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偽名を名乗り、過去を隠し続けて50年 銀行泥棒が家族に死の床で打ち明けた真実

ニューヨークタイムズ 世界の話題
In an undated photo provided by U.S. Marshals Service shows, Theodore J. Conrad. Conrad walked out of a Cleveland bank in 1969 with $215,000 in cash, the equivalent of about $1.6 million today. (U.S. Marshals Service via The New York Times) -- EDITORIAL USE ONLY --
勤務先の銀行から現金21万5千ドルを盗み出したセオドア・J・コンラッド。撮影年月日不明=U.S. Marshals Service via The New York Times/©2021 The New York Times

少年は、父親のジョン・K・エリオットが台所に座って思案に暮れているのを見つめていた。1970年のある日の午後のことだった。

「マッシュポテトをこっちに渡してくれる?」。ピーター・J・エリオットは父親に頼んだ。父親はオハイオ州クリーブランドの連邦保安官で、同市史上最大級の銀行泥棒事件のことを考えていた。

「いつになったらテッド・コンラッドを捕まえられると思う?」とジョンは息子に問いかけた。セオドア・コンラッドが現金21万5千ドル――現在の160万ドル(約1億8300万円)に相当――を懐に姿を消してから、1年が経っていた。

この銀行泥棒事件から50年余りが経過し、自分も連邦保安官になっていたピーター・エリオットは、父親の問いに対する答えを得ていた。米連邦保安官局(USMS)は、手掛かりを追跡していた捜査官がコンラッドを見つけ、今年5月に肺がんで死亡するまでに、マサチューセッツ州ボストンから北へ約16マイル(約26キロ)のリンフィールドでトーマス・ランデールという偽名で暮らしていたことを突きとめたと発表した。

捜査官たちは逃亡者を追いかけ、カリフォルニアからハワイ、テキサス、オレゴンへと全米各地で捜査した。コンラッドは「America's Most Wanted(米国の最重要指名手配)」や「Unsolved Mysteries(未解決ミステリー)」といった犯罪実録番組にとりあげられていた。

コンラッドは盗みを働いた後、ワシントンDCへ逃げ、それからロサンゼルスに逃亡、最終的には1970年にマサチューセッツに行き、そこで妻と娘と一緒にしっかりとした暮らしを築いた。彼はゴルフのプロであり、高級車のディーラーとして40年間働き、「NCIS」(訳注=米のテレビで長く続く人気の犯罪捜査ドラマ)など警察モノのテレビ番組を楽しんでいた。

In an undated photo provided by U.S. Marshals Service shows, a drivers license for Theodore J. Conrad, under an assumed name when he settled in Massachusetts, where he worked at a luxury-car dealership for 40 years. Conrad pulled off one of the biggest bank robberies in Clevelandユs history. The case eluded officials for decades, until an obituary appeared online and family secrets began to unravel. (U.S. Marshals Service via The New York Times) -- EDITORIAL USE ONLY --
コンラッドの運転免許証。「トーマス・ランデール」という偽名を使っていた=U.S. Marshals Service via The New York Times/©2021 The New York Times

コンラッドは、彼が暮らす地域社会で警察官や司法当局者にとても好かれていた。

「たぶんそのことが、これまで彼を捕まえられなかった理由だ。彼は法を順守する市民だったし、当局には指紋記録がなかったからだ」とエリオットは言う。

エリオットによると、コンラッドは臨終の床で家族に真実を打ち明けた。本当の名前や1969年7月11日に何をしたのかを家族に告げたのだ。

その日は金曜日で、コンラッドは出納係として働いていたクリーブランドの「Society National Bank(ソサエティー・ナショナル・バンク)」に出勤した。終業の時、金庫からお金を出して紙袋に入れ、立ち去った。

月曜の朝、銀行の同僚が金庫を開け、コンラッドの行方に疑問を持った時には、彼は捜査当局より2日間先んじて(逃亡の)スタートを切っていた。

紙幣の種類とか、コンラッドがいかにして人に気づかれずに動き回れたのかといった犯罪の詳細のいくつかについては、まだ明らかにされていない。だが、エリオットによると、銀行のセキュリティーは甘く、従業員の指紋さえ取られていなかった。

事件の1年前、コンラッドはスティーブ・マックィーンの1968年の映画「The Thomas Crown Affair」(邦題「華麗なる賭け」)に心を奪われていた。時間をもてあましていた億万長者が気晴らしに銀行強盗を働く映画だ。USMSによると、コンラッドは友人に銀行強盗を計画していることを話し、それがいかに簡単かを自慢していた。

「言わば、彼は大胆だったのだ」とエリオットは言い、「彼は映画を見た後、『待てよ、ぼくがこれをやって姿を消したら、どうなる?』と思ったに違いない。それをできるかどうかが、彼にとっての挑戦だったと私は確信する」と続けた。

数年後、捜査当局はコンラッドが1969年にガールフレンドに書いた手紙を入手した。その手紙で、彼は犯行を告白し、後悔している気持ちを打ち明けていた。

コンラッドが(犯行を)告白したこの年、家族は捜査当局に連絡しなかった、とエリオットは言う。捜査当局は、73歳のトーマス・ランデールの死亡記事を見て、証拠の数々をつなぎ合わせ始めた。その大半は数十年前、エリオットの父親が収集したものだった。

エリオットによると、ランデールの家族はコンラッドの告白を(当局に)明かさなかったからといって罪に問われることはない。コンラッドは起訴されていたし、銀行泥棒には時効はない。捜査当局が彼を見つけていたら逮捕していただろう。

何が捜査官を死亡記事へと導いたかについては、エリオットは語らなかった。しかし、捜査官がひとたび死亡記事を見ると、コンラッドの実人生とそっくりな情報が見つかった。彼の本当の生年月日は1949年7月10日。死亡記事では1947年7月10日となっていたのだ。

二つ目の手掛かりは、彼の両親の名前だ。それは、死亡記事とほぼ同じだった。死亡記事には、彼の実際の母校だったニューイングランドカレッジと出生地のデンバーが書かれていた。

「人はウソをつく時、故郷の近くを騙(かた)るものだ」とエリオットは言う。

そして、すべてをつなげてくれたのが最後の手掛かりである。大学の入学願書に書かれた署名はエリオットの父親が最初に発見したものだが、それは捜査当局が2014年に破産裁判所の書類で見つけたものと(書体が)似ており、トーマス・ランデールの名前が走り書きされていた。

In an undated photo provided by U.S. Marshals shows, a signature of Theodore J. Conrad on a college application similar to one found on a court document in 2014, which was a piece of evidence to help crack the case.  Conrad pulled off one of the biggest bank robberies in Clevelandユs history. The case eluded officials for decades, until an obituary appeared online and family secrets began to unravel. (U.S. Marshals via The New York Times) -- EDITORIAL USE ONLY --
コンラッドが大学に提出した入学願書の署名。2014年に裁判所の書類で見つかった署名と(書体が)似ていたことが分かり、事件解明につながる証拠の一つになった=U.S. Marshals Service via The New York Times/©2021 The New York Times

エリオットが必要としていた証拠は、それで十分だった。彼はリンフィールドへ行き、ドアをノックすると、当局者の来訪を驚くコンラッド家の人たちに迎えられた。

「父であり、夫だった彼が本当は何者だったのかを知らず、しかも架空の名前で暮らしてきたのだから、彼らのことは気の毒に思う」。そうエリオットは振り返る。

コンラッドの妻だったキャシー・ランデールは11月13日の土曜日、インタビューに応え、「私たちは、彼を失った悲しみからまだ抜け出せていないし、彼はすてきなお父さんであり、すばらしい父親だった」と振り返った。彼女は、それ以上のコメントは控えた。

ピーター・エリオットと父親のジョン・エリオットが銀行泥棒事件のことを最後に話題にしたのは、父親がホスピス(終末ケア施設)に入っていた2020年3月のことだった。

エリオットは父親を元気づけようと、彼のiPadに手を伸ばして「Lake Erie's Coldest Cases(エリー湖の迷宮入り事件)」のビデオを再生してみせた。事件を特集したドキュメンタリーのシリーズで、父親がインタビューを受けている場面が収められていた。

「ほら、見て、テレビに映っているよ」。エリオットは、ほほ笑む父親に話しかけた。

その数日後、ジョン・エリオットは他界した。

息子のピーター・エリオットは言う。おそらくすぐに「The Thomas Crown Affair」を見て、スティーブ・マックィーンがお金を持ち逃げしようとする場面が出てきたら、オヤジのことに思いを馳せるんだろうなぁ、と。(抄訳)

(Eduardo Medina)©2021 The New York Times

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