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ゲーム音楽は僕たちの共通語 そこに国境はない

Breakthrough 突破する力 更新日: 公開日:
楽しいと思えることには努力を惜しまない。そんな性分で独創的な楽団をつくった。

曲はテレビゲーム「ファイナルファンタジーⅦ」のテーマだという。シリーズの出荷数が累計1億本を超える人気ゲームで、私もかすかに聞き覚えがある。客席を見回すと、47歳の自分より年下に見える人が多い。この旋律に思い当たるかどうかは、私の世代あたりが分水嶺(ぶんすいれい)なのかもしれない。

演奏していたのは、沖縄出身の仲間将太(31)が率いる「ビデオゲーム・オーケストラ(VGO)」。ゲーム音楽が専門の楽団である。その後も「悪魔城ドラキュラ」「ストリートファイターⅡ」など、日本生まれのゲーム音楽が、築110年を超すホールに響き渡った。聴衆は総立ちで拍手し、賛辞を叫ぶ。

確かに、聴きごたえはあった。にしても、しょせんはゲームの音楽じゃないか……。私の顔にそう書いてあったのだろう。演奏会の後、舞台裏で仲間は言った。

「僕たちの世代にとって、ゲーム音楽ほど懐かしい楽曲はないんですよ」

ゲームを終えるまでの数十時間、テーマ音楽は繰り返し耳に流れ込んでくる。「どんなに好きな曲も、これほど長く聞き続けない。体の奥深くに染み込んでいる」

アナログ世代は、映画音楽で名シーンを思い浮かべる。童謡を聴くと母親のぬくもりがよみがえる。一方、デジタル世代はゲーム音楽を聴くと、ゲームのクライマックスが脳裏に浮かぶ。その感動をフルオーケストラが増幅させる。

VGOの演奏を紹介したYouTubeの動画には、世界中からコメントが寄せられている。「すばらしい曲に、完璧な演奏。ブラボー」「最初のギターの一音を聞いて泣きじゃくった」。ゲーム音楽は、デジタル世代の世界共通語なのだ。


不登校でオール1

那覇市で生まれた。ピアノを8歳から習っていたほかに、とくに目立つところのない子だった。10代のころに両親が離婚したことも、離婚率が全国一の沖縄では、さほど珍しいことではない。

勉強はできたのに、中学では欠席が増えた。3年生の2学期に登校したのは1日だけ。いじめや引きこもりではない。なぜ学校に通わないといけないのか理解できなかった。「意味がないことはしたくなかった。大人と話す方が、よほど楽しくて」

「高校には行かない」。そう宣言すると、母親や親類から猛反対された。母親の懇願に負けて試験を受け、合格はしたものの、入学だけは最後まで拒んだ。

そして、音楽にのめり込んでいく。

沖縄には、駐留米軍の影響を受けて育ったバンドが数多い。その草分け的なハードロックバンド「紫」のライブに通った。ピアノで培った耳と、叔父にもらったギターで洋楽をコピー演奏した。「ロックの本場・米国で音楽を学びたい」という夢がしだいに大きくなっていく。

世間の目は厳しかった。「おまえは社会のクズだな」「父親は医者なのに、なんで中卒なんだ」。バイト先などでされるうち、「いつか見てろよ」という熱が胸の中で高まっていく。

留学に必要な大学入学資格検定に合格すると、18歳の夏、米シアトルの短大音楽科へ入学する。「周囲がなんと言おうと自分を貫いて、やりたいことをやるタイプだから、彼は」。VGOメンバーの寺田典子(30)は、そう仲間を評する。

英語は話せなかったが、米国の水は合った。中卒でも外国人でもチャンスがある。そんな実力主義が心地よかった。

ある朝、ホームステイ先からバス停に歩きながら空を見上げると、きれいに晴れわたっていた。その時の感覚を、仲間ははっきりと覚えている。自分の背中には羽が生えている、とリアルに感じたのだ。

「やっと解放された、と心から思えたんです。良い悪いではなく、僕には日本の空気が合っていなかった」

無謀なアイデア

2006年、24歳のとき、ボストンのバークリー音楽大学に入学した。ジャズの渡辺貞夫も通った名門で、世界中の若い才能が集まる。最高の環境で音楽を学ぶ日々は充実していたが、やがて、課題をこなすだけでは飽き足らなくなっていく。

そのころ、友人の勧めで、ゲームのサントラ盤を聴いた。そうか、これがあったか。10代のころに没頭したゲームの音楽を、オーケストラとロックで再現してみよう。

歴史と音楽の都ボストンでは、「クラシック以外は音楽ではない」と考える人も少なくない。無謀なアイデアだった。

クラシックが専門の友人らを口説き落とす一方、音楽大学の校門に立ち、楽器をもつ人に片っ端から声をかけた。ゲーム音楽と聞くと、だれもが鼻で笑って立ち去る。何日も勧誘を続けた。

数カ月後の08年5月、小さな教会で初のコンサートを開いた。その後、公演のたびに観客が増え、翌年の春には1200人が入るバークリーのホールが満席に。ダフ屋が現れ、地元テレビも取材にきた。昨年末には、中国の広州や上海でも公演を成功させている。

参加した演奏家の多くが「ぜひまた」と望む。聴衆の興奮や客席との一体感は、クラシックとは趣が違うからだ。いま、20カ国以上の若手がVGOに加わる。「音楽に国境はない。ゲームにも国境はない。二つが出あうのは必然でした」とバイオリニストの大曲翔(25)は言う。

アニメと並ぶ日本のソフトパワーの象徴であるゲーム。その音楽の魅力を、不登校だった青年が世界に発信している。

昨年春、母校の市立中学校に招かれ、全校生徒を前に話した。「不登校でオール1だった俺が、やりたいことをいま、やっている。だから、君たちだって、きっと何でもできるさ」

(文中敬称略)

なかま・しょうた  1982年、沖縄県生まれ。音楽プロデューサー、作編曲家、ギタリスト。那覇市立の中学校在学中に不登校になり、高校に進学せずに洋楽のロックバンド活動に没頭した。大学入学資格検定に合格し、米シアトルの短大に入学。2006年、ボストンのバークリー音楽大学・映画音楽作曲科に入った。卒業後、ボストン音楽院クラシックギター演奏科修士課程を修了。08年にビデオゲーム・オーケストラ(VGO)を結成し、フルオーケストラ、コーラス、ロックバンドを統合した総勢100人以上の「ロッケストラ」を率いる。全米各地や中国で公演を成功させた。本人はリードギターを担当。

Self-ratingsheet 自己評価シート

仲間将太さんは、自分のどんな「力」に自信があるのか。編集部が準備した10種類の「力」に順位をつけて欲しいとお願いしたところ、独自に考えた五つの「力」を加えたランキングをいただいた。

1位は「自分を信じて突き進む力」。不登校になっても自分自身を信じ続けたことで、いまの自分がある。「自分のやっていることを、自分が信じなければ成功するはずがない」。何かがうまくいかなかったときは、いつも考えがぶれた時だったという。

2位の「想像・創造力」は「頭の中で新しいモノをつくり、それを具現化する力」という意味だ。9位は「なんくるないさ力」。沖縄方言で「なんとかなるさ」を意味する。言葉の通じない外国に10代で飛び込み、楽団を立ち上げることができたのも、楽観的な沖縄人気質があったからだと信じている。

MEMO


大好物…米国では、ミディアムウェルに焼いたハンバーガー。でも、一番好きなのは、やはり沖縄料理だ。帰郷したら1日1食、沖縄そばを食べる。

引っ越し…気分を一新できるので大好き。米国に住み始めて10回以上も転居した。ボストンでも6回にのぼる。いま住んでいるのはボストン郊外の一軒家で、家賃1150ドルという掘り出し物だ。

結婚…予定はまったくない。沖縄の友人たちは早々に結婚しており、10歳以上の子どももいたりするのだが。

なんでもあり…コンサートの最大の目的は、聴衆に楽しんでもらうこと。だから、写真やビデオの撮影はOKだし、手拍子しても足を踏みならしてもジャンプしてもかまわない。