東大よりもハーバード
合格率5.3%。昨年の米国・ハーバード大の入試は、長い歴史の中で最も高い競争率を記録した。その「狭き門」をくぐり抜けて入学式に臨んだ1660人の新入生の中に、髙島崚輔(19)の姿があった。髙島は昨春、東京大学の文科一類にも合格し4カ月間通ったが、最終的にはハーバードを選んだ。
「お互いを比較するのではない。つながるのだ」。ハーバード史上初の女性学長、ドリュー・ファウスト(68)の祝辞が髙島の胸に響いた。東大とハーバード。二つの大学の「入試」の違いを、象徴する言葉にも思えたからだ。
髙島は進学校として知られる灘中学・高校(神戸市)で、中高ともに生徒会長を務めた。2年前の冬、灘校の先輩でハーバードに進学していた楠正宏(21)の勧めで、ボストン郊外のハーバードを見学。講義の質の高さや学生らの意欲に圧倒され、第一志望を東大からハーバードに変えた。
髙島は英語が得意で、「模擬国連」という国際政治の舞台を模した世界大会で優秀賞をとったこともある。だが、「東大合格の学力」+「英語力」=「ハーバード合格」という等式は成立しない。両校の入試がまるで異なるからだ。
雲をつかむような「入試」
東大を頂点とする日本の難関大入試は極めてシンプルだ。入試の点数という唯一の基準で合否が決まる。
一方、ハーバードをはじめ、米国の一流私大は独自のペーパーテストを行わない。合否の決定権を持つのは学内の専門機関「アドミッションオフィス(AO)」だ。
学生新聞「ハーバード・クリムゾン」が昨年の新入生に行ったアンケート結果では、全米共通テスト「SAT」の入学者平均点は2400点満点の2229点と非常に高いが、1300点未満で合格した受験生もいる。成績だけで合否を決めるのではなく、課外活動の実績や校内外の推薦状、そして自らの経験や考えを指定された字数内で自由につづった「エッセー」も重視しているからだ。
ハーバードは入学者の選考基準についてホームページでこう明言する。「合格のための決まった道筋は存在しない」「私たちが求めるのは、お互いに学び合い、ハーバードという共同体に何らかの形で貢献できる学生だ」。求められているのは「人とつながる力」。こんな雲をつかむような「入試」に、どう対応すればよいのか。
合格の鍵は「エッセー」
「米国一流私大の入試は、受験生同士が『自分を入学させれば、大学側にどんなメリットがあるか』をアピールしあうプレゼン競争のようなもの。自分の強みを見いだし、他の受験生と差をつける戦略が必要となる。中でも鍵を握るのがエッセーだ」。高島や楠が通ったベネッセコーポレーションの海外大進学塾「ルートH」を運営する藤井雅徳はそう話す。
エッセーとは、単なる自己PRや小論文ではない。自らの経験を題材に魅力的な物語を構築し、人の心を動かすことが求められる。自分の長所と短所を的確に把握する「自己分析力」と、それを元に自分の魅力を分かりやすく伝える「自己表現力」が完成度を決める。
髙島が立てたハーバード合格への戦略は「自分が日本で生まれ育ったこと」を、強みとして生かすことだった。
ハーバードに出願する日本人の大半は帰国子女だ。自分には海外生活の経験がないから英語力では劣るが、日本の文化を体現する若者だとアピールできれば、入学者の多様性を重視するハーバードには魅力的に映るはず、と考えたのだ。
「日本的なつながる力」をアピール
エッセーの題材に選んだのは灘校の授業で4年間学んだ「柔道」。攻撃一辺倒の戦法を取って敗れた試合後の黙想の間に反省し、相手の攻撃を受け入れた上で機を見て攻めるという教訓を得た経験を記した。
推薦文も「自分が生徒会長として教師や生徒、地域の人々とどうつながり、どんな影響を与えたか」ということを書いてもらえそうな教師に依頼した。他人の意見を柔軟に取り入れつつ、機を見て的確に自己主張するという「日本的なつながる力」をアピールし、ハーバード合格を勝ち取った。
髙島の先輩の楠は、合否の分かれ目をこう分析する。「ハーバードの卒業生らが優れているのは『自分と一緒に仕事をすればどんな未来が開けるのか』『自分の事業に投資すればどうしてもうかるのか』という説得力ある物語を紡ぎ出し、人とカネを動かす能力。エッセーはその力量を測るのに最適であり、ハーバードが特にエッセーを重視する理由もそこにあるのでは」。
エリートの選び方が変わる
「エリート」という言葉にはどこか、傲慢でいやらしい響きがある。
だが、先入観を排して現実的に考えれば「将来、社会で指導的な役割を担う若者たちの候補をどう選抜するか」は、一国の将来をも左右する重要事だ。
日本は近代化以降、家柄などよりも能力に重きを置く原理(メリトクラシー)によって選抜されたエリートが、国の舵取りを担ってきた。その能力を測る指標は試験の点数であり、さらに言えば、一握りのエリートだけでなく、試験で選抜された多くの人材が高度成長を支えた。
いま、大学入試制度改革の名の下に、エリートの選び方が変わろうとしている。その方向は、点数ではなく人柄を見る米国流に傾いているといっていい。
私自身は灘中、灘高、東大法学部という「点数主義エリート」の典型的コースの一つを歩んできた。だが、会社ではずっと平社員のままで、今や、GLOBE編集部の上司のほとんどは後輩だ。点数主義はもう時代遅れなのか。エリートは「人柄の良さ」こそが重視されるのか。世界のエリート選抜の実情を見たいと思った。
まずは、エリート養成の雄とされる米国のハーバード大学。水先案内人を務めるのは、灘からハーバードに進学した私の後輩2人だ。
さらに、能力主義の源流「科挙」を生んだ中国や、超学歴社会シンガポールの現状を踏まえつつ、日本の入試改革の行方を考えたい。
ハーバードは公平か
ハーバード大の入試をつかさどるAOは、選考過程を一切公表しない。学生たちも、自分がハーバードに入学できた本当の理由を知ることはない。私が何度も送ったAOへの取材依頼にも、ハーバードは「ホームページ(HP)を見て欲しい」とメールで回答しただけだった。ブラックボックスの中で行われる選抜に、情実が入り込む余地はないのか。
ハーバードの志願者向けHPにはこんな記述がある。「すべての志願者に対して選考は同様に行われる。ただし、似通ったレベルの志願者の間では、ハーバード卒業生の娘と息子は優遇される可能性がある」。OB・OGの子らの「特別扱い」を自ら認めているわけだ。
両親のいずれか、あるいは両方がハーバードOBの学生、志願者は「レガシー」と呼ばれる。ハーバード大のウィリアム・R・フィッツシモンズ入試・奨学金部長は2011年、学生新聞「ハーバードクリムゾン」に対し「レガシー志願者の合格率は約30%で、全体の合格率の4倍を超える」と明かした。
フィシモンズは「レガシーの志願者は、他の志願者より概して優秀だ」「レガシーを優遇するのは、ちょっとした心づけ(チップ)に過ぎない」と説明する。確かに親が高学歴であれば、その子どもは経済的にも教育的にも恵まれた環境で育ち、入試で優位に立つ可能性が高いことは否定できない事実だ。だが、それだけか。
クリムゾン紙が毎年の新入生に実施しているアンケート結果によれば、昨年秋に入学した新入生全体の中でレガシーの比率は16%だったが、両親の合計年収が高いほどレガシーの比率は高まり、年収50万ドル以上という超富裕層では、43%の学生がレガシーだった。
レガシー枠入試
ちなみに、年収50万ドルを超える家庭は全米の約1%に過ぎないが、ハーバードでは14%に達する。
「ハーバードには2種類の入試が存在する。実力主義による入試と、富裕層のOB子弟を優遇し、代々ハーバードに通えるようにするための『レガシー枠入試』だ」。米国内の格差問題を研究するハーバード4年生のジョーダン・ウェイラーズ(22)はこう指摘する。
ハーバードには「ファイナルクラブ」と呼ばれる、主に富裕層の男子学生を対象とする秘密主義の交流団体が複数存在する。社会の指導層の子弟らが集い、生涯続く人間関係を培う場――。それはハーバードが持つ様々な顔の一つだ。
一方で、13年のハーバード新入生の15%は、年収4万ドル未満の家庭出身だった。
政治学を学ぶ3年生のトマス・ヒューリング(21)は12歳の頃からハーバードをめざし、懸命に勉強してきた。父親は建築作業員、母親は看護師。ヒューリングのような労働者階級出身者が、学費と生活費で年間7万ドルに達するハーバードに通えるのは、返済不要の奨学金のおかげだ。「レガシー優遇は直観的には間違っていると思うが、私が合格できたのだから、ハーバードでも実力主義は機能しているはず」と話す。在籍する学生の多様性を重視し、経済的に恵まれない層にも門戸を開く。それもまた、ハーバードの素顔なのだ。
サンデル教授と学生の「白熱対話」
大学入試における「正義」とは何か。「ハーバード白熱教室」で知られる政治哲学者のマイケル・サンデル教授と、教え子のハーバード大3年生、楠正宏に語り合ってもらった。
楠 教授はハーバードの入試についてどう考えますか。
サンデル ハーバードに限らず米国の大学入試は、学力を含め様々な面から学生を包括的に評価している。地域的にも経済的にも人種的にも多様な学生が集うことで、教室での議論が豊かになることを目指しているんだ。君自身は日本型入試の是非をどう考えているのかな?
楠 日本は長い間、試験の成績という単純な物差しで志願者の実力を評価してきました。このやり方は非常に透明性が高い。誰もが合格を目指せるし、コネや家柄も関係ない。実力だけの勝負です。
サンデル 米国の共通テストSATは元々、大学入試の機会均等を実現するために導入されたものだ。しかし、現実には「高収入層の出身者ほど、テストでよい成績を取る」というはっきりした傾向が現れてしまった。だから私は少なくとも米国では、テストの成績だけで合格者を決めるのは誤りだと考えている。
楠 日本でもやはり、同じ傾向が出ています。ハーバードが入試でレガシー(卒業生の子弟)の志願者を優遇していることについてはどう考えますか。
サンデル レガシーの優遇には二つの面がある。一つはそれが世代を超えた共同体意識をもたらすこと。もう一つは財政だ。ハーバードの豊かな財政は、ハーバードの卒業生らによる多額の寄付金で支えられており、それらは経済的余裕がない学生への奨学金にも使われている。
レガシーを優遇することは富裕層出身者に有利に働くが、それによって得られる寄付金のおかげで、ハーバードは低所得の学生も入学させることができる。
楠 僕も奨学金があるからこそハーバードに通えている。学生の経済的な多様性を持たせることに貢献している以上、レガシー優遇は全体的に見ればメリットの方が大きいのでは?
サンデル 私の考えは「たとえ多様性を持たせるためであっても、学業について行けない学生を入学させてはならない」ということだ。多様性の本来の目的である、教室の議論を豊かにすることに貢献できないからだ。
ハーバードは幸運なことに、学力面では十分な実力を持った生徒が定員よりもずっと多く志願してくる。東大もそうだろう。問題は、そうした大学で志願者を選抜する時に、あくまでも学力だけで選ぶべきなのか、それともそれ以外の要素も考慮するべきなのか、ということだ。
この問いへの答えは、「大学教育が何を目指すかによって変わる。
大学の目的が研究者の育成だけならば、合否の基準は学力だけでいい。だが、社会のリーダー育成も含めるのならば多様性も考慮して志願者を選抜する方が、妥当だし公平だろう。
大学入試の正義を考えるには、まず大学教育の目的について議論するべきだ。日本では、そういう場はあるのかな。
楠 こういう問題は一つのシンポジウムや新聞記事だけを通じて解決できることではありません。多くの人々がこの問題に関心を持つことで、初めて大きな変化がもたらされるのではないでしょうか。
サンデル その通りだね。どんな入試がふさわしいかは、それぞれの社会が決めることだ。ただ、どんな入試であろうと、中程度の収入の家庭出身者が大学教育を受ける機会を保障することは重要だ。だが、米国では大学の授業料が高すぎて、労働者階級出身者の大半が大学には通えない。これこそ米国が直面し、まだ解決できていない問題なんだ。
後に続く者たち
楠は海外の大学に進学した若者たちと3年前、NPO「留学フェローシップ」を立ち上げて、海外大学を目指す「後輩」たちの指導にもあたっている。今年からは髙島がリーダーだ。
活動の中心は、エッセーの書き方を指南する4泊5日の夏合宿。昨年は京都で開催し、全国から45人の高校生が集まった。米国大学の出願の締め切りは翌年1月ごろ。それに向け、参加者には主に自分の経験を題材に、エッセーを書かせる。失敗をテーマにすることも多く、ネガティブな過去と正面から向き合うつらさに、泣き出したり、合宿から逃げだしそうになったりする生徒もいるという。
それでも髙島らが厳しく教えるのは、「海外進学が最終目的ではない。エッセーを通じて自己分析力と自己表現力を身につけ、人生を切り開く自発性を持つ人間になってほしい」と思うからだ。
髙島は、後輩たちをこう励ます。「試験官の人生観を変えられるようなエッセーを書けば、絶対に合格できるよ。