トランプが勝つに至ったメディア報道から何を学べるか――。私は、大統領選後初めてあった授業で学生たちと議論した。「穏健なトランプ支持者や、彼らの恐れ、不満、怒りをもっと理解するようにしていればよかった。彼らの置かれた苦境をメディアがもっと受け入れ、本当の意味で耳を傾けていたら、変わっていたかもしれない」。多くの学生からそんな声が上がった。
その後、ある生徒が私のもとにやって来た。「ここ1週間、何も手につかない」と言う彼。聞くと、彼のガールフレンドとその家族が不法移民だという。彼には、不法移民送還を唱える立場の人について考える余裕はなかった。彼らの行く末におののく彼は、こう言った。「自分には生々しすぎる」
大統領選の当日、UCバークリーのジャーナリズム大学院で選挙用にしつらえられた臨時ニューズルームは、投票所や党の取材、記事の執筆で大忙しの学生たちの熱気や活力にあふれていた。ところが、日が落ちて暮れゆくにつれ次第に静まり返っていった。オハイオやペンシルベニア、ニューハンプシャーなど激戦州の結果が出そろい、雰囲気が変わった。接戦すぎて勝敗がなかなか決しない状況だったが、ほとんどの州はドナルド・トランプ優勢だった。
私は学生たちの記事の編集デスク作業にあたるためニューズルームにいたが、CNNを映し出す大画面から目が離せなかった。トランプ勝利がほぼ確実になってくると、何人かの学生は憤った。他の学生はただ黙り込んだ。ある女子学生は涙をこらえながら、それでも「記者」としてプロフェッショナルであろうと努めて、選挙結果の記事を仕上げた。
この国はここまできたのかと、私は驚愕(きょうがく)していた。ここ数年の間に同性愛の友人は結婚できるようになったし、この夏には2組の同性婚の結婚式に参列した。医療保険制度改革(オバマケア)によって誰もが医療保険を受けられるようになった。初の黒人大統領が実現した次には、初の女性大統領を迎えるのだとばかり思っていた。ヒラリー・クリントンは誰もが認める理想の候補だったとは言いがたいが、相手候補がトランプならば、この国はさすがに彼女を選ぶだろうと思って疑いもしなかった。
私は、これ以上ないくらい見誤っていた。
大統領選以来、フェイスブックやメールの受信ボックスは悲嘆に打ちひしがれた友人の書き込みやメッセージであふれかえっている。みな失望や恐れ、憤りをいったりきたりしながら書いている。
「悲しいことに、私はこの国のことをよくわかっていなかったようだ」。友人であるイラン系米国人の女性作家は書き込んだ。
「私はいま、本当に恐怖を感じている」。ハーバード大学のインド系米国人政治学教授はそう書いた。彼がそのように恐れたこと自体、怖いと感じた。
現実は、投開票日の翌朝にさらにのしかかってきた。憎悪や怒りに満ちた候補をこの国が選んだことに、改めて衝撃を覚えた。米国が非白人に敵意をもって投票したかのように感じられた。中国系米国人のコメディアン、ジェニー・ヤンはフェイスブックにこう書き込んだ。「米国人の半分が私たちを憎悪している」。それを読みながら、涙ぐまずにいられなかった。
日本でも当然ながら、トランプの大統領就任への懸念が盛んに議論されているが、環太平洋経済連携協定(TPP)と在日駐留米軍問題といった、日本に直接影響が及ぶ2点に収斂(しゅうれん)されている。実際、TPPは米議会がオバマ政権下での承認を断念。米軍は、トランプが公約を守れば、北朝鮮問題いかんにかかわらずアジアから引き揚げることになるかもしれない。
米国での衝撃はそれ以上に深く大きな、信念にかかわるものだ。私は日本人駐在員の家族として、3歳で米国にやって来た。日米を行き来しつつも、小学校から大学まで米国で教育を受け、就職も米国でし、この国に30年以上住んだ。そうしたなかで、真実だと考えてきた価値観がたくさんある。一つには、この国は基本的には誰しも受け入れようとするという点だ。多くの米国人はあたたかく、他者を受け入れて寛大だ。そして、ここは実力社会。女性でアジア人である私にもチャンスが与えられている。
多くの人にとって、この選挙結果は米国や人類について信じてきたことすべてを覆すものだ。トランプは憎悪に満ちた選挙戦を展開した。彼はメキシコ国境に壁をつくり、その費用をメキシコ人に払わせると約束した。イスラム教徒は入国させないと述べた。彼を支持する白人至上主義者を非難しなかった。女性を繰り返し侮蔑した。多くの米国人にとっては支持できるようなものではなかった。米国は自由社会のリーダー、民主主義の象徴だと自認する国ではなかったのか。
クリントンがトランプに敗北を認める直前、私は義母からの動転した携帯メッセージを何通も受け取った。彼女はシカゴ郊外に住む70歳の白人だ。
「なんてこと、何が起きてるの? 何かが間違っている!」。さらに数分後、こう書き送ってきた。「私、この国の他の人が何を考えているかわかってなかったってことじゃない? とても悲しい」
一方、私はフェイスブックで日本の知り合いが書き込んだジョークを見ていた。「トランプでも買って帰ります」。次期大統領が、重要な市民の自由をふみにじろうと脅しをかけようという時になんて無神経なんだろう、と打ちのめされる思いだった。アジア人はこれまでトランプの主なターゲットではなかったけれど、それはとるに足らないと思われているからだ。しかしトランプが、黒人やヒスパニック、イスラム教徒と同じ感情をアジア人にも抱いていることは間違いない。
詳細な選挙結果が明らかになり、トランプは実際には多数票を得られていたわけではなかったことがわかった。クリントンは選挙人の獲得数では負けたが、一般投票では勝利していた。それからというもの、トランプ抗議デモがポートランドやサンフランシスコ、マイアミにミネアポリスと全米規模でわき起こってきた。米国自由人権協会(ACLU)は「私たちが享受してきた自由や権利」への闘いを明言。ACLUへの寄付額は過去最大規模に膨れ上がっている。
この国で私が信じてきたものが戻ってきた気持ちだが、トランプが向こう4年間大統領になるという事実に変わりはない。上下両院とも共和党が過半数を占め、最高裁人事も共和党でなされる見通しとなるなか、これまで当然と思われてきた中絶の権利も女性は失いかねない。私が約2年前に腎臓移植を比較的手頃な費用で受けられたオバマケアも、なくなる可能性は小さくない。性的少数者(LGBTQ)のコミュニティーを差別から守る法律もなくなるかもしれない。
反対にトランプの勝利で勢いづいたのは、より強固な人種差別主義者たちだ。投開票日の夜、フィラデルフィア南部ではナチスのカギ十字マークとともに人種差別の落書きが書き込まれた。サンノゼ州立大学では、イスラム教徒の女性がヒジャブをわしづかみにされた。
進歩的なUCバークリーのキャンパスでさえ、ニコラス・ダーク学長が学内でメールを送らざるを得ない気持ちになった。他者に敬意を払い、誰しも受け入れるという同校の文化を再確認するためだ。ダーク学長はこう書いた。「私たちはいま、互いに支え合い、将来について恐れを抱くどんな集団や個人との連帯をも表明しなければならない」
しかしながらなお、多くの学生はおののいていた。中国・大連出身のジャーナリズム大学院の学生、ティエン・チェンウェイ(22)は11日、イスラエル総領事館へ赴いた。冬休みにイスラエルを訪れるためのビザをとるためだったが、彼女がパスポートを手に総領事館を出てくるなり、ある白人にこう言われた。「国へ帰れ」
チェンウェイは言った。「リベラルで比較的平等な雰囲気のある地域と言われているサンフランシスコ一帯でもこのような扱いを受けているのであれば、(保守的な)米国中部はもっとひどいことになっているのでは」
チェンウェイいわく、今のところは、学生が米国をめざして海外からやってくる流れは止まらないのではないかという。ただトランプ政権下では、高度な専門性をもつ外国人が米国で働くための就労ビザ(H-1Bビザ)をとるのも難しくなるのではないか、と彼女は懸念している。
あれからというもの、私はジャーナリストとして、私たちがなぜこの結果を予想できなかったか把握しようとしている。
ジャーナリズム大学院では学生に、一つの問題についてあらゆる方向から虚心で検証し、異なる立場を理解するための真摯(しんし)な努力を惜しまないよう教えている。それなのに私たちは、トランプの支持者はちょっとおかしくて、まさかそんなに得票することはないだろうと決めつけていた。私は、彼らの考え方を理解しようとしていなかった。公正なジャーナリズムを信ずる者としては、打ち砕かれた思いだ。
また、もしメディア業界がこれほど急激に下り坂となっていなかったら事態は違っていたのではないか、とも思わざるを得なかった。言論機関は収益を得ようと必死なあまり、人目をひくような見出し、売れる記事や広告、ページビューを稼げるネット記事を打ち出すことに腐心している。時間をかけて現場に足を運んで記事を書くための人員も費用も不足している。
メディアはその後、トランプ政権の人事や、現行法にトランプがどれくらい手をつけるかといった報道に躍起になっている。10~11日に実施されたギャラップ社の世論調査によると、トランプ政権下で経済は改善する、と答えた割合は60%に上ったが、人種間の問題については62%が改善しないと答え、57%が、米国は戦争や紛争に関与せざるを得ないとした。
13日に放送されたCBS「60ミニッツ」のインタビューで、トランプはなお、メキシコ国境には「壁をつくる」と答え、犯罪歴のある不法移民200万~300万人は強制送還か収監する、と語った。最近起きているマイノリティーへの嫌がらせなどについては「悲しい」としながらも、あくまでごくわずかな事例だとして、トランプ抗議デモを報じるメディアを非難した。
メディアには大事な仕事が待ち受けている。米国の民主主義の未来や、みんなが平和で幸福に生きていけるかどうかは、実際にトランプが何をし、政権として何を進めていくかをメディアがいかに怠らずウォッチしていくかにかかっている。
Yukari Iwatani Kane
1974年生まれ。米ジョージタウン大学外交学部卒業。1996年にロイターに入り、2006年~11年、ウォールストリート・ジャーナル記者。15年からカリフォルニア大学バークリー校ジャーナリズム大学院講師。著書に『沈みゆく帝国 スティーブ・ジョブズ亡きあと、アップルは偉大な企業でいられるのか』(14年)。