あれこれ仕事を抱え込みすぎているといわれるインドの警察。G・チトラは女性警察官の一人だ。毎日やっていることのほとんどが健康によくない。
不規則な勤務時間はストレスの原因になる。長い立哨はひざにくる。幼いわが子の面倒を夜遅くまで見て朝4時半に起床、家事をこなす。だから慢性疲労を抱え込む。
それでも寝室でトレーニングに励む。ある夕は、まず腕立て伏せを10回、スクワットを30回。素早くこなして、短いヨガへ。さらに赤いダンベルを両手に一つずつ。これを鳥が飛び立つときに翼を広げるようにして持ち上げ、上に向かってキビキビと動かした。
最近は体のしまりがなくなってきたように感じている。だから対策をとることにしたという。
インドは歴史的には栄養不良問題を抱えた国だ。しかし、今では減量に取り組む人が増えるようになった。警察官も、その例外ではない。
チトラが勤めるのはベンガル湾の南東にあり、アンダマン海とも接するアンダマン・ニコバル諸島の管区警察だ。
ここでは、なんとクリーミーなカレーと油たっぷりのパニール(訳注=インド風チーズ)、それに炭水化物の多いドーサ(訳注=インド風パンケーキ)を「最大の敵」と宣言している。代わって推奨されるのは、規律ある食習慣と体力の増強だ。
インド本土から遠く離れたこの諸島は、全国の中で肥満傾向が最も著しいことが政府の健康調査で判明している。だから、ここの警察官の減量は地域を超えた意味を持つ。
この問題が警察全体にとっていかに深刻であるかは、裁判所も指摘している。インド北西部パンジャブ州では、太りすぎの警察官を密造酒や麻薬密売の取り締まりに動員してはならないとの判決が出た。速く走れず、相手を取り押さえられないとの理由だった。
それにしても、アンダマン・ニコバル諸島の警察の取り組みは、その規模からしてユニークだ。引っ張るのは、この管区トップのサティエンドラ・ガルグ。インド全国の警察のモデルにしようとしている。
「海に面した素晴らしいところだ」とガルグは任地をたたえる。きらめくラグーンに囲まれ、珍しい鳥が何百種と生息し、インドの自然の宝庫でもある。「ならば、ここに住む人々が肥満を抱え、不健康でいる必要もない」
ガルグが信じるように、健康な暮らしがよき警察活動の基本となるのは間違いない。
ここの管区局長になったのは2020年。まず警察内の腐敗を徹底して追及した。次に常習的な欠勤や過度の飲酒には停職処分を下した。
それから立ち向かったのが、「肉体の敵」だった。配備されている全警察官4304人の身長と体重の比率を測らせた。結果は半数近くが肥満かその予備軍だった。
当初は自らが数百人の肥満者の「相談」に個別に乗る予定だった。肝臓病を患った体験から得た健康科学の知識を駆使しようとした。
しかし、コロナ禍で諦めざるをえなかった。代わりに、体重が最も重かった2人を個人指導することにした。その減量過程が、ほかの同僚たちの刺激になると考えた。
階級社会では、部下は上司にとって重要なことに留意する。その上司が自分の体重を見ているとなれば、無関心でいられるはずがないと読んでのことだった。
その一人、ジョニー・ワトソン(34)の減量は、こうして始まった。この諸島の主都ポートブレアで勤務している。
最近のある夕。ワトソンは、必死にカロリーを計算していた。魚を3切れと豆、それにジャガイモをいくつか。チャパティ(訳注=インド風の丸くて薄いパン)は5枚を2枚に減らし、これに塗るラードはスプーン1さじにとどめる。何年も愛飲していた砂糖の多いミルクティーはやめ、ブラックコーヒーにする。
1年前の体重は231ポンド(105キロ弱)あった。インド式公衆トイレだと、うまくしゃがめなかった。シカやトカゲ、ナマコの密猟・密漁者を捕まえようにも、速く走れなかった。
その体重は今189ポンド(約86キロ)。さらに35ポンド(約16キロ)落とそうとしている。血圧は正常に戻り、ウエストも4インチ(10センチ強)細くなった。友人たちは「ゾウの赤ちゃん」とからかうのをやめ、減量の秘訣(ひけつ)を尋ねるようになった。
「昔のジョニーが戻ってきた」。夕飯を食べながら、妻のジェニファーは愛情を込めて見つめた。
ワトソンは常に完璧というわけではない。
ある日、投票用紙が保管されていたビルの外で警備に立っていた。サイクロンの接近で立ち続けねばならなかったため、昼食を抜いた。代わりにサモサをその場でほおばり、ガルグの指導に背いてしまった。
その日の夕方には、週1回のガルグのカウンセリングがあった。体重要観察のもう一人の同僚と出かけた。
「たんぱく質を増やし、炭水化物は減らしているか」とガルグは尋ねた。
「もちろんであります」とワトソンは素知らぬ顔で答え、切り抜けた。
この日は体によい脂肪の摂取を増やし、就寝の少なくとも5時間前までに夕食を取るよう指導された。ワトソンは甘いものの誘惑をなんとかこらえ、食べなくなったと報告した。
ガルグに取材すると、法を執行せねばならない警察官のプレッシャーの大きさはよく理解している、と語った。
インドの警察は要員不足で、必要数の4分の3しか確保できていないとの推定がある。平均勤務時間は1日14時間。仕事の負荷が肉体的、精神的な健康のいずれにも影響していると大多数が感じている――そんな調査結果も出ている。
警察官の健康で落ち着いた暮らしをどう実現するか。それを語る上で、ストレス問題は繰り返し論議されてきた。
ある雨の朝。100人を超える警察官が屋外体育施設に並んで、腹をへこませていた。腹囲の測定だ。
医師団がそれぞれのメタボリック度の数値を走り書きしながら、一人一人にストレス度についての質問表を渡した。
さらに要望も聞いた。上司にはどんなリーダーシップを望むか。自分の評価への不安や、組織内のお役所仕事がもたらす問題についても尋ねた。
定年間際のガルグが最終目標とするのは、政策決定に資するのに十分なデータを集めることだ。インド全国の警察署に適用される肥満対策プログラムを開発する土台となることを想定している。
雨の中のテストに通っただけでもホッとした、と参加者の何人かは打ち明けた。
ガルグが去るのを見て、「みんな息をするのが楽になった」とずんぐり型の一人は表情を緩めた。「あの方が、この部屋からいなくなったからね」
冒頭のチトラは一家の料理作りに追われ、ココナツとコクムでできたソースで魚をぐつぐつ煮ながらこう語った。
「でも、自分たちの健康問題をこんなに気にかけてくれた管区局長は、これまでいなかった」
30代初めのチトラが警察に入ったのは2016年。この職業の安定性が魅力だった。しかし、ほかの同僚たちと同じように、勤務時間の不規則性と、休みをとる見通しがなかなかつかないことと闘わねばならなかった。
「1週間、毎日24時間、私たちは呼び出しに応じられるよう待機している」とチトラ。「こんな勤務体制だから、自身の健康を大切にすることが物理的に妨げられてしまう。精神的にも、健康のために日々あてるべき時間を確保するゆとりを失うことになる」
超過密勤務のせいで体力づくりのトレーニングにあてる時間を確保できるのは、週2日がやっとのところだ。
「でも、ここからが始まり」とチトラはいうのだった。(抄訳)
(Suhasini Raj)©2022 The New York Times
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