国立公園の空にそびえる山々。そんな自然の景色を見て、あなたはこう思ったことはないだろうか。
「自分の足元に3千フィート(914メートル余)もの虚空があったら、この景色はもっと素晴らしくなるだろうに」と。
ブリアンナー・イエー(24)は、そう思いながら極限に挑んでいる。米国の(訳注=幅数センチの弾性がある細いベルト状のラインの上でバランスを楽しむスポーツ)スラックラインの女性プロ。奈落の底をラインで渡りながら、文字通り「公園の散歩」のような心境に達している。
向こう見ずともいえるこのパフォーマンスを、イエーは定期的に動画アプリTikTokの自分のアカウント「Yeh Slacks」で発信し、170万人のフォロワーとシェアしている。上下つなぎの作業服姿にスポーツ用の偏光サングラスをかけて登場することが多い(もっとも、サングラスは落としてしまうことがしょっちゅうある)。
スラックラインの人気は、TikTokやYouTubeの動画のおかげで高まるようになった。鋼線やロープを使う綱渡りとは違って、一定の弾性を持たせたじょうぶなラインを用いるのが特徴だ。
イエーのTikTok動画で最も人気があるのは、スラックラインの二つのやり方だ。
一つは、トリックライン。砂の上数フィート(1フィート=約30.5センチ)に張ったラインの上で、楽しそうに跳びはねて技を競う。日差しの強いカリフォルニア州サンタモニカのビーチが、よく会場となる。
イエーは、快活なポップコーラスの曲に乗って踊るように跳ねる。ヒップホップミュージシャンのカーディ・Bが、2021年に出した自身の新曲「Up」のサウンドトラックと組み合わせてイエーの動画を再投稿したところ、たちまち4500万もの閲覧回数をTikTokで稼ぐヒットになった。
もう一つのスラックラインの人気動画は、高所に挑むハイライン。崖から崖にラインをピンと張り、その上を歩きながらイエーは何百フィートもの高さを渡っていく。
カリフォルニア州南部のサンルイスオビスポでは、砕け散る大波を真下に見ながら歩いた。サンフランシスコでは名所のゴールデン・ゲート・ブリッジを、香港では霧にかすむ高層ビル群を背景に選んだ。
そんな動画を見ると、胃が縮む思いがするだろう。でも、ご安心を。実際には、スラックラインの経験が豊富な人が、必ず付いている。命綱も2本着けている(それにしても、イエーはよく落ちる)。
なぜ、こんな空中ピエロのような生業(なりわい)に情熱を注ぎ込むようになったのか。ロサンゼルスの自宅とビデオ電話を結んでイエーを直撃した。
――スラックラインを始めたきっかけは。
サンフランシスコ一帯のベイエリアに住んでいた13歳のときだった。通っていた地元のロッククライミングのジムである日、トリックラインでピョンピョン跳ねている人を見かけた。すぐに、私もやろうと思った。
ハイスクールで、毎週のように練習に明け暮れた。14歳になるまでにスポンサーが付いてくれるようになった。最初がGibbon Slacklines。次がSlackline Industries。いずれもこの業界の最大手だ。そして、米国だけでなく世界中をツアーして回るようになっていた。
――子供のときは、好きなことがいくつも出てくるものだが、どんなふうにして11年も同じことやり通せたのか。
大きくなるにつれ、いろいろなスポーツもやってみた。ハイスクールでは、スケート、スノボーにダイビングも。なんでも屋だったけど、どれもトップクラスにはなれなかった。でも、スポーツは、時間をかけて打ち込めば、誰でも何かに秀でることができると教えてくれるもの。私にとっては、それがスラックラインだった。
スラックラインって、1本のロープのように見える。初心者は、誰だってうまくいかない。私も、最初は歩くことすらできなかった。でも、数カ月できちんと歩けるようになった。
――スラックラインでよく誤解されているのは、なんだろうか。
自分はバランス感覚がないから無理、と尻込みしてしまうこと。初めてトライする人が歩けるなんて、私も期待してはいない。スラックラインではバランスをとるために使う筋肉がある。普段は使われていないが、時間を割いて練習すれば、この筋肉がついてきて歩けるようになる。
――そのためには、ものすごく強い体幹が必要なのか。
上半身の強さは、かなり必要だ。私の場合も、腕がすごくくたびれるようになる。転落すると、必死に元に戻らねばならない。ラインの上に戻れば、今度はバランスをとり直さねばならない。そんなことをするうちに、(訳注=体幹を支える腹横筋などの)コアの筋肉を鍛えるようになる。
――ジムを飛び出して、ハイラインを始めるようになるまでを教えてほしい。
ハイラインって、「そんな無意味なことはやるな」って体のすべてがまず抵抗する。数百フィートもの高さの空中を歩くって、普通とはまったく違うことなのだから。
でも、一度、歩けるようになると、ガラリと変わる。世界中の誰にもできない常軌を逸した角度から、周りのものが目に入ってくる。すると、魔法にかけられたような、最高の感覚に包まれる。この高揚感が、たまらない。自分の呼吸にひたすら集中するようになる。ほとんど、瞑想(めいそう)に近くなる。
――コロナ禍の影響は。
なんにもない屋外でやる。だから、大勢の人が周りにいるときのような心配は無用だ。
――で、ハイラインの装備は実際にはどう使っているのか。
装備をどう使うのか、知り尽くしている人が一緒にいない限り、絶対にハイラインをやってはいけない。信頼できる経験者たちとチームを組んでやってほしい。
――どこか、特別に印象に残った場所はあるか。
なんといってもカリフォルニア州のヨセミテ国立公園だ。約3千フィートの空中を歩いた。これまでの中では、一番の高さだった。もし、100フィートの高さから落ちれば、大けがをするか、死ぬことだってあるだろう。だったら、3千フィートだって同じこと。たいした違いじゃないと考えた。
――そんな考え方もあるかもしれないが、こじつけを正当化しているようにも聞こえる。
まあ、身内の冗談みたいなものかな。でも、これだけは、強調させてもらいたい。信頼できる人たちが一緒で、100%安全だと確信を持てない限り、私は絶対にハイラインはやらない。ラインだって1本ではない。メインと補助の2本がある。万が一、前者がダメになっても、後者が救ってくれる。
――ヨセミテ以外では。
中国の成都に留学していたことがある。そのときに、「香港でハイラインをやるけど、一緒にどう」って誘われた。
獅子山(香港の代表的な山。標高495メートル)に登り、挑戦した。終わると、「女性で成功したのは、君が初めてかもしれない」といわれた。
私の母は、ベトナム出身の華人。父は、香港周辺で育った。だから、そこを見渡してハイラインをすることができたのは、本当に素晴らしい体験だった。
――あなたの動画を見て、スラックラインをやってみたいと思う人へのアドバイスは。
もちろん、挑戦してもらいたい。私のことを、手の届かない特別な存在だとは考えないでほしい。そんな人物なんかじゃないのだから。
まず、ネットでスラックラインを手に入れて。次は、それを公園で張って、トライしよう。なにかやろうと思うなら、ともかく始めてみよう。楽しくするには、どうしたらよいか。そこは、常に考えてね。(抄訳)
(Tacey Rychter)©2021 The New York Times
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