孫たちに応援され、68歳で始めて泳ぎを覚えた女性

米サンフランシスコ一帯のベイエリアに住むビジャヤ・スリバスタバ(72)は、生まれてからずっと「陸の人間」だった。海の眺めが素晴らしいバークリーヒルズの丘を散策し、小さな孫たちの相手をし、図書館のボランティアも買ってでた。
どれも、水につかる必要はなく、自分の性に合っていると思った。水に入るのは、溺れる不安が先に立ち、あまりにも怖かった。
インドで育ち、プールとは無縁だった。米国に移り住んだときも、背泳ぎでプールを行ったり来たりするなんて、想像することすらできなかった。
ところが、ある日、かかりつけの医者に「よい健康法」を勧められた。プールを往復する習慣を身につけることだった。
「でも、泳げない」と打ち明けた。水に顔をつけたことは、一度もなかった。
「レッスンがあるのを知らないの」というので、「私の年でも?」と問い返した。
すると、「いいんじゃない」という言葉が返ってきた。68歳のときのことだった。
普通なら、あれこれ考えあぐねることだろう。ところが、違った。以下は、スリバスタバとの一問一答だ。
――で、最初にどうしたのか。
まず、隣人の女性に聞いてみた。「一緒にレッスンをやってみない?」って。「いい」ということだったので、地元のオルバニー高校の女子生徒に指導を頼むことにした。水難救助の訓練を受けていた。そこが気に入った。
「シニアに水泳を教えたことは」と聞くと、「ない」とのことだった。それでも、こちらは構わなかった。
週3回のレッスンが始まった。
一度、覚えようと決めたら、あとからくよくよしないのが、私の主義。レッスンのない日も、プールに通うことにした。
泳げるようになることを夢見るまでになった。目が覚めると、すぐにウキウキし始めた。眠れないときは、ベッドで泳いだ。「何してるんだい。ここはプールじゃないよ」と夫はぼやいた。
それに、水着を何着も買った。そのうちの1着が、お気に入りになるかもしれないと思ったから。あとで考えると、10着も買うことはなかった。だから、かなりの数を寄付することにした。
――泳ぎについて、自分自身でも勉強してみたのか。
最初のレッスンが終わると、すぐにグーグルで検索を始めた。まず、何でもいいから、YouTubeで泳ぎ方の教材を見て、学習することにした。ところが、頭にすっきり入らず、混乱するばかりだった。
しばらくして、きちんとした泳ぎを覚える成人向けの水泳メソッド「Total Immersion Swimming」のビデオシリーズがあることを娘が教えてくれた。男性講師が実技指導をしており、これが自分には大変役に立った。
孫たちの応援もあった。プールに潜って、自分の平泳ぎをチェックしてくれた。あるいは、プールサイドの温水浴槽につかりながら、親指を立てたり下に向けたりして、うまく泳げているかどうか伝えてくれた。
――一番大変だったことは。
化石のように、体が動かなくなってしまうことだ。それまでは、怖いものなんてなかった。でも、溺れてしまうかもと思っただけで、もうダメだった。プールの浅い方の端っこ(深さ4フィート〈約122センチ〉)から、長いこと動けなかった。レッスンが始まる前には、お祈りをした。
それと、スタミナ不足。腕や足の筋肉が、できていなかった。30分もすると、クタクタになった。
――すべてがうまく回り始めたのは、いつだったのか。
数カ月たつと、「そろそろ反対側の端っこに行ってみよう」と指導を頼んだ高校生にいわれた。「まだ、そこまでは」と首を振ると、「もう大丈夫」と促された。
「やってみなければ、いつまでたってもできはしない」。最後は、そう腹をくくった。
「ずっと、そばに付いているから」と励まされた。
「でも、あなたはとても小さい方だし」と口ごもると、「絶対に溺れることがないようにする」と約束してくれた。
ということで、泳ぎ始めた。深さ6フィート(約183センチ)の印まできた。自分の背丈は5フィート4インチ(約163センチ)。もう、行くだけ。引き返せないことは、自分にもよく分かっていた。といっても、向きの変え方をまだ知らなかったが……。
ようやくのことで、反対側の端に着いた。
その様子を、同じマンションに住む隣人たちが、温水浴槽から眺めていた。この数カ月間、私が水と格闘するのを見てきた人たちが、今度は一斉に立ち上がり、拍手をしてくれたのだった。
手を振って応えようにも、息が乱れてできなかった。しかも、深い方の端は、水深が8フィート(約244センチ)もある。プールの壁から手を離すなんて、絶対にできなかった。
そして、帰路。ついに、浅い方の端にたどり着いた。ようやく、みんなに手を振ることができた。
――始めてから泳げるようになるまで、もっと違うやり方はあったのだろうか。
あまりなかったと思う。まあ、もっと早く始めていれば、ということはあるかもしれないが。
――泳げるようになって、人生はどう変わったのか。
自分の子供たちやおいたちとも話すけれど、私のことをみなとても誇りに思ってくれている。この年で泳ぐ人はあまりいない。私の身内にもね。ここまでやり遂げられて、とてもスッキリした気持ちでいられる。インドにいる家族とも電話で話すが、私の兄弟は信じられないでいるみたい。
――で、次の目標は。
友人の一人とは、ダンスを習うのはどうだろうと話している。一緒に始められるかな。
――暮らしに行き詰まりを感じていて、なんとかしたいと思っている人へのアドバイスは。
隣人が一緒に水泳レッスンを始めてくれたから、よかった。互いに励まし合うこともできたし。その日は疲れていて乗り気でなくても、「じゃあ、20分だけでも行こう」って誘ってくれた。それが、すぐに30分になった。
――今回の体験で、自分が変わったと思うことは。
プールの端から端まで68歳で初めて泳ぎ切ったときのことは、生涯忘れられないだろう。先週は、72歳で20往復もした。タイムは52分。もっとも、何往復かすると、休憩が少し必要になるけどね。目標は、休みを入れずに達成すること。ぜひ、やってみせたい。
――満足感を味わうのに、もっと早く知っておけばと思うことは何かあるか。
親友の一人が、とてもいいことを教えてくれた。「自分の体を知るには、自分自身を知れ」と。どんなことが自分を幸せにし、健康にし、怒らせるのか。ずっと気をつけたし、それがとても助けになった。
ただ、自分の人生で「ここは変えたい」と思うものはあまりない。ゆったりした気分で、幸せだと思うことができたら、心身ともに健康になれる。人生、それほど多くのことは、いらないのではないだろうか。
――自分の体験から学んでもらいたいことは。
諦めるという退路を断つこと。今回も、やめようと思ったことは、一度もなかった。これはやろうと心に決めたら、私はやめないことにしている。(抄訳)
(Chris Colin)©2021 The New York Times
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