フェルディナンド・E・マルコスが戒厳令を布告した際の映像を再生していたテレビは、もう使えなくなっている。フィリピンの独裁者と闘った人たちの文献情報は大雨で天井が陥没した後、しまいこまれた。今は、むき出しの電線が頭上にぶら下がっている。
「英雄記念博物館」は、何万人もの政治犯が拷問され拘束されたマルコス政権時代(訳注=1965~86年)の苦々しい記憶をとどめる、フィリピンで数少ない場所の一つである。博物館が2007年にオープンした時の使命は、民主主義を勝ち取るために払われた犠牲を人びとが忘れないようにすることだった。
この建物は20年に台風「ユリシーズ」に見舞われ、大きな被害を受けた。今年2月に再開されたが、その前は2年間以上、新型コロナウイルス感染症の大流行で閉鎖されていた。だが、かつての独裁者の息子で同名を受け継ぐフェルディナンド・マルコス・ジュニアが5月の大統領選で勝利したことによって、博物館に対するフィリピンの人たちの関心が高まっている。この国を最も分裂させた政治王朝の御曹司が地滑り的勝利を収めた意味を理解しようとしているのだ。
博物館にやってくる人の多くは、マルコス・ジュニアの対立候補だったレニ・ロブレドに投票した若者たちだ。ロブレドは2位だったものの、票差が大きく開いた。博物館を訪れた若者たちは、マルコス・ジュニアが6月30日に(大統領に)就任し、かつてのマルコス時代の暴力の歴史が検閲されたり抹消されたりする可能性を強く懸念していると話していた。
「私たちは次から次へと失望が続いた体制のもとにいた」と博物館の事務局長マイ・ロドリゲス(68)は言う。「しかし、今回は若い人たちにとって最初の本当に深刻な失望なのだ」と続けた。
ロドリゲスは、マルコス時代の文書類をデジタル化するボランティアグループを率いている。新政権が博物館の土地を奪おうとするなら、「大いに闘う」ことを決意していると語った。博物館はケソン市(訳注=マニラ市に隣接した首都圏の主要都市)にある。そこは、1986年にマルコス政権の打倒に向けて人びとが蜂起した主要な場所の一つだ。
真実をめぐる論争は、すでにフィリピン各地で展開されている。有名人やインフルエンサーがTikTok、YouTubeでマルコス時代の人権侵害についてフォロワーたちに語りかける一方で、フィリピンの情報機関のトップは、地元出版社が戒厳令について子どもたちに伝える本を販売してフィリピンの若者を「巧妙に過激化」しようとしていると非難している。
記念碑はフィリピン語で「Bantayog(バンタヨグ)」というが、ロドリゲスによると、マルコス・ジュニアが大統領選に当選して以降、この博物館を訪れて独裁政権についてもっと知りたいという問い合わせがざっと50件ほど寄せられている。
前大統領のロドリゴ・ドゥテルテが2016年、父マルコスの遺体を米アーリントン国立墓地に相当する場所(訳注=マニラ近郊の「英雄墓地」)に埋葬することを認めた時にも、似たような強い関心の高まりがあった。多くの人たちは、ドゥテルテの決定をマルコス家の名誉回復に手を貸す恥ずべき企てとみなし、何千人もが抗議のためにマニラに結集した(訳注=マルコスは1989年9月に亡命先のハワイで死去し、遺体は93年9月に郷里のルソン島北部に運ばれたが、ドゥテルテ以前の歴代政権は「英雄墓地」への埋葬を許可しなかった)。
そのこともまた「人びとを目覚めさせた」とロドリゲスは言い、「とりわけ若い人たちを」と付け加えた。
博物館の理事の一人、エディシオ・デラトーレ(78)は最近、訪れた4人の若者グループに対し、博物館の今後を心配していると話した。(マルコス時代に)政治犯として9年間投獄されたデラトーレは、若者グループとの会話の中で、自分や自分の仲間たちが若い人に戒厳令について十分な教育をしてこなかったことを認めた。
「気分が落ち込んだり、憂鬱(ゆううつ)になったりするときはいつも、罪悪感に陥る」と彼は言っていた。
若い訪問者の一人、イリア・ウイは、博物館を知ったのはほんの3年前のことで、(マルコス政権が崩壊した)1986年以後の世代である自分は民主主義がフィリピンでずっと前から受け継がれてきたものだと思っていたと語った。
彼女はデラトーレに、「欠けているのは、年配の世代と自分たちの世代とのつながりだ」と話した。彼女は「私たちが勝ち取るべきは、私たちの世代の覚醒だと思う」としながらも、「でも、そうしたことに慣れていない」と言い添えた。
マルコス一家は86年、政権が倒された「ピープルパワー革命」で国を追われた。一家は90年代の初めにフィリピンに戻ったが、時の政府はマルコス一家が計100億ドルにのぼる国家の財を収奪したというものの、誰ひとり投獄された者はいない。
誰も説明責任を果たさないまま、矛盾する言説が拡散し、一家の無実を論じる者もいれば、有罪を主張する者もいる。
マルコス支持派はソーシャルメディアを使い、泥棒だとする政府の告発は経済成長の「黄金時代」を歪曲(わいきょく)する意図を込めた魔女狩りだと説明してきた。教科書は戒厳令の重大な影響を巧みに覆い隠してきた。国が過去を検証できるようにする「真実・和解委員会」は組織されなかった。
父のレガシー(業績)については謝罪しないと繰り返し言ってきたマルコス・ジュニアは、大半のメディアの取材要請をはねつけ、当選後は家族のことをほとんど何も語っていない。5月の選挙戦勝利については、「価値ある信頼の表明だ」と呼んでいる。
先述したロドリゲスは戒厳令体制の被害者で、当時のマルコス政権を批判する文章を書き、配布した容疑で1975年と83年に2回逮捕された。彼女は「反体制の資料」を配ったとして起訴された。兵士たちに、たばこの火を押しつけられ、殴られ、性的暴行を加えられたと言っている。
彼女は2015年、博物館の事務局長になった。この組織は主に寄付で運営されているが、資金不足が「現時点での最大の危機だ」と言う。
もっと資金があれば、博物館をビデオクリップを備えたインタラクティブなものにして、来館者がオンラインで「中途半端な真実を解体」できることを目標にしたい、とロドリゲスは言う。「博物館を訪れる人びとには、私がここ2年ないし3年、あるいは恐らくもっと長い間、真偽のための闘いを展開してきたことをわかってもらいたい」。そう彼女は話していた。(抄訳)
(Sui-Lee Wee)©2022 The New York Times
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