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『ストリート・オーケストラ』 撮影が呼び覚ましたトラウマ

シネマニア・リポート 更新日: 公開日:
セルジオ・マシャード監督=仙波理撮影

実際のできごとを元にした映画を、まさにその地域で人々に演じてもらいながら撮影すると、覆いをかけていたトラウマが呼びさまされてしまう――。犯罪が絶えないサンパウロ最大のファベーラ(スラム街)を舞台にしたブラジル映画『ストリート・オーケストラ』(原題:Tudo Que Aprendemos Juntos/英題:The Violin Teacher)が13日に日本で公開された。それに先立ち来日したセルジオ・マシャード監督(47)に東京でインタビューし、映画が地域社会にもたらす効果について考えさせられた。

作品の舞台は、小さく質素な家々がひしめく広大なファベーラ、エリオポリス地区。かつて神童と呼ばれたバイオリニストのラエルチ(ラザロ・ハーモス)は、サンパウロ交響楽団のオーディションに落ちて家賃の支払いにも困った末、NGO「バカレリ協会」が支援するエリオポリスの学校で、10代の生徒に教えるバイオリン教師となる。貧しく複雑な家庭をもつ彼らの多くは楽譜を読めず、練習中にすぐけんかになり、妊娠中の少女もいたが、ラエルチが路上でギャングにすごまれるも名演奏で黙らせたことを知るにつれ、音楽の力に目覚め、隠れた才能を発揮し、生きがいを見いだしてゆく。そうして生まれた「エリオポリス交響楽団」の実話にもとづく物語だ。

『ストリート・オーケストラ』より © gullane

ブラジルはリオデジャネイロ五輪が佳境を迎え、メダル獲得のニュースで日々にぎわっているが、一方で銃撃などの事件も絶えず、足元の治安悪化は深刻だ。「そうしたブラジルの暴力や不正などの問題を描いた映画はたくさんあるけれど、私は同時にその解決策や希望を、映画で示したかった」とマシャード監督は言う。

製作にあたり、脚本のマルタ・ネリングがエリオポリスに一時住んだ。一方、マシャード監督は地区を歩きに歩いて、登場人物をはじめ地域で暮らす人たち、また麻薬ディーラーなどギャングらの話にも耳を傾けた。現実をできるだけ物語に取り込むためだ。マシャード監督は、街の案内役となったエリオポリス交響楽団の草創期からのビオラ奏者、グラジエラ・テイセイラの話に衝撃を受けた。彼女の父や元夫は麻薬ディーラーで、5歳くらいの時、父と歩いていて手に銃を持たされた。父は抗争相手に近づくや彼女の手を取り、その手に銃を握らせたまま引き金を引いたという。「父親が娘にそんなことをするなんて、信じられなかったよ」と言うマシャード監督は、そうした現状を物語の背景に織り込みながら撮影に臨んだ。彼女の兄は偽のクレジットカードを作っていたといい、劇中でカードのスキミングに手を染めた生徒、VR(エウジオ・ヴィエイラ)の描写につながった。

セルジオ・マシャード監督=仙波理撮影

VRを演じたヴィエイラをはじめ、登場する少年や少女はみんな、エリオポリスをはじめとしたファベーラの出身。ほとんどの場面はエリオポリスで撮影した。劇中、教師ラエルチが土曜も練習しようと提案して異論が起きるなか、ひとりの少女が叫ぶ場面がある。「ずっとつらかった。母さんは自分の子どもの数も忘れてる。私なんか無視。でもここに来ると思えるんだ。『自分にも価値があるって』」。そんなせりふを口にする撮影の途中、彼女は素に戻って泣き出した。「本当の私は生まれてすぐ、ごみ箱に捨てられた。見つかった時、お父さんもお母さんも誰だかわからなかった」と生い立ちを語り始めた。マシャード監督はこれを受け、彼らに「自分の経験を持ち寄ってほしい」と呼びかけたそうだ。

主役ラエルチを演じたハーモス(37)はブラジル映画界を代表するスター俳優だが、彼の生まれ育ちもファベーラだ。当初は主人公の友人役に決まっていたが、「これは自分の話だ。主人公は自分以外にいない」と手を挙げ、脚本にも助言したという。

『ストリート・オーケストラ』より © gullane

作品の終盤、ある事件を機にエリオポリスの人たちが暴動を起こし、車に火を放って街を封鎖、警官とにらみ合う場面がある。事件の当事者となった少年について警察が事実とは違う発表をするなか、銃や盾で威嚇する警官隊に、住民たちはこん棒などを手に「警察は出ていけ!」「お前らのせいだ」と立ち向かう。この場面の撮影は大変だったそうだ。マシャード監督が「アクション!」と言ってカメラが回るや、演じる地元の人たちが、制服を着た警官隊の役者たちに本気で殴りかかったためだ。マシャード監督は何度も「彼らは本物の警官じゃない。役者だ」と説いてなだめ、止めに入ったが、「しばらくなかなかコントロールできなかった」。警官役の何人かはけがを負ったという。

マシャード監督はもともと、「この場面はエリオポリスでは撮影しない方がいい。トラウマがあるし、あのような光景をみんな再び見たくはないから」と地元で忠告されていた。トラウマとは2009年、エリオポリスの17歳の少女が学校からの帰り、誤って警官の銃弾を受け死亡した事件と、それを機に起きた大規模な暴動だ。マシャード監督は忠告に従い、ロケ地を近郊の別のファベーラに変えたが、演じた約300人ものエキストラはエリオポリスの人たち。当時に似た状況での撮影は、彼らの心に巣くっていた憤りをよみがえらせた。「それだけ警察への怒りが大きかったということだろう」とマシャード監督。最終的には、繰り返し話をすることで落ち着いていったそうだ。

『ストリート・オーケストラ』より © gullane

聞いているうち、この映画撮影は、地域の人たちや少年、少女たちにとっては過去を見つめ乗り越えるきっかけになったのではないかと思えてきた。そう言うと、マシャード監督も「ある程度、癒やしにつながったのではないか。彼らは次第に自分に誇りを持つようにもなったから」とうなずいた。それを示すかのように、映画の完成後、エリオポリスの中心部に大スクリーンを構えて上映会を開くと、地元から大勢が集まった。「実に感動的だった」。少年や少女の多くはその後も演技の勉強を続け、マシャード監督は彼らを次回作のテレビシリーズで起用するつもりだ。

『ストリート・オーケストラ』より © gullane

エリオポリスでは今も、犯罪がどこかで起きている。だがマシャード監督は「実際に訪れて人々に接すると、彼らは変わる機会を探していることがわかる。バカレリ協会は麻薬ディーラーにも敬意を払われていて、トラブルに見舞われたことはないとのことだ。麻薬ディーラーの子どもたちもそこで演奏しているわけだからね。私も問題に遭ったことは一度もないよ」

逆に撮影中、怖かったのは警官の方だったという。「演技しているだけの役者を撃ったりしないか、とても恐れていた。警察は暴力的ですから」とマシャード監督は言う。

同じアメリカ大陸の米国でも、黒人男性が警察に射殺される事件が相次ぎ明るみに出て抗議が広がり、警官が銃撃される事件も起きている。マシャード監督は一連の撮影経験を踏まえてこう語る。「ブラジルで起きているのも同じことだ。いや、米国よりひどい。互いに憎しみ、恐れ、恐れるあまり発砲し、殺し合いになっている。悲劇だ」

地元の警官たちにもこの映画を見せてはどうでしょう? そう言うと、マシャード監督は「おぉそれは考えたことがなかったよ、いいアイデアだね」と笑った。

セルジオ・マシャード監督=仙波理撮影

母はファゴット奏者、父はピアニストと音楽一家に育ったマシャード監督。それまでエリオポリスに足を運んだことは一度もなかった。だが今や映画ができあがった後も毎週のように通い、地区に溶け込んでいる。撮影中に見学に来た11歳の息子は感化されて「バイオリンを習いたい」と言い、その後も練習を続け、エリオポリス交響楽団のオーディションを受けることになったそうだ。