今井が医学の道に進むことは、半世紀ほど前、母親のおなかの中にいる時に運命づけられていたのかもしれない。 母・眞(78)が今井を身ごもって3カ月になるころ、急におなかが痛くなって総合病院に駆け込んだ。産婦人科医は言った。「胎児は、もうだめですね。明日、掻爬(そうは)します」 初めての赤ちゃんだ。眞は、わらにもすがる思いで近所の小さな産婦人科を訪れた。「99%だめでしょうが、残り1%の可能性にけましょう」。医師はそう言って、できる限りの処置をしてくれた。
これが功を奏し、妊娠中絶をしなくてすんだ。今井は「1%の幸運」に恵まれ、この世に生を受けたのだ。 今井は、この話を両親から何度も聞いて育った。「1%でも可能性があるなら全力をつくす」。そんな考え方が自然と身につくとともに、産婦人科医になりたいと思うようになった。
崖っぷちの焦り
大学は、もちろん医学部。ただ、2年生になるころ、迷いが生じる。「臨床もいいけれど、基礎研究もいいな」と、微生物学の研究室に通い始めた。教授の高野利也(77)に自由に研究をやらせてもらううち、老化のメカニズムに関心をもつようになる。講義には出ずに、朝から晩まで実験にのめりこんだ。 医師の国家試験を控えた6年生の秋になっても迷っていた。
ある日、いつもサボっている産婦人科の講義に出ると、担当の教授が学生たちに呼びかけた。 「医者は一度に一人の患者さんしか助けられない。でも、基礎研究で根源的なメカニズムを見つけたら、何千人、何万人を一挙に救うことができる」 この話を聞いて、心が決まった。
だが、大学院に進むと、研究を取り巻く現実を目の当たりにする。すぐれた研究に予算がつくとは限らず、人間関係や学閥で配分が決まることが珍しくない。「これでは科学が進歩しない」と憤りを覚えたが、自分ではどうしようもない。苛立ちが募った。他大学の研究者が学会発表すると、「そのデータからこの結論を導けるのか」と食ってかかった。学内では、目上の講師に「そんな研究をしても意味がない」と、面と向かって言ったことがある。
そのころ米国の学会に出席し、マサチューセッツ工科大学教授のレオナルド・ギャランテ(60)の研究室を訪ねた。老化についてひとしきり語り合った後、ギャランテは言った。「うちにこないか?」。世界的な研究者のもとで仕事ができるなんて、願ってもないチャンスだ。1997年8月、今井は退路を断って渡米する。
日本にいるころから、老化にかかわる遺伝子としてサーチュインに目星をつけていた。その働きを実験で確かめることが当面の目標だった。妻の寿子(43)は言う。「実験器具の準備や洗浄などの雑務も会議もない。研究に没頭できて楽しいって、毎日のように言っていました」 ところが――。
米国生活が2年目に入るころ、今井は焦り始める。他大学でもサーチュインの研究が進んでいた。米国では、成果が出なければ研究費もポストももらえない。絶対に負けられない。 家には寝に帰るだけという日々。週末に夫婦で外出しても気が休まらない。ショッピングモールで買い物をしていたとき、「もしライバルが先んじたら」との恐怖が膨らみ、いても立ってもいられなくなった。
「いま、この瞬間に、あの実験、この実験ができる。もうだめだ、帰らないと……」。顔面蒼白になって体が震え、妻を置いて一人で研究室に戻った。 「1%でも可能性があれば全力を」と考えて実験を重ね、99年10月、サーチュインが寿命にかかわっていることを示すデータを得た。翌年の論文には賛否両論の大反響があった。
論争に終止符を打とうと、いまも研究を続ける。 米国での研究生活は、本人の言葉を借りれば「崖っぷちの連続で、ジェットコースターのようだ」という。 ギャランテ研究室から独立しようと、約20の大学や研究所に求職したが通らない。そこへ、がんを患っている父・泰男の具合が悪いとの知らせが入る。「いったん帰国しよう」と準備を始めたところに、電話が鳴った。「おめでとう! 君を迎えることにした」。中西部ミズーリ州セントルイスにあるワシントン大学からだった。
すぐさま父・泰男に朗報を伝えると、「息子の晴れ姿が見たい」と車いすで米国までやってきた。その後、しばらくして泰男は亡くなった。息子の独立を見届けて、安心したのかもしれない。
元気に老いるには
今井は言う。「どんなに苦しいときでも、研究は楽しい。ワクワクする」。なぜ、崖っぷちで楽しめるのか? 「子どもみたいに純粋で、好奇心のかたまりなんです」。ソニーコンピュータサイエンス研究所社長の北野宏明(51)は、今井と共同研究をしたときの印象を、そう振り返る。また、渡米前に大学で同僚だった梅澤明弘(52)=現・国立成育医療研究センター部長=は「研究のことしか考えていない能天気なマッドサイエンティスト」と話す。
科学の世界で勝負してきた今井にとって、いまの日本のアンチエイジング(抗老化)ブームは我慢ならない。「極端に食事を減らしたり、特定の食品に頼ったり、きちんとしたデータに基づかない方法論がはびこっているのはおかしい」 日本は超高齢化社会を迎えつつある。ただ、長生きしても不健康では意味がない。科学に基づく抗老化こそ、元気なままで歳を重ねていくプロダクティブ・エイジング(生産的な老化)につながる。そう信じている。 (文中敬称略)
いまい・しんいちろう 1964年、東京生まれ。89年、慶応大学医学部を卒業した後、慶応の大学院で老化と遺伝子をテーマに研究。97年8月に渡米し、マサチューセッツ工科大学教授のレオナルド・ギャランテのもとで老化遺伝子の研究を続ける。2000年、サーチュインという遺伝子が活性化すると酵母の寿命がのびることや、マウスでも同じ仕組みでサーチュインが働くことを科学誌ネイチャーに発表。01年から、米ワシントン大学准教授。
自己評価シート
今井眞一郎さんは、自分のどんな「力」に自信があるのか。編集部が用意した10種類の「力」に順位をつけてほしいとお願いしたところ、「独創性・ひらめき」「分析力・洞察力」「語学力・会話力」の三つを1位にすえたランキングをいただいた。 科学者として「突破する力」を発揮するには、「独創性・ひらめき」と「分析力・洞察力」の二つが必須という。「これらが相互に作用しあって、新しい研究の方向性や領域が開かれていく」 この二つを1位にした後、かなり迷って「語学力・会話力」も1位に。科学者は、自分の研究内容やその重要性について、広く一般社会にも発信していく義務があるという。「世界に発信するには、英語を自由に操り自分の考えを伝えていかねばならない」。「持続力・忍耐力」と「集中力」は、新しい研究領域を開くために重要となる。
MEMO
漢詩…高校で歴史を教えていた父・泰男さんは、我が子を寝かしつける際に漢文や漢詩を読むのが常だった。3歳にならないころ、真っ白な霜を見て「霜、雪のごとしだね」と言って母・眞さんを驚かせた。高校の卒業式で読んだ答辞では、漢詩を交えた自作の名調子で会場を沸かせた。
料理…興味をもつと、とことん突き詰める。高校時代に料理を始め、イタリア料理の多種多様なソースを紹介した本を買った。いまでもたまに「舌平目のオレンジソース」や「鶏肉の漁師風トマトソース煮込み」をつくる。正月には日本人の研究者と家族を自宅に呼んで、手づくりのおせち料理をふるまう。
運転免許…ミズーリ州に移るとき試験を受けたら不合格。「人生で初めての屈辱だ」と猛勉強して、2回目は満点で合格した。