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福島の食文化を守りたい 店でもてなす客は一日一組

Breakthrough 突破する力 更新日: 公開日:
レストランの開店前、なじみの農家を回り、旬の野菜を手に入れる。生産者との対話がおいしい料理に欠かせない。 photo: Sako Kazuyoshi

萩春朋 フランス料理シェフ 福島県いわき市中心部の小高い丘にある住宅街に、白壁の洋風の一軒家がたたずむ。フランス料理店「Hagi」。ステンドグラスがはめこまれた木の扉を入ると、どっしりとしたアンティーク家具が迎えてくれる。一風変わっているのは、テーブルが一つだけしかないこと。もてなす客は、1日1組と決めているからだ。 客を迎える日の朝、オーナーシェフの萩春朋(39)は必ず、親しい農家に顔を出す。1月下旬、無農薬・無化学肥料で野菜を作るファーム白石の畑を訪ねたところ、白石長利(34)から丸々としたキャベツを差し出された。「おいしいよ。ほら」。萩は葉をかじり、芯(しん)までバリバリッと食べた。「甘い! じゃあ、これを4個ちょうだい」 萩はまず食材を決めてからその日のメニューを考える。「野菜も魚も肉も生き物です。毎日、状態が変わる。それを見きわめないと、素材を生かす料理は作れません」 2月のある日のメニューは、3日間熟成させたノドグロの炭火焼き、菜種油だけを使った魚介類のあえ物、皮のエキスを染みこませたホワイトアスパラガス。魚介類も野菜も多くが福島県産だ。

東日本大震災と原発事故が転機に

萩が素材の味を引き出す料理を1日1組だけに提供するスタイルを始めたのは、2011年3月の東日本大震災と東京電力福島第一原発事故がきっかけだった。それまでは、ソースや香辛料をふんだんに使うフランス料理を作っていた。

店は震災の被害を免れたが、客足は3カ月間、途絶えた。数少ない客からは「福島県産の食材を出されると、踏み絵を踏まされている気分になる」と言われた。

食材選びに悩む萩の心を揺さぶったのは、市内の生木葉ファームの畑を除染するために県外から駆けつけたボランティアの人たちの反応だった。近所の畑で作られた有機野菜をかじるたびに、「うわぁ、おいしい」と笑顔が広がった。

「いわきの強みは、ここに来なければ味わえない食材だと確信しました。この味は『京野菜』にも負けない。廃業覚悟でやりたいことをやってみようと決めたのです」

萩はまず、生産者を訪ね歩いた。農業でよく使う用語も知らなかったため、不信感を抱く生産者もいた。そこで、農業雑誌などを読んで作物の知識を蓄え、生産者と夜通し飲んで早朝に市場に一緒に出かけ、信頼関係を深めていった。

生木葉ファームの佐藤良治(67)は「萩さんは、ニンニクと芋類以外はすべて生のまま食べて味見する。そんなシェフはほかにいない」と語る。

食材の吟味から始まり、前菜、主菜、デザートにパンづくりまで、萩は一人でこなす。従業員を雇わず、接客を担う妻と二人で店を切り盛りする。コースの値段は1万円以上に設定し、1日1組でも何とか採算が取れるようにした。

店の評判は口づてに広まり、県外の人からも予約が入るようになった。13年秋、思わぬ大役が回ってくる。パレスホテル東京主催の東北復興支援ディナーで来日したフランス大統領府エリゼ宮とモナコ公国宮殿の料理長が、収益の一部を東北の若手シェフの研修費用として寄付。萩に白羽の矢が立った。

フランス大統領府で福島県産食材を調理

料理の修業をしたフランスに18年ぶりに渡り、日本人として初めてエリゼ宮の厨房(ちゅうぼう)で調理。福島県産の食品の安全性をアピールしようと、桃や地酒を使ったデザート、川俣シャモの薫製などを使ったフランス料理、そして創作ずしを作った。食通として知られるオランド仏大統領が口に運んだ。

「エリゼ宮のワイングラスが並ぶ部屋や、モナコ公国宮殿のワイン貯蔵室を見学し、欧州の国々がいかに食文化を大切にしているのかがわかりました」

帰国した萩は、いわきの食文化を守ろうと、伝統野菜の発掘や保存にも協力している。いわき市の依頼で、伝統野菜のレシピづくりにも取り組む。

また、農産物に付加価値をつける「6次化商品」の開発にも積極的だ。最初に試作したのは、青いトマトを使ったコンフィチュール(ジャム)だった。出荷用のトマトの味を濃くするために、青いうちに切り落とされたトマトを持ち帰り、加工した。それを食べた白石は、「純粋な味で、俺がどんな思いで農業をしているのか、言わなくてもわかってくれている、と感じた」と言う。

市場に出る県産の農産物はすべて放射性物質の検査で問題ないとされたものだけだ。それでも県産の材料を使うことによる風評被害を心配する料理店も、萩の熱意に刺激され、地元食材に目を向けるようになってきた。中華料理店「華正楼」の料理長、吉野康平(34)は萩が店に持ち込んだ野菜を使った料理をメニューに加えた。一緒に調理している父親は反対したが客には好評で、地元の食材を使った料理は2品、3品と増えていき、今や店の看板料理だ。

同じ30代の異業種の仲間との交流から、ある計画が動き出している。「いわき野菜Labo(研究室)」の立ち上げだ。客室にオープンカウンター式のキッチンを作り、厨房の空きスペースに加工食品を作る機材を入れる。客はカウンターで食事をしながら地元野菜を学び、萩は生産者と話しながら浮かんだ加工食品のレシピをすぐに厨房で試作する。

「仲間のおかげで新しいことに挑戦しようという意欲がわいています」。この春から改装を始め、料理を作る人と食べる人が知恵を出し合い、地元の食材を発信する新たな拠点を目指す。

自己評価シート

萩春朋さんは、自分のどんな「力」に自信があるのか。編集部があらかじめ準備した10種類の「力」に順位をつけるようお願いしたところ、1位は「独創性・ひらめき」。ただし、本当の1位は、10種類以外にあるという。
「運がなければここまで来られなかったです」と言いながらも、「運」は最下位だった。「日頃から自分なりに工夫して行動し、努力もしているからこそ、いつ運が来ても、いかせるんだと思います。だから運は、順番としては最後なんです」。順位をつけ終わった後に、「実は僕にとっての一番の突破力はリストにはない、『愛』です」。人への愛、料理への愛、ふるさと福島県いわき市産の食材への愛。「愛がすべての原動力です」

MEMO

6次化商品…農林漁業者が、農林水産物の加工から流通・販売まで手がける「6次産業化」により生まれた商品。農林水産省が推進している。萩は、コンフィチュールやドレッシングなどの開発に協力している。

いわきの伝統野菜…いわき市によると、市内の農家が世代を超えて種を自家採取したり、株分けしたりして受け継がれてきた野菜は約70種類にのぼる。萩が今年1月の「いわき昔野菜フェスティバル」のランチに使ったのは、ジャガイモの一種「オクイモ」とゴボウの一種「オカゴボウ」、小豆の一種「ムスメキタカ」。

文・写真

文・大岩ゆり
1961年生まれ。アエラ編集部、科学医療部などを経て、被曝・医療担当の専門記者(福島駐在)

写真・迫和義
1958年生まれ。産経新聞社、AERA編集部フォトディレクターなどを経てGLOBE記者