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「ウクライナの研究者にチャンスを」 紛争地からの受け入れに奔走する教授の思い

美ら島の国境なき科学者たち 更新日: 公開日:
オフィスでのシーレ・ニコーマック教授=OIST提供

美ら島の国境なき科学者たち 質の高い論文の割合で東京大を超え、世界9位となった沖縄科学技術大学院大学(OIST)。そこに集う世界各国の科学者たちは異能の人ばかり。そんな彼らを紹介するコラム「美ら島の国境なき科学者たち」は随時掲載します。

今年3月4日、ロシアがウクライナへ侵攻した翌週のことです。沖縄科学技術大学院大学(OIST)のピーター・グルース学長が、すべての職員と学生に宛てて1通のメールを送りました。

「科学はグローバルなものです。このような状況下において、これまで以上に科学界の団結が求められています。私たちは、国際的な科学コミュニティーの一員である誇りを持って、科学コミュニティーに属する世界中の方々を支援する責任があると考えています」

続く文面には、OISTが人道的な理由によるウクライナからの研究者の一時的な受け入れを行う、とも書かれていました。

このメールを読んだシーレ・ニコーマック教授は、すぐに学長に返信しました。

「口で言うだけで終わってしまってはだめ。実際に受け入れをするにあたり、教員である私に何かできることがあれば手伝わせてほしい」

研究論文を読むシーレ・ニコーマック教授=OIST提供

ニコーマック教授は、光と物質の相互作用を研究している物理学者です。OISTの教員として、物理学の研究だけでなく、女性研究者が働きやすい環境を作るための取り組みや、「小さな国連」と本人も笑うほど多国籍で多様な文化背景の構成員からなる学生、インターン、ポスドク研究員らの研究室メンバーの指導などに奔走してきました。

そんな彼女が力を入れているもう一つの取り組みが、紛争地などからの研究者の受け入れです。

ニコーマック教授に、なぜ学長のメールに反応したのか聞くと、「ごく自然なこと」と笑います。

「危機勃発時にちょうどヨーロッパに滞在中だったこともあり、とても身近な問題に感じましたし、誰もがそのことについて話していました。私自身が何か行動しなければいけないと思いました」

ニコーマック教授は、アイルランド出身で、首都ダブリン近郊のギネスビールの故郷でもあるリークスリップ(Leixlip)という町で育ちました。父親はジャーナリスト、母親は幼稚園教諭で、計画外妊娠した若い女性やDVに苦しむ女性を家に受け入れるなど「他人を助ける」活動を積極的に行う両親でした。

そのため、子どものころから自然な形で、恵まれない人たちに機会を提供する活動を目の当たりにしてきました。5人いる兄弟姉妹のうち2人がアフリカで暮らした経験を持つなど、広い視野を持つことができる環境の中で育ちました。

OISTがウクライナの研究者・学生を支援目的で受け入れることを決めるずっと前から、ニコーマック教授が、研究機会を享受できない学生の受け入れに尽力していた背景には、そのような家庭環境もあったのかもしれません。

米国にあるOIST財団が立ち上げた「リタ・R・コルウェル・インパクト基金」で、女性科学者活躍支援につながるプロジェクトを募った際には、ちょうどアフガニスタンでの人道支援が差し迫って必要な時だったことで、この基金を利用して、アフガニスタンの女子学生を受け入れるために動きました。

しかし、手続きを進めていた2人のアフガン学生は、女性が家族を置いて一人で海外に行くことをよしとしない強い社会観念や、現地で日本行きのビザがなかなか取れないという問題を前に、受け入れを断念した経緯がありました。(その代わりにシリアの女子学生を受け入れることになりました)

今回も、ウクライナ人研究者・学生を受け入れるにあたって、考えもしなかった現実を知ることとなりました。

いったん受け入れを決めた研究者たちが、気が変わって祖国に残り、対ロシア戦で戦うことを決めたり、看護要員に加わることにしたり、また父親や兄弟、ボーイフレンドなどを残して国を離れることはできないと辞退したケースが相次いだのです。

「こうした状況は切実で、精神的につらいものがありました」とニコーマック教授は言います。

ウクライナ軍とロシア軍が激しく戦った通り=2022年4月8日、ウクライナ・キーウ近郊ブチャ、朝日新聞社

他にも、受け入れ手続きを開始したクリミア在住のウクライナ人研究者の例では、ロシアが2014年にクリミアを併合したためにロシア側でビザ発行を受けないと出国できないことが判明したのです。その後もなかなかビザが取得できず、連絡が途絶えているといいます。

また、ウクライナから日本方面へ東回りで移動するには飛行機の便数も限られるなどの理由もあり、想像を超える障壁があることがわかりました。

これまでに応募のあった十数人の研究員のうち、こうした理由や、または研究内容がOISTでは行えない等の理由で、まだ誰も受け入れることができていないのが現状です。

「多くのウクライナ人は、避難先としてヨーロッパを希望しており、日本、特に沖縄は遠すぎることも実感させられました。受け入れる学生に関しても、沖縄への移住は希望しない可能性が高く、一時的な避難先を必要としているため、当面はインターンとして短期で受け入れることとなるでしょう」とニコーマック教授は話します。

そんな中、ウクライナから緊急避難した学生インターンの初めの1人は、6月7日から教授自身の研究室で受け入れが始まりました。

この学生は、数年前にインターネットを通じてOISTの研究環境を知り、倍率の高いOISTのインターンに応募したことがありました。

ニコーマック教授は、このようにインターンに応募しながらも選考されなかったウクライナ学生たちが、今現在、支援を必要としている状況にないかどうか確かめるために、積極的に動いたのです。

今回受け入れた女子学生は、ロシアの侵攻が開始した時にちょうど短期の休暇でポーランドに滞在しており、そこで身動きが取れなくなっていました。

そんな彼女に、ニコーマック教授は、OISTに来て研究してはどうかと打診したのです。そんな状況だったため、学生は休暇先から一度も祖国に戻ることなく沖縄までやってきました。

ほとんど荷物を持たない彼女に、ニコーマック教授は、必要な物資を沖縄ですぐに購入できるように手当てを現金で支給できるよう手配をしました。

沖縄県も支援体制を整えており、ウクライナ避難民に対して生活物資関連商品が購入できる商品券を提供してくれる予定です。

幸い、到着した学生インターンはすぐに生活に慣れ、研究活動を開始したいと意欲を見せています。

ウクライナから緊急支援として受け入れた女子学生と話すシーレ・ニコーマック教授(右)=OIST提供

ニコーマック教授は、現在、さらにもう2人の学生インターンを緊急に受け入れるために準備を進めている一方で、OISTで通常募集しているインターンでも、できる限りウクライナからの学生の受け入れを進めるよう大学に働きかけています。

支援に奔走する教授の原体験を尋ねると、かつてフランスで博士課程を履修していた時に、同じ研究室にアフリカから難民としてきていた男子学生がいたことを話してくれました。

「彼はフランスに来てから何年も経ってから大学で学んでいました。当時、難民は他の市民と同じ教育を受けられなかったのです。彼は弱音を吐くことや自分の境遇を語ることは決してなかったけれど、彼だけ、学会に参加するための海外旅行ビザを取得できないことがありました。それを見て私は、憤りを感じたことを覚えています」

シーレ・ニコーマック教授(前列右から7人目)と、その研究室メンバー。世界各国から集まった研究員9人、技術員など支援スタッフ3人、学生7人、インターン11人が共に働く=OIST提供

現在、ニコーマック教授の研究室では、ロシア、ウクライナ、マレーシア、ギリシャ、ウガンダ、シリア、エクアドル、イラク出身のインターンが研究をしています。

彼らの教育や研究の質、そして意欲が高いということはもちろんですが、できる限り偏りのないようにチャンスを与えているというニコーマック教授。

「OISTで研究している私たちは、あらゆる機会に恵まれています。でも、世界には、機会に恵まれない人がいる。そんな人たちに、私ができることがあればするのは、ごく自然なことなんです」

(大久保知美、OIST広報部メディア連携セクションマネジャー)