2007年、東京・世田谷。京王線沿いにある芦花公園駅の商店街に、「アイバンラーメン」がオープンしました。「少し、人生に迷っていた」。それはアイバンさんがまだ、現在のように「ラーメン界のうるさい小僧」にすらなっていない頃のことでした。
当時の東京では、多くのラーメン店が既製麺を購入していたといいます。ただ、アイバンさんは自ら手打ちで作ることにこだわり、製麺所で試行錯誤を重ねました。そこはテーブルと小麦粉の容器で窮屈になり、ロックバンド「グレイトフル・デッド」の曲が流れ、淹れたての香りが充満していました。
外国出身者として東京でラーメン店を開いたのは、アイバンさんが初めてではありません。それでも最初期の1人として、アイバンさんはすぐに有名になりました。コシのある細麺と、あっさりしたスープ、そして、せっかちかつ無遠慮な性格の店主が、興味を引き付けたのです。
「私はニューヨーカーでしょ。だから、かなり生意気なんですよ」とアイバンさんは言います。「日本語ではすごく丁寧だと思いますが、誰かが怒らせてきたときには、『このクソ野郎!』と言ってましたよ」
紛れもないNYアクセントで話すその言葉は、常にまっすぐで、荒々しく聞こえます。そんなアイバンさんですが、ラーメンオタクである前に、日本マニアだと言います。
若い頃から、日本は「情熱の対象」であり続けました。15歳から寿司屋で働き、大学では日本語を勉強し、卒業後すぐ、日本で英語講師を務めました。「子どもたちは、バイリンガル、バイカルチュラルに育てました」
アイバンラーメンについて、「人類学的な探求」と表現するのも、まったく不思議ではありません。東京で暮らし、働き、日々日本語を話し、また、彼の言葉を借りれば、「ビジネスを成功させるべく、学んだことをすべて活用することも」、単なる口実に過ぎなかったのです。
アイバンさんは、こう告白します。
「実は、ラーメンはなんの関係もありませんでした。ラーメンは単に、私が愛する日本に関する物事を探求するための、一つの手段だったんです」
米国に戻り、2013、14年に立て続けにNY市内にラーメン店を開きます。「アイバンラーメン」の逆輸入です。そこは、彼が日本への情熱をシェアするための場所でした。
麺とスープ、香りを凝縮させた1杯の丼こそが、「手段」だったのです。そうして彼は、彼なりのやり方で、米国における日本料理と日本文化の指折りのアンバサダーとでも言うべき存在になりました。
アイバンさんは、NYの彼の店舗でラーメンを食べた客のうち、数千人は日本を訪れたのではないかと見積もります。ネットフリックスの「シェフのテーブル(Chef's Table)」で紹介された彼の生き様に影響を受けた人も、数えきれないほどいるはずだと言います。
「多くの人がインスピレーションを受けて、絶対に日本に行きたい、日本のことをもっと知りたい、もっとラーメンを食べたいと、そう思ってくれているはずです」
一方、アイバンさんが日本で得た知識や経験を誇示することはありません。日本の文化は「自分のもの」などではなく、ただただ、それを知り、愛するようになったのだと、そんな思いからシェアしているにすぎないのです。
少し声のトーンをさげ、謙虚さをにじませながら、アイバンさんは語ります。「NYに戻ってきて、『俺はアイバンだ。NYに素晴らしいラーメンとは何かをわからせてやる』と、そんなつもりで戻ってきたのではありません」
むしろ彼は、自分の好きなように作った、誰もが食べられるような、そんな料理を創造したかったのです。そしてそれは、鶏の脂とニンニクのラーメン、かみごたえのある麺、そして彼が「コニーアイランド豆腐」と呼ぶ、味噌とマスタードで和えたピリ辛キノコ豆腐などの「再構築した日本料理」になります。
アイバンラーメンの旗艦店は、マンハッタンのローワー・イースト・サイドと言われるエリアにあります。店は洗練されていながら、誰をも歓迎するような温かみがあります。オムレツやハンバーガーを出すような、24時間営業の家庭的なダイナーに着想を得たものでした。
椅子はボルトで床に固定され、壁にはアートが貼られています。カウンターの背後にあるその派手な絵画には、ラーメンをすするキャラが描かれています。空間も、料理も、アイバンさんならではのものです。
アイバンさんは2021年、ネブラスカ州とテキサス州に持ち帰り・デリバリー専門の店を一時的に立ち上げるなど、事業を拡大中です。材料を箱詰めしたラーメンもオンラインで販売し、フランチャイズ展開も検討しています。
それらはすべて、日本への愛があるからこそです。そこが揺らぐことはありません。プライドと、確かな自信をのぞかせ、こう話します。東京の小さな商店街でラーメンを作った経験は、決してなくならないとーー。
「私のしたことは、私がしたこと。私を好きになる必要なんてない。どうぞ、妬んでください。目立ちたがり屋だと言われても、別に構わない」。アイバンさんはそう言います。
「ただね、あのね、私は東京でラーメン屋をやっていたんだぞと、そして成功をおさめたんだぞと、それを証明してみせますよ」
(スペンサー・コーヘン、訳:藤原学思)
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