などの名目で月給の8カ月分を請求されるケースもある。家事労働者の立場の弱さは変わらない」
(左古将規)
(文中敬称略)
フィリピンの「スーパーメイド」が来春、日本にもやってくる。外国人家事労働者の受け入れを特区で認める法律が7月に成立したからだ。安倍政権が進める女性の社会進出支援策の一つで、特区には神奈川県と大阪府が手を挙げた。
人材派遣大手のパソナはフィリピンの人材派遣大手と提携し、早ければ来年4月にまず25人を受け入れる。家事労働の国家資格者にさらに400時間、日本に特化した研修を受けてもらう。2019年度には1000人の受け入れを目指す。
特区ではパソナのような事業者が住居を提供し、日本人家政婦と同程度かそれ以上の賃金を支払うよう義務づけられた。ただ、フィリピンのNGO「移民擁護センター」のロドラ・アバニョは「住環境や家賃は適切か。生活費がかかりすぎれば労働者の手元には何も残らない。事業者の責任が大きい」と指摘する。
(左古将規)
(文中敬称略)
■「家政士のミタ」誕生
来年、日本でも家事労働のプロフェッショナルと認められた「家政士」が誕生する。全国約600の家政婦紹介所などが加盟する公益社団法人「日本看護家政紹介事業協会」が、資格試験を始める。
筆記試験のほか、掃除や炊事の実技試験も行う。対話能力やマナーなども採点対象だ。将来的に習熟度別に1~3級をもうけ、合格率は6割程度を想定する。
事務局長の河津浩安によると、30~40代の家政婦を雇いたいという依頼が多いが、実際に働いているのは60代が多い。「家事なんて誰でもできる、という考え方も根強いが、技術や技能、知識が必要。資格化して社会的評価を高めれば、賃金も上がり、若い働き手が増えるのではないか」。現在の平均賃金は時給1200円程度だという。
東京都文京区の家政婦紹介所「ケアワーク弥生」には約100人の家政婦が登録するが、平均年齢は60歳以上。その年齢も、徐々に上がりつつある。代表の飯塚美代子は、「高齢化社会の進展で仕事は増える傾向にあるが、仕事として知られていない。若い人が集まらず、四苦八苦している」という。
協会の河津は「ドラマ『家政婦のミタ』が話題になったときは、『ああいう人なら高くても雇いたい』という依頼主が増えた。専門知識のある家政士を育て、家事労働の価値を高めたい」と話す。
(田玉恵美)
(文中敬称略)